正覚ノ門 徒然帖

正覚者の言葉、日々の雑感。
・金剛般若経・無著頌 R2/1/7〜3/11 7/20〜
・長老偈経 3/14〜7/17

金剛般若経 十七h

2020-09-03 05:53:12 | 日記

おはようございます。

十七h  スブーティよ、もしも、求道者が、<ものには自我がない。ものには自我がない。>と信じて理解するとすれば、如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人は、その人を求道者・すぐれたものであると説くのだ。
(中村元 紀野一義 訳  岩波文庫)

頌47 法界(の真のすがた)がわからないままで、衆生を涅槃に導こうと考えたり、国土を清浄ならしめようと考えたりするならば、それは倒錯(いつわり)に他ならない(そのような彼は菩薩ではありえない)。
頌48 衆生たち、菩薩たちのものである法を、すべて実体がない(すなわち"自我がない"法無我である)とさとり、あるいは"信じ理解する"ならば、そのような彼こそは、聖者ではない(ただ信ずるのみの凡夫)にせよ、聖者(として自らさとる)にせよ、ともに知恵あるもの(すなわち菩薩)と呼ばれるのである。
(無著造 世親釈 長尾雅人訳注 中公文庫)

※上記本文の漢訳 「須菩提よ、もし菩薩にして、無我の法に通達せる者あるときは、如来は説いて、真にこれ菩薩と名づけたり。」