形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

松ヤニ遊び、ハッカのいたずら

2013-10-26 16:12:53 | Weblog

子どもの頃を思い返すと、なぜあんなことを面白がったのだろうと、
不思議に思うものがある。 小学校の頃、松ヤニ遊びが流行った。 
松ヤニの粉を指先につけて、友だちのナイロンジャンパーをつまみ、
素早く引くとキュッと音がする。 これを面白がり、大流行した。 
ナイロンのジャンパーを着る、冬に流行った遊びでセーターでは
音はしない。 松ヤニはスポーツの滑り止めなどに使われるが、
誰が考えた遊びなのだろう。 松ヤニは駄菓子屋においていたが、
流行ったときだけ売っていたように思う。




もうひとつ、ハッカを使ったイタズラ。 友だちに内緒で、指にハッカをつけ、
目をつむらせる。 そしてまぶたの上か目の下に指先をスッと擦りつける。 
目を開けようにも、スースーしてあけられないほどになる。 
ハッカは飴のハッカじゃ薄くてだめで、本格的なハッカの結晶を使った。 
これは薬局で売っていて、友だちと買いに行ったことがある。 
こっちのほうは、友だちが目を開けようにも開けられない様子が、
なんともおかしかったが、やったほうも始めはもがいた犠牲者だった。 
ハッカの小さな結晶を一粒口に入れてみたが、恐ろしいほどの辛さだった。

もののない時代、子どもたちはささやかなことに楽しみをみつけていた。 
足りない分は想像力で補って遊んだ。 極端な貧しさは悲惨だと思うが、
ものの少ない時代、豊富な時代、どちらがほんとうに幸せなのだろうか。 
足りないから、手に入ればありがたく貴重である。 
溢れれば、それが当たり前になって、喜びも薄い。


からだの形は、生命の器 
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


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『 旅情 』 石垣りん

2013-10-21 17:39:08 | Weblog

『  
   ふと覚めた枕もとに

   秋がきていた

 

   遠くから来た と言う

   去年からか ときく

   もつと前だ と答える

 

   おととしか ときく

   いやもつと遠い という

 

   では去年私のところにきた秋は何なのか

   ときく

   あの秋は別の秋だ

   去年の秋はもうずつと先へ行つている

   という

 

   先の方というと未来か ときく

   いや違う

   未来とはこれからくるものを指すのだろう?

   ときかれる

   返事にこまる

 

   では過去の方へ行つたのか と聞く

   過去へは戻れない

   そのことはお前と同じだ という

 

   秋

   がきていた

   遠くからきた という

   遠くへ行こう という      』



* 石垣りん(1920-2004) 女流詩人

 
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土アケビ

2013-10-18 13:53:51 | Weblog

土アケビを写真で見たのはかなり前だった。 
「野外手帳」(白土三平著)に、写真つきで紹介していたのだが、
その奇怪な姿におどろいた。 それまで山で見たおぼえがなく、
きっと、めったにお目にかかれない植物だろうと思っていた。

それから数年後、弟の住む、那須の山林に遊びに行き、
偶然これを見つけた。 細竹の群生する日陰で見たのだが、
写真で見るよりもっと異様で、葉もなく植物のようには思えなかった。  

誰かがイタズラで、棒を立て、そこに赤いウィンナソーセージを、
たくさんブラ下げたように見えた。 だがこの赤い実をつける前に、
花を咲かせるらしい。 それを見ていれば、それほど奇怪に感じ
なかったのかもしれない。 

秋に実を成らせるアケビとはまったく別のもの。 
私が見たのは5、60センチぐらいの背丈だが、1メートルになるもの
もあるらしい。 赤い実は6、7センチほどで、民間で湿疹の薬として
用いられことがあるようだ。 葉がないので光合成はせず、
菌と共生して生きる。 ラン科の植物で、実には種が入っている。 

             
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烏瓜(カラスウリ)

2013-10-17 19:02:08 | Weblog

私の住むところは、日本でも有数の台地、北総台地の一角にある。
この台地の縁は複雑に侵食されていて、その斜面の下に沿う小道を歩くと、
藪から蔓性のカラスウリの赤い実が、たくさんぶら下がっている。
遠くから見ると、まるで柿の実がなっているようだ。

今の季節になると枯れ始めて見るかげもないが、初夏の頃に見る、
薄い微毛に覆われたカラスウリの葉はたいへん美しい。 図案の
題材になりそうだ。



カラスウリはウリ科の多年草、雄雌異株で雌株に7~9月頃に花を咲かせる。 
白い5弁の花で、花の周りに白いレースをあしらったような独特な花だ。 
陽の落ちる頃から、朝方にかけて花が咲くのは、受粉のため、蛾を誘うのだという。



