形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

富山の薬売り

2013-09-30 14:39:12 | Weblog

富山の薬売りが東京の家々を廻っていたのは、小学生の頃。
年に1回ぐらい来ただろうか。 背中に柳ごおりの入った、
黒皮の大きな荷物を、重たそうに背負って、いつもきまった
おじいさんが訪ねてくる。 薬売りが来るのは、子どもたちの
楽しみの一つだった。 それは、お土産の紙風船を何個か
くれるのと、縁側に降ろした荷物から出される、色とりどりの、
にぎやかに入っている薬袋を見る楽しさだった。



家には前に薬売りが置いていった、厚紙でできた引き出し式の
薬箱があった。 その中の箱から、使った分だけお金を払い、
減った分を補充していく。 粉薬はみんな薬包紙で三角形に
包んだものに入っていた。 中には「クマノイ(熊の胃)」という、
黒っぽい小さな塊を紙に包んだのもあって、一度だけ飲まされたそれは
とても苦かった。

「カゼ薬はどうします?」
「置いてって」
「これは新しい胃の薬だけど、よく効くよ」
「じゃそれも」 などと、
薬売りとオフクロのやりとりを聞いているのも面白かった。

                        
からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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藤袴(ふじばかま)

2013-09-25 14:14:19 | Weblog


秋風に なに匂ふらむ藤袴 
主はふりにし宿と知らずや



* 金塊和歌集(源実朝家集)
 「新潮古典集成」(昭和五十六年六月発行)から。
 「ふりにし」というのは、死んでしまったという意味。
  藤袴は秋の七草の一つ。 干すと芳香を放つ。


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銀トカゲ(ニホントカゲ)

2013-09-20 18:39:57 | Weblog

今年の夏は暑かったせいか、庭で珍しく銀トカゲをよく見る。
いままで、こんなに見たことはなかった。 
夏のつよい光の中で、青味がかった美しい銀色のからだを閃かせている。
たぶん1、2年前に卵がたくさん生みつけられ、それがかえったのだと思う。
見るのはたいてい4、5センチほどの子どもだ。

子どもの頃、友だちと遊ぶのは、たいてい多摩川か池上本門寺の森だった。
その頃、男の子たちが憧れていた生きものは、鬼ヤンマ、銀ヤンマ、
赤い大きなハサミをもつザリガニの真っ赤チン、銀トカゲなどだ。 
銀トカゲ以外は捕ったことがあるが、このトカゲだけは捕ったことも、
誰かが捕ったという話も、一度も聞いたことがなかった。 
正式な名称、ニホントカゲ。 

なぜ捕まらないかというと、とても警戒心が強く、近づくことさえ出来ないからだ。 
そして銀トカゲが逃げ込むところは、どうにもならない石垣の隙間や、大きな岩の
あいだときまっていた。

遠くの石の上で日向ぼっこしている銀トカゲを見つけると、私たちは
隠れながらそっと近づいていく。 しかし網が届くはるか手前で、
銀トカゲは頭を持ち上げ、じっと警戒態勢をとる。 そしてさっと岩や
石垣のあいだに入り込んでしまう。 何度、大きな岩のあいだに棒切れを
突っ込んで、動かそうと試みたことか。 捕まらないからよけいに、
男の子たちの憧れの的だった。
銀トカゲを初めて捕まえ、手の中でその姿を見たのは、
今住んでいる千葉の片田舎で、四十歳を過ぎてからだった。


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食べものの郷愁

2013-09-18 14:28:56 | Weblog

子どもの頃食べたもので、大人になってもう一度食べてみたいと思うもの、
それはたいていの人に一つや二つあるのではないだろうか。

佐倉に引っ越してきた頃、裏の空き地で初めて家庭菜園を作った。 
10坪ばかりの畑だが、はじめのうちは面白いように野菜ができた。
胡瓜をつくったとき、おやじは大きな胡瓜を作ってくれと頼んできた。 
小さい頃食べた、畑の大きなキュウリの味が忘れられないらしい。

キュウリを成らせたまま放っておくと、短期間のうちに、すごく大きなもの
になるのを知ったのもそのときだ。 50センチはあるバカでかいキュウリを
おやじに渡してやると、大喜びで味噌をつけてかじったり、
酢の物にもして食べた。 私も食べてみたが、種が大きくパリパリ感のない、
うまいとはいえないものだった。 おやじもたぶん同じ思いだったのだろう、
お化けキュウリはじきに食卓から姿を消した。

