いろんなところで好き嫌いな都道府県があります。
その理由もまちまちでしょう。
その県で嫌な思いをした人間にとっては、その県のすべてが嫌いになることもあります。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、などというように?
文化などで比べると、一応関東とはいえ、コンサートでも世界的に有名な演奏家が来ることがあるので、東京よりもチケット代が安いこともあり、主催者の知り合いもいるため何回か聴きに行ったことがあります。
驚いたのはそのマナーです。
演奏最中のピアノコンサートに堂々と扉を開けて入ってくる人間が何人もいるのでした。もっと驚いたのは掛かりが案内していたことです。たしかカツァリスはあれ以降群馬に来ていないのではないでしょうか?
栃木の壬生でのツベルマン(ツィマーマン)のピアノコンサートでの演奏中最も興の入る演奏の時に頓珍漢がいきなり拍手をして、ツベルマンの顔から血の気が引いたのを今も覚えています。あれ以降栃木での演奏はやっていないのではないでしょうか?
本場ヨーロッパではそういうことが起こると大変な騒ぎになります。
開演中はドアの前には掛かりが立っており、中へ入れることは先ずありません。
西洋の音楽なのでほとんど人気がないとはいえ、では音楽が好きな人たちは何故本格的な音楽を嫌うのでしょうか?
文化ということを抜きにすれば、栃木で暮らすことは何ら問題とはならないでしょう。
私も北関東では釣りでお世話になっています。シーズンがありますから春分から秋分の間に限られます。
群馬では前橋の煥乎堂と太田のイオンにある書店は品数がそろっている。
栃木では宇都宮に大型書店があったと思っていたが、捜してみたが見つからなかった(数年前のこと)、佐野のロックタウンに宮脇書店があるここが栃木県内最大と歌っているが、岩波の書籍は扱っていない。文庫も新書も手に入らないから、読書人にとっては最悪最低の烙印を押す。足利には岩下書店?があるがここが唯一充実しているのではないかと思う。ただし、楽器店も混在していた。
茨木は水戸しか知らないが本屋を捜したが見つからなかった。
それほど執着させないところである。笠間には何度も足を運んだがやはり遠いので最近は行っていない。
群馬の前橋には新幹線が止まらない。なぜ高崎に停め前橋に停めなかったのか?
大宮なら東北・信越の新幹線が接続していて便利であるが、大宮は犯罪の多い町らしい。
どこへ住んでもいろいろ問題はあるが、栃木県人の知り合いがもっとも栃木のことを悪く言っているので恐れ入ったことがある。すでにその人は先祖から数えると1200年ほど栃木に住みついている本当の栃木県人である。その人の言い分には栃木にはアホしかいないらしいということである。彦根城築城400年には桜田門の変でイイナオスケが切られたときには厚く陳情したとかの縁で、彦根市に呼ばれたとかである。そこで個展を行ったが、誰一人購入する者がいなかった。そしてその人はこう言っていた、「こんなバカな町はない」。わたしも築城400年祭のJR彦根駅で降りたことがあるが、なんとなく寂しい町であった。日本はどこもかしこも沈み込んでいる気がした。
全国津々浦々見て回っているが、活気のあるところは東京を含めても落ち込みが激しい、と感じざるをえない。
ヨーロッパの古い町のような特色のある町づくりをしてきたわけではなく、次々と古いものを壊して新しいもの新しいものへと工場で作れるような町を作ってきたのである。肝腎の伝統を取り壊したのだから生き物の活気が消えていくのは当たり前である。都市とは無機物ではなく有機的な存在である。全国津々浦々伝統を取り壊してミニ東京を拵えたのであるから滅ぶのも早く、そういう町づくりを行ってきた役人の腹の中はどす黒い内臓で構成されている。
それだけに民には辛辣に対応するのであろう。
沖縄の人たちが選んだ嫌いな県
センタク
好きな街を選ぶことは好きな恋人に出合う以上に難しいことである。
住むべき街を選べないことには、ルサンチマンが起きる。
街を作る基本は大人のために作るという事であるが、日本の街作り、特に観光地などでは子供を目当てに街を作り出す。
たとえば湖に浮かべるボートの形を見るだけで子供を目当てにしているのがわかる。
その理由もまちまちでしょう。
その県で嫌な思いをした人間にとっては、その県のすべてが嫌いになることもあります。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、などというように?
