パイプの香り

昔のことを思い出しながら、こんな人生もあったのだ、ということを書いてみたい。じじの「自分史」ブログです。

昔、昔、或る所に・・・/その二十三

2006-04-22 21:49:07 | 自分史
 クラシック音楽が好きだったし(敗戦後すぐ、占領軍のFEN=FAR EAST NETWORK の放送を聞いていたから)珈琲も旨かったので、『美松』にはちょくちょく寄った。
S子はいなくなったが、女はたくさんいる。とは思っても、なかなか、おいそれとはイカナイモンデゲス。デモ、数打ちゃ当たるという教訓!?もある事だし、と鷹揚に構えて、ちょっと可愛い子にホホエミ作戦で当たって見ることにした。

 その子は高校を出たばかりくらいに見えた。白い、細い目、長い真っ直ぐな髪の毛と、前の彼女には無いものだった。その子が遅番のとき、店を出るのを待って後をつけてみると、大通りのバス停にいくのが分かった。で、ベンチに掛けた彼女の横に座って『今帰り?』と声を掛けた。彼女は驚いたようだったが、私と分かると、にっこりと笑った。名前を聞いたり、当たり障りの無いことをあれこれ話しているうちに、彼女の最終バスは出てしまった。で、仕方なく?送っていく事にした。

 国鉄(現JR)の踏切を越え、二人は手を繋いで、初夏の夜気の中を歩いていった。北15条位まできて、もうここで良いという。直ぐ近くだからというのを引き寄せて口付けをする。『それは蒼い味がした』と彼女の一人称で書いた作品が『蒼い接吻』で、これは同人誌『新創作』に提出して掲載され(400字詰で79枚)さらに当時の北海道新聞同人誌優秀作(現在の北海道文学賞)に入選。その年の上半期の応募作から五人の中に入った。(因みにY岸S子さんをモデルにしたのは『邂逅』で、これは未発表)

 で、本題に戻って、『美松』のウエイトレスのT橋K子とは、直ぐに連込み旅館に行く仲になったが、彼女はその事を『私たちの仲は、尻の底まで知合った仲だね』といった。
所が、我々が利用した旅館は、西創成地区にあった。その頃、佐藤吉五郎氏と大丸藤井の三階のギャラリイを借りて、油彩の二人展を開いていて、佐藤氏は西創成小学校の教師をしていたので、展覧会にきた父兄が、私が女の子と連れ込みに入ったのを彼につげたのだった。つまり、連れ込みの経営者が父兄だったというわけ。で、彼にいわれて、それ以後はススキノ方面を利用することにした。

 だが、彼女はセックスを知ると、周りの男を見るようになった。職場にいる男は黒のスーツに蝶ネクタイをしてるのがごろごろいるわけだったから、彼等から誘われたら、なかなか断れないものがあったらしい。で、ある夜、遅番の彼女を待って、行こうといっても、ついてこなかった。つまり、店のバーテンダーに鞍替えしたというわけ。つまり、振られたと言う事であって・・・。だからそれをバネに小説にしたら、北海道の五人に入ったというわけであって・・・。

 その頃、次男の芳男の同級生でU野M子という人が、スクエアダンスの会場で私を見初めて、何かとアタックしてきたが、小柄で、小太りで、丸顔でというスタイルは、和服は似合ったが、どうも好みのタイプではなかった。で、ある日お誘いがあったので、ちょっと用事でいけないと、断ったところ、乙女心を傷付けてしまったようで、彼女の姉が、毎日泣いてばかりいるが、何かあったのでしょうかと聞いてきた。それで、致し方なく、長女の美和子姉から聞いた、自衛隊の男とすすきのを歩いていたという話をして、いろいろとお付き合いが多いように見受けられたので、と丁寧にお断り申し上げたのでありました。


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