蕎麦屋で好物の蕎麦を食べていたとき、4、5人のおばさんグループが
カレーの話をしていた。 中の一人が、昔食べたカレーの味が忘れられ
なくてさぁ、小麦を炒めるところから作ってみたのよ、と話している。 
聞いていると、その手間のかかったカレーを食べたら、全然美味しく
ないの、子どもたちの評判も悪くてがっかりしたという話をしていた。 

郷愁の食べ物を実際に食べてみると、がっかりすることが多いかもしれない。 
記憶の中の味と違うのだ。 私もいくどかそういう経験がある。
一つは、甘いものに飢えていた子どもの頃、時折、おふくろが
水溶き片栗粉を煮て、砂糖を少し入れたお菓子のようなものを作って
おやつに出してくれた。 これが懐かしく、作って食べてみると、
ただ薄甘いだけで、こんなものだったのかと思った。 
ものの少ない時代だったので、それでもうまく感じたのだと思う。

もう一つ、もう一度食べてみたいと思うもの。 子どもの日に上野動物園に
行くと、子どもは無料で入れた。 動物園の外にある、かき氷などを売る
ヨシズ張りの店で、子どもは半額の、たしか20円か30円でラーメンを
食べさせてくれた。 その頃、外食することはめったになく、ラーメン自体
私はあまり食べたことがなかった。 友だちと入ったその店で出された
ラーメンはチャーシューなどではなく、赤く安っぽいソーセージの、
ひらひらの薄切り4分の1しか入っていなかった。
それでも当時はじゅうぶんうまくて、 
行きに1杯、帰りにまた1杯と食べた。  
でも、今食べてみたらどうなんだろう。

向田邦子は「父の詫び状」(文藝春秋刊)の中の「昔カレー」で、
書いている。 「思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。
何十年もかかって、懐かしさと期待で大きくふくらませた風船を、
自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないのではないか」 と。

                       
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ロシア漬け

2013-09-12 13:32:27 | Weblog

小学校の夏休み。 真っ昼間にオヤジは汗をかきながら、
風呂場でロシア漬なるものを作り始めた。 なんでも満州に
いた頃に食べたそうで、その郷愁にかられたらしい。 
ブリキの一斗缶に丸ごとのキュウリを主に、いろんなものを
詰め込んだ。 そしてフタをすると、ハンダ付けで密封し、
床下の涼しいところにしまい込んだ。

それから何週間かたった日曜日、そろそろ漬かった頃だろうと、
いよいよ密封したフタを開けるときがきた。 オヤジが風呂場に
持ち出した一斗缶は、なぜか不気味に膨らんでいた。 
家族も下宿人も興味津々、& 何かイヤな予感がして、
オヤジ以外の全員は、風呂場の入口から一歩下がった。 
一人取り残されたオヤジも、同じことを考えたに違いない。  
へっぴり腰で缶のふちに缶切りを当て、ザクッと切り込みを入れた。 
とたんに、ブシューッという音と同時に、すさまじい匂いと液体が
吹き出し、風呂場にたち込めた。 全員ひっくり返りそうになった。   


形容に困るが、ニンニクと魚を混ぜて腐らせたらあんな匂いに
なるのかもしれない。 その後、恐ろしいキュウリのロシア漬は、
オヤジが腹を下すこともなく、少しのあいだ食べていた。 
ご飯どきに、家族や下宿人にもすすめていたが、誰も手を出さなかった。

大きくなってから、おふくろから聞いた話では、オヤジはロシア漬の
ちゃんとした作り方は知らなかったらしい。 食べた味の記憶から
見当をつけて、一斗缶にキュウリを入れたうえ、ニンニクなど、
いろんなものを放り込んで作ったようだ。 密閉された一斗缶を使うのは、
満州の店で店の人が開けるのを見ていたらしい。

調べてみると、かつてオヤジもいた、満州のハルピンに滞在していた人が、
ロシア漬のことを書いていた。 ロシア漬というのは日本人のあいだで
言われたらしいが、実際はドイツのキュウリのピクルスとほぼ同じだそうだ。 
オヤジは後年になって、ピクルスは食べていた。 だがそれをロシア漬とは
言わなかったのは、あの失敗を思い出していたのかもしれない。 


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