設楽原(したがはら)の戦いの馬防柵も見学しました。
柵の向こう側は、(現在は)広い畑のようなところ。
なぜ、鉄砲隊に向かって走ってきたのか、当時不思議に思っていたのですが、武田軍は、退路を断たれていたんですね。
武田の騎馬隊、抜群に強かった。
馬に乗るには、二頭以上(代わりがいるから)必要だそうで、高価だったのに、それができたのは、信玄が金山を持っていたから。
*当時の馬は映像で描かれるようなサラブレッドのような馬ではなく、それよりも小型。東北産の馬が高評価。
武田の赤備え(旧武田家臣団)は、のちに井伊直政の軍となります。
大阪の陣で人気のある真田幸村の赤備え。真田は、武田の配下にあったからでしょう。
大阪城の外に作った馬出しも、武田からのものです。
織田信長のことは、信長公記のほか、宣教師ルイスフロイスが書き残しています。
元亀は、信長包囲網のとき。(縁起が悪いと信長が年号を変えさせました。)
最強と言われた信玄やその好敵手であった上杉謙信も病で亡くなり、信長は命拾いをしたことになります。
そんなに都合よく??
信長は経済力があり、才にあふれ、堺を抑えて鉄砲の国内量産化も行った。
でも、もしあの日、雨であったなら、火縄銃は使えなかったはずだし、桶狭間は急な大雨で、今川義元に気づかれることなく、急襲できた。
天候は現代の科学でも制御不能。もしもそんなことできたら、悪用されたら怖いですよね。
やはり、単なる偶然の連続ではなく、歴史を動かす神様の存在を思います。history 🟰 His story 。(Heとは、聖書の神様)
ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。
2 主の言葉がエリヤに臨んだ、
3 「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。
4 そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。
5 エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。
6 すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。
7 しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。
旧約聖書 列王記上 17章
続く
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