オリンピック関連がズタボロだ。
べらぼうに高い新国立競技場の建築問題にエンブレム盗作疑惑問題。
それぞれ対応に追われ、火消しに躍起になっている。
私はオリンピック開催にずっと反対していた。
というか私に限らず、多くの人がそんなにオリンピック招致に歓迎的ではなかったように思う。
そもそも今回のオリンピックって何をテーマにした大会なのかがかなり不透明だ。
前回1964年の東京オリンピックは戦後の復興を国際社会にアピールするというテーマがあった。
「日本はここまで復興しました。これから世界の一員として肩を並べて行く所存です」というメッセージがあった。
それ故に日本全体での合意の元、しっかりと盛り上げていく事が出来たのではないだろうか。
じゃあ、今回はどんなテーマが語られただろうか?
私が感じていたのは「オリンピックで儲けるぞ」という空気感だけだ。
オリンピックを機にして平和主義を訴えるとか、経済戦争へのアンチテーゼとか、高邁な理想でも何でもぶち上げられなかったのだろうか。
哲学も思想も信仰も無い、そこにあるのはただ自国の閉塞をぶちやぶりたいという身勝手な思いだけだ。
アスリートにも他国にもリスペクトが全くない動機である。
「でっかいことやってガラガラポンだ」という印象に、国民的議論は明らかに冷めていた。
なのに決まっちゃえば何とかなる、という舐めた姿勢が現在に繋がっているのだろう。
それに、「金儲け」が前提に出ているものだから、2020年に回収すればいいので、決定さえすればいい、という非常に雑な考えで進めてしまった。
根本が雑なら、競技場も、エンブレムも雑な仕上がりになるのは当然である。
選ぶ側に、選ぶための幹となる思想が無いのだから。
例えば資本主義的な世界イベントにアンチテーゼを立てるなら、なるべくお金をかけない、多くの人の連携を求める、みんなで作り上げるオリンピック、という具合に設定して、そうならば競技場は現存するものを活用しましょう、国立競技場は補修して使いましょう、アイデアを募りましょう、という道筋もつけられたかもしれない。
無思想が表層化しただけだから、そんなに驚く事ではないかもしれない。
しかし本人たちの資質にも問題あるかと思いつつも、ザハ氏にしても佐野研二郎氏にしても無思想の枝葉として表面化したに過ぎない訳で、ここに問題を押し付けようとしているのが見て取れる。
目下誰も責任を取らないと言っている。
そもそも哲学の無い今大会なんて、違約金払ってもやめちゃえば?と思う。
その位、僕は冷めているんだ、オリンピックには。