山形で生まれ育ったおやじが、子どもの頃の夏、学校から帰ってくると、
仏壇に赤く熟した柿が供えられていたそうだ。
おやじは柿が大好物で、 まだ柿の季節じゃないことをすっかり忘れ、
そのうまそうな赤い柿を持って逃げた。 そして庭の隅で思いきりかぶりついた。
そしてあまりの不味さにげーっと 吐き出したそうだ。
てっきり柿と思ったのが、トマトだったのだ。 柿とトマトじゃ大違いだ。
それに当時のトマトはかなり青臭かったようだ。
江戸時代には、トマトを唐柿と呼んで観賞用に栽培していたという。
どこか忘れたが、まだ江戸時代の品種が残されているところがあり、
そのトマトを写真で見たことがある。 ちょうどミカンの房のように
側面が縦にコボコボしていて、真っ赤に熟した小さな南瓜のような形をしていた。
私が小学生の頃でも、まだトマトは青臭くきらいな子どもが多かった。
私もトマトを生で食べた記憶がほとんどない。 夏休みに山形の伯父のところに
遊びにいったとき、一つ年上の従兄から、裏の自家用の畑に連れていかれた。
そこで成っているトマトをもぎ取って、「けは!(食べな)」と勧められた。
真夏の日差しを浴びた、生ぬるくて青臭いトマトは、マズ過ぎて一生忘れ
られない味だ。
あの青臭さがなくなったのはいつ頃からだろう。 品種改良がすすんだためと
思うが、今のトマトはずっと食べやすい。 フルーツトマトなんぞという、
水を切って作った甘い贅沢なトマトからは、昔の不味いトマトは想像もつかない。
からだの形は、生命の器
形の医学・しんそう療方 東京小石川
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