竹田克也 オフィシャルブログ 「王子活動中」

ミュージシャン&総菜屋「やきとり王子」こと竹田克也は、毎日東長崎で活動中!

エンブレム問題というか、オリンピックについて

2015-09-02 21:10:14 | コラム

オリンピック関連がズタボロだ。

べらぼうに高い新国立競技場の建築問題にエンブレム盗作疑惑問題。

それぞれ対応に追われ、火消しに躍起になっている。

 

私はオリンピック開催にずっと反対していた。

というか私に限らず、多くの人がそんなにオリンピック招致に歓迎的ではなかったように思う。

 

そもそも今回のオリンピックって何をテーマにした大会なのかがかなり不透明だ。

前回1964年の東京オリンピックは戦後の復興を国際社会にアピールするというテーマがあった。

「日本はここまで復興しました。これから世界の一員として肩を並べて行く所存です」というメッセージがあった。

それ故に日本全体での合意の元、しっかりと盛り上げていく事が出来たのではないだろうか。

 

じゃあ、今回はどんなテーマが語られただろうか?

私が感じていたのは「オリンピックで儲けるぞ」という空気感だけだ。

オリンピックを機にして平和主義を訴えるとか、経済戦争へのアンチテーゼとか、高邁な理想でも何でもぶち上げられなかったのだろうか。

哲学も思想も信仰も無い、そこにあるのはただ自国の閉塞をぶちやぶりたいという身勝手な思いだけだ。

アスリートにも他国にもリスペクトが全くない動機である。

 

「でっかいことやってガラガラポンだ」という印象に、国民的議論は明らかに冷めていた。

なのに決まっちゃえば何とかなる、という舐めた姿勢が現在に繋がっているのだろう。

それに、「金儲け」が前提に出ているものだから、2020年に回収すればいいので、決定さえすればいい、という非常に雑な考えで進めてしまった。

根本が雑なら、競技場も、エンブレムも雑な仕上がりになるのは当然である。

選ぶ側に、選ぶための幹となる思想が無いのだから。

 

例えば資本主義的な世界イベントにアンチテーゼを立てるなら、なるべくお金をかけない、多くの人の連携を求める、みんなで作り上げるオリンピック、という具合に設定して、そうならば競技場は現存するものを活用しましょう、国立競技場は補修して使いましょう、アイデアを募りましょう、という道筋もつけられたかもしれない。

無思想が表層化しただけだから、そんなに驚く事ではないかもしれない。

しかし本人たちの資質にも問題あるかと思いつつも、ザハ氏にしても佐野研二郎氏にしても無思想の枝葉として表面化したに過ぎない訳で、ここに問題を押し付けようとしているのが見て取れる。

 

目下誰も責任を取らないと言っている。

そもそも哲学の無い今大会なんて、違約金払ってもやめちゃえば?と思う。

 

その位、僕は冷めているんだ、オリンピックには。

 


祭の前に、ちゃんと祭とは何かを考えてみた。

2015-08-24 21:56:14 | まちづくり

久しぶりの更新。ちょっと長い文章を書きたくなったので。

 

八月も終わりに近づいた。

この時期になると街はソワソワとしてくる。

毎年九月第二週目の土日は、地元長崎神社の例大祭。

この二日間に向け各町会で氏子会が結成され、神輿の巡回ルートの設定や子供たちを楽しませる為の準備に日々を費やす。

この時期は他の事は考えられなくなると言っても過言でないくらい、一年に一回の祭りに向けて気持ちを高ぶらせていくのだ。

 

私は地域の郷土史に関心があり、祭りの歴史についても調べた。

調べる中で柳田國男が文化人類学的に体系づけた「ハレ」と「ケ」という概念に出会い、それを元にして街の一年を捉えるようになった。

先日、文化人類学に興味のある若者と会話している時に、「ハレ」「ケ」の話になった。

「ハレ」が祭であるのに対して「ケ」は日常であると解釈するのだが、「ケ」に充てる文字は「気」であるという説を教えてくれ、更に「ケガレ(気枯れ)」という言葉があり、「気(ケ)」が「枯れ」ていくので一年に一回それをリセットする為の「ハレ」があるという事を教えてもらった。

