四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

どこの大学の医学部がどのような論文を書いているかで医者のレベルが分かるものである。

2011年07月13日 07時08分03秒 | 健康と医療
市立病院クラスの医者は、やはり論文を書けるほど医学に対して周知しているわけではない。
大学病院であっても同じことである。ざっくばらんに似たり寄ったりのものを書いていれば一応論文らしくなる。

例えばDNAの解読の為のシーケンサーのプログラムを書くことができるほどの分子生物学者はいない。
技術者と共同に開発していくのであるが、技術者は医学の専門家ではない。

現代医学の最先端もいまのところ当たるも八卦当たらぬも八卦の世界なのである。
放射線を使って癌治療などとよく聞くが、実際は癌の再発のほうが多いのである。
癌が治ったということはほとんど聞かない。治療の甲斐なく、お亡くなりになるのである。

立花隆を例に取ると、MRIやCTスキャンやPETなどを率先してやったが為に、書くものはおかしくなり、自ら癌を発症して、さらにがん治療を行い、段々死の世界に近付いている。

結局立花隆が書いたもので残るものは無いのである。

医者も論文を書いて、新しい発見を見せつけようとするが、新しい発見はそう安々とは出来ないのである。
製薬会社が新薬を開発するためには数百億円が必要となる。それほど試行錯誤を繰り返して新しい薬品が生み出されても臨床試験で良い結果がでなければハイそれまでョと言う事になる。

臨床実験は病院内で密かに行われている。プルトニウム人体実験と同じである。

他人の病気に関しては、医者は知ったことではないのである。
だれだって自分以外の人間の不幸には鈍感である。
月に何千人もやってくる病院の患者を一人ひとり覚えていられるものではない。
ただただ要領だけの世界になってしまうのである。

どんな検査をしても人体実験をしても、医者にとっては結果が自分の研究と関係あるかが問われるのである。

慥かによい論文を書く医者は優秀である。しかし、患者の身になってくれるとは限らない。
ほとんどシステム化された社会に人間的な情など必要がないのである。要は、金と相談しての話になる。あるいは名誉と地位である。


最新の画像もっと見る