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コレは堤防の土手に芽吹いた「野萱草」。
もう一週間もすれば大きくなり過ぎるかも知れん。今が収穫のチャンスかも?
先日から嫁が作った蕗味噌をご飯に載せて頂いてるんですが、コレが春の苦味と
味噌の甘辛さが相まってウマいんですね。やっぱり春には芽吹いた山野草を食す
のが昔から言われる「春は苦味」というもんなのかな。
まぁ、そんなんで毎年、毎年、旬を味わうのが楽しみになってるんですが、それが
人間は、段々と手を抜く事を考えるもんなんですね。
↑コレは去年、堤防の土手に生えてた「野萱草」を採って来て近くの畑の隅に植え
たものです。わざわざ採りに行かなくてもよいようにと植えておいた。この酢味噌
和えが食いたいんですね。
嬉しいことに、それがちゃんと芽を出してくれてました。こういうところが素直で
可愛いとこですね。こう素直に芽を出してくれてると返って採りづらくなりますね。
そんなんで今年は採らずに置いておこうと思う。
けど、馳走という言葉があるように食材は、わざわざ野山を駆けずり回って採って
来る事に旬を食すという意義があるんやないかと思ったりするんですね。
人工的に手軽に収穫出来ると自然の有難味を感じなくなる。食材の貴重さが分から
なくなる。命を頂いてるんやし感謝して頂く事の尊さが大切なんやな。
あら、オレってちょっと賢なったんとちゃう?
よう分からんけど。
ただ萱草の酢味噌和えが食いたいだけやろけど。
以上です。
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