私はちょっと見齧った知識しかなかったので、この新しい情報は新しい観点を与えてくれた。

町会ごとの氏子会という組織自体、町会が組織された以降の話であり近代である。

それまでは長崎村を字に区切り、それぞれが輪番で長崎神社の祭を仕切った。

その伝統とは明らかに違う形で祭りは存在している事に目を向けてみると面白い事に気づく。

つまり伝統というのは何かしらの力で作られる、という事だ。

町会が組織され、更に経済的に上向きになった時期があったから、各町会ごとに神輿を調達する事が出来たと推測される。

それと同じように、そもそも「ハレ」と「ケ」についても自然に生まれた概念というのに疑問が持たれる。

私たちは辛い日常(ケ)を生きているうちに気が枯れていく(ケガレ)。そんな「溜まった不満を解消させる為に仕掛けたのが祭(ハレ)である」という仮説が見出された。

それが意味しているのは支配の為の装置としての祭という見方だ。

ハレ、ケに見出される一年の形を踏襲し続けるという事は、もしかしたら支配の系譜から逃れていない証拠なのかもしれない。

もちろんこれらは私の思い付きであって、仮設の域は抜けない推測ではあるが、研究の材料として観察するには良いテーマではないかと思うのだ。

 

しかし、そうは言ってみたが私はそんな祭が大好きである。

私はここ数年、神輿を「地域」に見立てて担いでいる。

「私はこの街を支え、引き継いでいく人間の一人であるという誓いを神にする」という意識が数年前から芽生えるようになったのだ。

担ぐ高揚感、疲労感、汗と酒の力もあいまってか、ある種の神秘体験のようなものも感じる事もある。それが祭の大きな魅力なのである。

そんなメンドクサイ事しのご言わずに楽しめばいいんだ!と思われるかもしれないのだが、そこを論理化しようとするのが私の癖なので仕方がないのである。

この神輿を通じて地域のみんなと目標を共有する体験をする事は大切である。神輿はそれを僅か二日の間でしっかりと体験できる素晴らしい機能だ。

しかし所謂「ハレ」「ケ」の概念とは違った見方をしていかないと、一年のはらいせの為の祭でしかなくなってしまう。

祭の為の一年という見方をしてしまうと、変化して行く社会や環境を見落としてしまう。

近代が生み出した概念でしかない「伝統」だったり人集めの為のイベントではない、祭の形を考察しなおす時期にあるのではないだろうか。

一つの答えは、ながさきむら村議会で行った「ランチタイムコンサート」のようなお金では無くできる事を持ち寄って作り上げる祭、という形はあるのではないかな、と手前味噌ながら思う所である。


ブログ、大規模放置中…

2015-04-04 08:19:46 | 映画

毎日書くつもりでおったのに、大規模放置中の当ブログ。

「実際の活動が充実している」とも言えるが、書き物が出来なくなるのは余り良い状態とは言えない。

つまり内面の整理をする余裕を失っているという事だから。

ついつい、Facebookなどの短文的な投稿ばかりになってしまうと、タイムラインの流れと一緒にせっかくの思考はお流れになってしまう場合もある。

なのでブログレベルで頭の整理をつけながら、まあつかない事の方が殆どだが、キーを一定量叩く作業は僕にとっては大事な作業だったりするんだ。

ところで3月は久々の「竹宮30年」(←竹田の音楽ユニット)のライブがあったり、商店街関連の折衝で区役所に馳せ参じたり、商店街のイベント準備だったり、4月からの値上げにまつわる準備とか、まあ色々あった。

あと今月は統一地方選挙がある。

某候補予定者の後援をしているので、それらの作業もこれから色々出てくる事になる。

政治的な発言はちょいちょい出てくるのでどうぞよろしく。

商売やっていて政治的発言はしない方がいい、というのは昔から言われ続けている言説だけど、自分の立場から未来の日本社会を観た時にどういう政治的立場を取るかを話すことで険悪になるなんておかしいと予てから思っており、もっと街角で自由に政治談議が出来るような社会にしたいという思いもあるので、竹田克也当人の立場でどういう思いなのかは今後も書いていきたい。

という訳で、先日駅頭で公明党の木下さんも言っていたけど、「地域の代表を決める大事な選挙」な訳で、少しだけ関心を向けて地域の問題や、候補予定者の人となり、考え方なんかに触れて、一人でも多くの人に今月末の投票に臨んでいただきたいですな。

 

というわけで毎日書くぞ!!(←本当か!?)