文化などで比べると、一応関東とはいえ、コンサートでも世界的に有名な演奏家が来ることがあるので、東京よりもチケット代が安いこともあり、主催者の知り合いもいるため何回か聴きに行ったことがあります。
驚いたのはそのマナーです。
演奏最中のピアノコンサートに堂々と扉を開けて入ってくる人間が何人もいるのでした。もっと驚いたのは掛かりが案内していたことです。たしかカツァリスはあれ以降群馬に来ていないのではないでしょうか?
栃木の壬生でのツベルマン(ツィマーマン)のピアノコンサートでの演奏中最も興の入る演奏の時に頓珍漢がいきなり拍手をして、ツベルマンの顔から血の気が引いたのを今も覚えています。あれ以降栃木での演奏はやっていないのではないでしょうか?
本場ヨーロッパではそういうことが起こると大変な騒ぎになります。
開演中はドアの前には掛かりが立っており、中へ入れることは先ずありません。
西洋の音楽なのでほとんど人気がないとはいえ、では音楽が好きな人たちは何故本格的な音楽を嫌うのでしょうか?
文化ということを抜きにすれば、栃木で暮らすことは何ら問題とはならないでしょう。
私も北関東では釣りでお世話になっています。シーズンがありますから春分から秋分の間に限られます。
群馬では前橋の煥乎堂と太田のイオンにある書店は品数がそろっている。
栃木では宇都宮に大型書店があったと思っていたが、捜してみたが見つからなかった(数年前のこと)、佐野のロックタウンに宮脇書店があるここが栃木県内最大と歌っているが、岩波の書籍は扱っていない。文庫も新書も手に入らないから、読書人にとっては最悪最低の烙印を押す。足利には岩下書店?があるがここが唯一充実しているのではないかと思う。ただし、楽器店も混在していた。
茨木は水戸しか知らないが本屋を捜したが見つからなかった。
それほど執着させないところである。笠間には何度も足を運んだがやはり遠いので最近は行っていない。
群馬の前橋には新幹線が止まらない。なぜ高崎に停め前橋に停めなかったのか?
大宮なら東北・信越の新幹線が接続していて便利であるが、大宮は犯罪の多い町らしい。
どこへ住んでもいろいろ問題はあるが、栃木県人の知り合いがもっとも栃木のことを悪く言っているので恐れ入ったことがある。すでにその人は先祖から数えると1200年ほど栃木に住みついている本当の栃木県人である。その人の言い分には栃木にはアホしかいないらしいということである。彦根城築城400年には桜田門の変でイイナオスケが切られたときには厚く陳情したとかの縁で、彦根市に呼ばれたとかである。そこで個展を行ったが、誰一人購入する者がいなかった。そしてその人はこう言っていた、「こんなバカな町はない」。わたしも築城400年祭のJR彦根駅で降りたことがあるが、なんとなく寂しい町であった。日本はどこもかしこも沈み込んでいる気がした。
全国津々浦々見て回っているが、活気のあるところは東京を含めても落ち込みが激しい、と感じざるをえない。
ヨーロッパの古い町のような特色のある町づくりをしてきたわけではなく、次々と古いものを壊して新しいもの新しいものへと工場で作れるような町を作ってきたのである。肝腎の伝統を取り壊したのだから生き物の活気が消えていくのは当たり前である。都市とは無機物ではなく有機的な存在である。全国津々浦々伝統を取り壊してミニ東京を拵えたのであるから滅ぶのも早く、そういう町づくりを行ってきた役人の腹の中はどす黒い内臓で構成されている。
それだけに民には辛辣に対応するのであろう。
沖縄の人たちが選んだ嫌いな県
センタク
好きな街を選ぶことは好きな恋人に出合う以上に難しいことである。
住むべき街を選べないことには、ルサンチマンが起きる。
街を作る基本は大人のために作るという事であるが、日本の街作り、特に観光地などでは子供を目当てに街を作り出す。
たとえば湖に浮かべるボートの形を見るだけで子供を目当てにしているのがわかる。