昨日、銀座の能楽堂に行きましたので、今日は、昨日、着た着物のアイロンがけです。昨日までは、5月でしたので袷の着物を一応、着ました。戦前の着物、錦紗という今はもうない布地です。布地はしっかりしていましたが、色が、ハゲていましたので、臙脂と焦げ茶をあわせたような色に染めて貰いました。地模様が、チューリップと薔薇でしたので、春宮としては、捨てがたかったのです。紋無しですが、地模様のある色無地のような感じに、三越本店の呉服部が染めてくれ、仕立て場の先生が白でぐし縫いをして下さったので(三越は、小紋以上のよい物には、ぐし縫いが入ります)、それがとても映えて、一段格上の着物のようになりました。帯は、ベージュ地の色々な色が入った唐織の物(知人からの頂戴物)に、若草色の道明の冠組の帯締、薄いピンクベージュ地の帯揚でした。
今日から、6月、単衣になります。今は、気候が変わりましたので、暑さ寒さで、袷か単衣を着てよいかと思いますが、コロナで、やはり外出が減りましたから、虫干しかわりに着て外出しました。着る前後に鴨居にハンガーに掛けておくと、着物が軽くなった感じがします。冬でも、着るとシワはつきますし、体の湿気も含むので、アイロンがけは、必ずして、2~3日、部屋干ししてから箪笥に仕舞います。面倒ですが、戦前戦後と生き抜いて来た着物、着てあげなくては可哀相です。
来週、又、能楽堂に、師の『巴』を拝見に行く事になりました。単衣の時期のよそ行き選びが、春宮には、一番、大変です。単衣の紋付きも何枚かありますが、帯との兼ね合いが、微妙な時期なのです。6月も下旬ならば、夏帯にしてしまいますが、上旬なので…箪笥をかき回して、着物は、また戦前の里にあった濃い深緑色に5㎜以下の菊のような小紋(細かくて、わからないでしょうから、いい事にしました)の単衣の着物、帯は絽縮緬をペパーミント色に染めた物に春宮が、一色濃いペパーミント色で露芝を刺繍し、銀糸で露を散らした物にして、帯締は道明の冠組の紅色、帯揚は薄いピンク色の絽の物に決めました。戦前の織地の黒羽織は二枚使って、道明で飾り房を作って貰い、被布にした物を出してきました。雨降りだった事も考えて、紗のクリーム色地の矢羽柄の雨コートも出してきました。ぎゅうぎゅう詰めで、箪笥にしまってありますので、帯関係以外は、全てアイロンがけしました。結構な労働力かと思いますが、着物を着る前後のアイロンがけは、点検の意味もあります。
春宮の着物は、戦前の物が本当に多いです。それらは、皆、今は織れない物ばかり、持っているのですから、着なくては、残念です。売りに出しても、限りなく0円に近いので、着られるだけ着なくては、勿体ないと思っています。自分で刺繍を施した物以外は、昔の物ばかりです。今、着ても違和感はありません。
今日は、妹が、久しぶりにゴルフの練習の帰りに寄りましたので、戦前の濃い桃色地に大きな独楽が黒を基調に金銀糸・綺麗な色糸で織込まれた帯と、その帯にしか合わない濃い少し紫がかった地色の大きな亀甲模様のお召しの着物を下げました。着物は、大きな亀甲模様ですから、大番頭さんが、戦前の袂の長さのままで着なさい…というアドバイスでしたので、袖のふりに紅絹までつけて、仕立て直してありました。亡母は、姉妹各々に、似合いそうな里にあった古い物を振り分けたようで、妹は、袂の長さが違う…と言っていましたが、来年の1月まで時間があるので、三越の呉服の方と相談しなさい…と言って、持って帰らせました。妹は、この頃、着物を着るようになって、古い物の良さがわかるようになりました。1月しか締められない独楽の帯、「この帯、見た事がない」と言い乍ら、車に積み込んでいました。
戦前の物でも、綺麗に着れば、人様と違った装いが出来ます。時代遅れ…とんでもない…お洒落が出来ます!