さて2016年も終わる。
今年をざっと思い返しただけでも、未来の私から「2016年はターニングポイントだったね」と言われるような一年だったと言えそうだ。
家業の惣菜店を営みながら音楽制作・演奏をする兼業音楽家を標榜しつつ、地域のまちづくりや政治活動に至るまで様々な活動をしてきたのはこれまでと同じ。
ただそれら活動の一つ一つが、これまでとは違った意味を持ち始めてきたとでも言おうか、昨年までとは明らかに違う感覚に変わった。
来年の同時期に確認する意味を込めて、ここに記録を残す。
§ やきとりキングが週休二日に!
9月に母が検査で入院する事となった。(今はもう復帰している)
家族三人で回していた「やきとりキング」にとって母の存在は大きく、それを穴埋めするためのバイト募集などこれまでやってこなかった事を始める事となった。
それに加えてお店の定休日を一日増やし、月曜・火曜定休にした。
これは母の入院という事がきっかけではあったが、数年前から考えてきた運営方式であった。
月曜日をまる一日休業とし、火曜日は午前中だけ仕込みをする。
しっかり商品がそろう形を作ることで水曜日から戦える形をつくる事で収益を確保する、という事だ。
そもそも、生活するうえで本当に必要なお金はそう多額ではない。その金額と生活サイクルを見つめると必要な労働収益というものが見えてくる。
この判断の結果、漠然と店を開けていることが収益性を確保する事とは関係ない事がわかった。
それと同時にお店の軸足を再確認でき、店舗運営のメソッドのようなものを見出すことが出来そうだ。
来年からはより経営的なものを実践していき、代替わりをいつでも受け入れられる準備を進めていけたらと思う。
これらはダウンシフター髙坂勝氏の影響も多分にある。
働くことに私たちの時間の多くを刈り取られる現状に対するアンチテーゼを示していく事は、街場の小さなな惣菜店からも出来るんだぜ!という事を実証を交えて今後も伝えていきたい。
ちなみに近所のパン屋さんが、うちの影響で飛び石で週2休だったのを連休に変えた。
体がとても楽になったと言っていた。
商品も集約した。
必要な事を見出す作業は来年も続く。
§ 音楽活動が少し活発化
地元地域の老人ホームでのコンサートを春からスタート。
多くの方に聞いていただける機会が増えたと同時に、自分の歌が人の役に立っているという実感が生まれた。
今年の大きな変化の一つが「依頼されて作曲した」という事だ。
近所の雑貨屋さんが関わっている豊島区のアートステーションという活動があって、その企画の一つ「みんなで踊れる創作ダンスを作ろう」という話が私に振られてきた。
子供向けの音楽という事を基本にして、詩が届いてから二日で作り、10日後には振付の方がつけたダンスで発表するというスピード制作が出来た。
それが「おのずのダンス」という楽曲。
完成後は老人ホームや保育所で何度もパフォーマンスをすることが出来た。
§ 商店会の役員をやめる
感情の行き違いから商店会の役員を降りる決断をした。
以前より目標の置く場所のずれがある事には気づいていたが、そこを埋め合わせる力量が私にはなかったな、というのもあるが、そうなったら仕方ない。
些細な事がトリガーとなったが、社会は建前で動いているという大前提を理解していても、建前を本音が凌駕してしまう瞬間というものを久々に体験した。
よかった事もあった。
諦めることも進んでいくために必要な時があると痛感した事。
余剰が出来たことでその他の行動がやりやすくなったこと。
§ ながさきむらはちょっと停滞期
まちづくり会議ながさきむら村議会も5年。
ラジオ体操や定例会は続けているものの、独自企画のイベントは企画途中で頓挫。
ただ、会発足当初の「雑談をしよう」に立ち返りつつあり、当まちづくり会議的には正しい方向性に軌道が修正されたという印象を持っている。
§ 総括
挫折と進化というのが最もしっくりくるように思える。
離れる事、新しく出会う事、新しいコミットメント、そこはこれまでと変わりなく。
しかし、動かいたかったことが頓挫したり、何となく「成していない」感覚が脳裏にこびりついていたナイーブな一年だったと思う。
来年に向けた新しい動きも始まりつつある。
一歩でも前に歩みを進めるべく、太陽暦の年を越したいと思う。