正覚ノ門 徒然帖

正覚者の言葉、日々の雑感。
・金剛般若経・無著頌 R2/1/7〜3/11 7/20〜
・長老偈経 3/14〜7/17

金剛般若経 二十八

2020-09-20 06:14:44 | 日記

おはようございます。
ラスト七回になりました。

二十八 さらに、また、スブーティよ、実に、立派な若者や立派な娘が、ガンジス河の砂の数だけの世界を七つの宝で満たして、それを如来・尊敬さるべき人・正しく目ざめた人に施したとしよう。他方では、求道者が、<法は自我というものがなく、生ずることもない>と認容しえたとすれば、この方がそのことによって、計り知れず数えきれないほどさらに多くの功徳を積んだことになるだろう。けれども、また、実に、スブーティよ、求道者・すぐれた人は、積んだ功徳を自分のものにしてはならないのだ。」
 スブーティ長老は訊ねた―「師よ、求道者は、積んだ功徳を自分のものにすべきではないのでしょうか。」
 師は答えられた―「スブーティよ、自分のものにすべきであるけれども、固執すべきではない。そういう意味を込めて、<自分のものにすべきではない>と言われているのだ。」
(中村元 紀野一義 訳  岩波文庫)

頌65 実に功徳は消滅することなく、その結果もまた断滅することはない。(無生法忍という)忍の知が得られた時にも、(それら功徳や結果が)断絶することはない。(功徳による結果として)この(忍の知の)浄化が得られたのであるからである。
頌66 それ故に功徳の(本質を明らかにする)ためにこそ、重ねて(功徳の)比喩が説かれたのである。かの功徳には、果報がない(すなわち煩悩をもたらすことがない)。したがって(功徳は)"受けとられる"のでこそあれ、"(執着して)執る"のではない。
(無著造 世親釈 長尾雅人訳注 中公文庫)