カラスウリの種は、7、8ミリほどの、柄のない打ち出の小槌のような形を
している。 お金がたまりますようにという縁起物とされているそうだ。
私の財布にも、人からもらったものが一粒入っているが、まだご利益はない。

同じ仲間の黄カラスウリの根からはデンプンが採れ、昔は、今のベビー
パウダーと同じように、天花粉(てんかふん、雪の意味)と呼ばれて
アセモなどに使われたそうだ。 子どもの頃、風呂上がりにパタパタと
はたきつけられた白い粉も、天花粉だったのか。

                       
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おでんの屋台

2013-10-10 19:24:07 | Weblog

子どもの頃、町を流して歩く屋台といえば、私の住んでいたところでは、
おでんの屋台だった。 おでんは冬のもののようだが、夏でも屋台は
出ていた。 他には秋から冬のあいだは、焼き芋屋のリヤカーが来た。
チャルメラを吹くラーメンの屋台は、もっとあとで見かけるようになる。

おでんの屋台は、昼間から、チリンッチリンッとリヤカーの引き棒に
つけた鐘を鳴らしながら、町を歩いていた。 値段は驚くほど安かった。
大人になる頃にはもちろん値段は変わったが、他のものの値段に
比べると、なぜこんな値段で売れるのだろうと、不思議に思うほどだった。
6人分の夕食のおかずにと、中ぐらいのナベを持っていって買うと、
500円ぐらいで食べきれないほどあった。

蒲田駅の近くに、おでん種を売る、古くからの店がある。
おでんを売る屋台や店が仕入れに来るような店で、沢山の種類の
薩摩揚げや袋詰めなどを、山のように盛って売っている。 
おでん屋のおじさんもこういうところで仕入れていたのだろう。 
昼間、路地裏で屋台を出し、おでんを仕込んでいるのを幾度か見た。

夏休みのプール帰り、学校の門の前に、屋台を止めて待っていることも
あった。 夏とはいえ、プールで冷えた体で食べるおでんはうまい。 
お金がないときは、コンブが5円ぐらいで一番安かったから、それを1個、
竹串に刺してもらって食べた。 今のおでんのコンブはちゃんと結んで
あって、それなりの格好をしている。 その頃のはダシを取ったあとの、
半分溶けかけた、ヨレヨレのコンブだ。 なので竹串に巻きつけるようにして
渡され、あまりうまくなかった。 友だちがチクワなどを食べていると、 
コンブをやるから、1回だけ、かじらせてくれ と頼むこともあった。
たいていいやだと断られた。

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白い彼岸花

2013-10-08 16:18:37 | Weblog

家の裏の林の中に、今、白花の彼岸花が咲いている。
佐倉に引っ越してきた二十数年前、ご近所の老夫婦の方から
いただいて植えたもの。 鉢に植えられたこの花を持ってきて
くれた奥さんは、ふくよかな方でいつも笑顔の絶えない人だった。 
六年ほど前、ご主人が亡くなり、息子さんのもとへ引越されていった。 
二十数年年の月日が流れ、ご近所の多くのお年寄りの方たちがこの世を去っていった。 

彼岸花、別名、曼珠沙華(マンジュシャゲ)。 全草、毒草。 


 


こっちは城址公園入り口の、赤い彼岸花。 一緒に写っているのは、
これから散歩に行こうと、はりきる愛犬レオ、6歳♂。 
お菓子の「カールおじさん」ではない。 シーズとコーギーのミックス。

初秋に日本各地でよく見る美しい花だが、咲き方が面白い。
花を咲かせているときは葉が無く、地面から出た緑の棒のような
茎の先に花をつける。 花が終わったあとから、蘭の葉に似た
細い葉を地面近くに多く出す。 花はピンク色のものもある。

この彼岸花が、以前書いた、<シャガ>と同じく、遺伝子が同一の
三倍体で、雌雄がなく種子ができないという。 なので誰かが植えるか、
土ごと運ばれるような移動をさせない限りそこには存在しない。

シャガは咲いている場所からまだ想像がつくが、彼岸花のほうは
ほんとうかと思う。 というのは、多くは平地や里山などの人のいる
場所に咲いているが、とんでもないところにも出ているからだ。 
それはトンネルの上の、危険な急斜面の草むらの中だったりと。 
ほんとにこんなところに、誰かが植えたのだろうか?と思ってしまう。

また種子ができないということは、日本中の彼岸花は大昔に入ってきた、
元々一つの株から増えていって広がり、その遺伝子は同じということになる。

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