春宮は、クラッシック音楽や謡などが好きですが、深くは、わかりません。雰囲気が、好きです。亡父の影響で、戦前の軍歌や歌謡曲も好きです。携帯の着メロは、フルオーケストラの軍艦マーチですし、メールの着メロは宇宙戦艦ヤマトです(春宮夫からは、絶対に外で鳴らさないように…と言われています)。曲が好きなだけで、軍国主義でも国粋主義でもありません。戦争は、嫌いです。この頃の自衛隊の銃器の不祥事も許せません。ただ、災害の時に、自衛隊に頼るしかすべが無いのも、情けないと思っています。災害派遣時の活躍には、頭が下がりますが…。
艦船の写真を拝見する事も好きですが、米軍の空母が入港する時、その艦載機の騒音の酷さも知っております。米軍空母は、窓を閉めている寒い時期に入港ではなく、大概、窓を開けている時期の入港でした。艦載機の離発着訓練は、早朝から夜10時までだったと思います。かなり低い所を飛行するので、機体は、よく見えますし、騒音は、凄まじいものでした。座敷犬がいた頃は、犬がパニックを起こし、直線方向に突っ走るので、ずっと、抱きかかえていました。JRに乗っていて、輸送機が線路の上を飛行する時は、恐かったです。米軍のパイロットの方も、これだけ住宅密集地の上を飛んだ事はない…と、何かで話されたのを聞いた記憶があります。
関東地方の事しかわかりませんが、旧日本軍が使っていた霞ヶ浦も厚木も、当時は、何もない地域だった筈です。飛行機の性能も、昔とは違います。病院にしても、国際医療センターの前身は、国立第一病院?その前は、陸軍病院です。感染研がある所は、陸軍の研究所だった筈です。その付近に、住宅はなかったのに、今は、住宅密集地になっています。コロナが流行しはじめた頃、感染研がSARSレベルの実験まで出来る設備を持っているのに、付近の住民の反対で、ずっと稼働させられず、コロナがどのレベルか不明の時も、通常使用していないので、お役に立ちませんでした。旧軍に限らず、東京の都立病院は、昔は、伝染病の隔離病院でした。そのような事も、今の方々は、知らずに、広尾・白金あたりは、プラチナロードとか言って高級なお洒落な土地柄の如くもて囃しているのは、少々、可笑しく感じます。父母・祖父母・義父母などから、色々な話を聞いていたから知っているだけで、今、居住されている方々をどうこう言っている訳ではありませんので…誤解なさらないで下さいね。春宮が、時々、通院している北里研究所病院も、結核病院でしたし…。
空き家問題が取り沙汰されている昨今、相続税を支払う為に、勿体ないような家が壊され、土地は細切れに売られて、何軒もの新しい家が建ちます。
逆に、休耕地は、所有者が沢山いすぎて、大規模農地に出来ず、今回のような戦争が起きると、食料輸入国の日本は、すぐ困りますます。
春宮の家の方を飛んでいた艦載機は、他の地区に行き、きっと、そちらの方達が騒音被害にあわれているのでしょう。何か、全て、お国が信念を持って対処せず、たらい回しのような気がします。独裁者や変な宗教団体とくっついている方も困りますが、もう少し、日本をリード出来る人材はいないのでしょうか…。
政治に興味がある訳ではありませんが、日本が、段々、落ちぶれていくような気がしても嫌なだけです。一応、何が出来る訳でもありませんが、能天気な春宮なりに憂いております。