次 (ながさきむら村議会3月定例会)

2015-03-13 08:34:23 | まちづくり

ながさきむら村議会をはじめて3年が経過した。

昨夜はその定例会だったが、いつもとは議論の仕方が違った。

3年前にはじめた時のテーマだった「使用してこなかった駅前広場の活用」は、実際に行動する事で実現した。

昨年はランチタイムコンサートに加えて、十字会主催の「ひがしながさき祭」の運営に携わる事で、大きなイベントも成功させることが出来た。

最初のテーマは、そこで完結したんだよね。

なので、ステージ1からステージ2に行く為の最初の会議が昨日だったように思う。

これまでの「ながさきむら村議会」とは違った意味付けが必要となり、そのとっかかりが僕には見えていなかった。

しかし、千早高校の親泊先生と最勝寺さんのお二方が、議論の種を撒いてくれたので何とか成立したように思う。

もっと早く終了する予定だったが、どうしても「まとめ」に行きつかず、1時間超過で終了した。

結論は出ていない。とても哲学的な考察が必要になるかもしれない。

まちづくりをする時の「良い街」とは何か。本当に今思っている事なのか。

今まではぼんやりとした「まちを良くする」で緩く繋がりを形成してきた事はとても良かったかもしれない。

ただ、これから本当に街の形を描いていく時に、ながさきむら村議会が意義を持って受け入れられる為には、メッセージが必要なのだと思う。

どんなメッセージなのか。

昨日の会議の中でははっきりとは見えなかった。これからの事も。

ただ取るべき行動は、おおきなボンヤリから小さなボンヤリまで圧縮された感じはあった。

とにかく、好奇心をもって僕自身が「学び続ける」事が大事なんだ、という事だけはわかった。

 


僕がすぐに手を挙げてしまう理由。

2015-03-10 23:06:38 | コラム

僕は昔から、何かと打診があると真っ先に手を挙げてしまう。

中学校三年生の時、先生が「合唱コンクールの音源をカセットでダビングして欲しい」とクラス全体に打診があった時も、僕は最初に手を挙げた。

当時から音楽好きで自分のベストテープとか編集していた身としては、カセットからカセットへのダビングなんて大した作業じゃないのが分かっていたため、簡単な気持ちで手を挙げたんだけど、僕以外が誰も手を挙げなかった事に先生が怒り出すというアクシデントに見舞われた。

そこで怒っちゃうと、おいらの立場が…とか思ったんだけど、結局僕以外の数名がその仕事を担う事になっちゃった。

僕が先に手を挙げる理由なんだけど、押し付けられるくらいなら自分から動いちゃった方がいいや、という判断なんだよね。

人にこれやれ、あれやって、と言われる方が苦手で、自分が「やる」と宣言した事なら自分に責任がある分、やりやすいというのが僕の姿勢なんだ。

でも基本的には出来ない事はやっていないつもり。

というのも、「誰かが出来る事とは、所詮人間のやる事なんだから出来る」という思いがあるからだ。

フリーペーパーの編集作業も、そんな感じではじめて、Microsoft Wordの環境しかないのにIllustrator使ったみたいな紙面づくりをしちゃったりもしたんだよね。

それらの技術はみんな、とりあえず自分の出来る事からスタートさせたもの。

出来ない事ならやらない、じゃなくて出来るようになるためにやらないと。

そういう意味では手を挙げる事で一番得しているのが、僕自身だったりするんだ。

ちなみに金にはなりませんがね…。金にする才能が余りにも無いのだ…。

これからも何かにつけて手を挙げる事になりそう。

どんな手の挙げ方をするか。こうご期待。