竹田克也 オフィシャルブログ 「王子活動中」

ミュージシャン&総菜屋「やきとり王子」こと竹田克也は、毎日東長崎で活動中!

アベ政治を許さない、とは言わないから とりあえず原発止めてみようよ

2016-04-16 20:40:38 | 日記
あべちゃん、取り繕わないでいいから。

やばいならやばいって思っていいんだから。

僕は「アベ政治を許さない」なんてセンスのないこと言わないから。

上手くいっていないなら、上手くいっていないと認めるところから次の方法を考えればいいじゃない。

仮にそれで政権が変わってもいいじゃない。

だって、そもそも国を良くする為にお仕事しているなら、他の人があべちゃんより上手にできるなら、それでもいいじゃない。

この未曾有の災害時、民主党政権時に起こったような原発事故、今起こったら大変なのはわかっているよね。

だったらさ、こういう時に政治判断て使うんじゃないかな。

とりあえず、とりあえずでいいから、一回止めよう、被災地近くの原発。

もし再稼働する時のコストを計算しなくていいから。止めてから考えよう。それが出来るのは現政権のトップで国のトップのあなただけなんだからね。

個人的には原発は 無くして欲しい。

でもそれは、今の状況が収束した後に話だ。

収束するまで、とりあえず、止めよう、原発。

思いは空を通じて過去に飛ぶ

2016-04-07 06:58:18 | 日記
今日は雨。

朝降ってなかったからラジオ体操時間に来てみたけど、着いた途端に雨脚が強くなったので、体操は中止。気合い入っているところは雨天でもやるらしいけど、そこまではいいかな。

ラジオ体操も始めてから何年だろう。

当初土日はやっていなかったけど、二年前から参加者の要望で雨天以外は年中無休になった。

二年前か。


昨日は地域の小学校が入学式。おろしたてのランドセルを重そうに背負いながら、式典用の素敵な洋服を着た子たちが少し緊張気味な表情で出かけて行った。

僕はその姿を見送りながら、ついついその姿にある想いを重ねてしまい、魂は二年前へと回帰してしまった。

ラジオ体操を年中無休にした二年前。

別れの多い年だったな。

どうやって「花見」を見るか

2016-04-05 08:57:59 | コラム
僕は結構ひねくれている類なので、多くの人が盛り上がっている事をついつい斜に見てしまう癖があります。

10代の頃、花見時期に1人で哲学堂まで行って、メモ程度に絵を描こうと思った時も、公園内を見回して題材を選んだ結果、ゴミで溢れるゴミ箱を描きました。

多少、そういう事がカッコいいことだと思っていた節はありますが、そういう視点を持つことは相変わらず好きみたいです。

例えば花見なら、公共の場所を場所取りと言ってエリアを勝手に区切って一時期を所有する事を容認する事なんか、若干首をひねるところも無いわけじゃないです。

一方でそういう事を言うのは野暮ったい事だろ、とたしなめる自分も内面には存在していて、常にジレンマの中に身を置いてしまう面倒くさい思考経路になっています。

花見の時くらい、という部分で概ね心を鎮めるし、その位の娯楽を許容する事の大切さもありますからね。

ただそれが毎年繰り返される「点」の事象ということで消費してしまう事に懸念を抱いています。

僕が感じる日本人て、年中行事などで仕切り板を作って過去の繋がりを遮断しようとします。ハレを目指して日常を充実させようという認識より、日常を通じて溜まったオリを吐き出すためのハレに思えます。

もしかしたら民衆を支配するために設けられたものが、実は祭や年中行事なのではと勘ぐりたくなる位「筋」なるものに支配されているように思えてなりません。

そう考えるのは些か飛躍であると思わせてほしいものですが、長年観察してきた結果僕の中ではその説が有力化しつつあります。

ならばどうすれば良いか。

定義し直す事です。花見も神輿も、元々あると思い込んでいるロジックに疑問を持って、新しい言葉をつけていく事です。

いつまでも状況や歴史ぶったものに絡めとられるだけの社会に終止符を打つためにも。