竹田克也 オフィシャルブログ 「王子活動中」

ミュージシャン&総菜屋「やきとり王子」こと竹田克也は、毎日東長崎で活動中!

次 (ながさきむら村議会3月定例会)

2015-03-13 08:34:23 | まちづくり

ながさきむら村議会をはじめて3年が経過した。

昨夜はその定例会だったが、いつもとは議論の仕方が違った。

3年前にはじめた時のテーマだった「使用してこなかった駅前広場の活用」は、実際に行動する事で実現した。

昨年はランチタイムコンサートに加えて、十字会主催の「ひがしながさき祭」の運営に携わる事で、大きなイベントも成功させることが出来た。

最初のテーマは、そこで完結したんだよね。

なので、ステージ1からステージ2に行く為の最初の会議が昨日だったように思う。

これまでの「ながさきむら村議会」とは違った意味付けが必要となり、そのとっかかりが僕には見えていなかった。

しかし、千早高校の親泊先生と最勝寺さんのお二方が、議論の種を撒いてくれたので何とか成立したように思う。

もっと早く終了する予定だったが、どうしても「まとめ」に行きつかず、1時間超過で終了した。

結論は出ていない。とても哲学的な考察が必要になるかもしれない。

まちづくりをする時の「良い街」とは何か。本当に今思っている事なのか。

今まではぼんやりとした「まちを良くする」で緩く繋がりを形成してきた事はとても良かったかもしれない。

ただ、これから本当に街の形を描いていく時に、ながさきむら村議会が意義を持って受け入れられる為には、メッセージが必要なのだと思う。

どんなメッセージなのか。

昨日の会議の中でははっきりとは見えなかった。これからの事も。

ただ取るべき行動は、おおきなボンヤリから小さなボンヤリまで圧縮された感じはあった。

とにかく、好奇心をもって僕自身が「学び続ける」事が大事なんだ、という事だけはわかった。

 


僕がすぐに手を挙げてしまう理由。

2015-03-10 23:06:38 | コラム

僕は昔から、何かと打診があると真っ先に手を挙げてしまう。

中学校三年生の時、先生が「合唱コンクールの音源をカセットでダビングして欲しい」とクラス全体に打診があった時も、僕は最初に手を挙げた。

当時から音楽好きで自分のベストテープとか編集していた身としては、カセットからカセットへのダビングなんて大した作業じゃないのが分かっていたため、簡単な気持ちで手を挙げたんだけど、僕以外が誰も手を挙げなかった事に先生が怒り出すというアクシデントに見舞われた。

そこで怒っちゃうと、おいらの立場が…とか思ったんだけど、結局僕以外の数名がその仕事を担う事になっちゃった。

僕が先に手を挙げる理由なんだけど、押し付けられるくらいなら自分から動いちゃった方がいいや、という判断なんだよね。

人にこれやれ、あれやって、と言われる方が苦手で、自分が「やる」と宣言した事なら自分に責任がある分、やりやすいというのが僕の姿勢なんだ。

でも基本的には出来ない事はやっていないつもり。

というのも、「誰かが出来る事とは、所詮人間のやる事なんだから出来る」という思いがあるからだ。

フリーペーパーの編集作業も、そんな感じではじめて、Microsoft Wordの環境しかないのにIllustrator使ったみたいな紙面づくりをしちゃったりもしたんだよね。

それらの技術はみんな、とりあえず自分の出来る事からスタートさせたもの。

出来ない事ならやらない、じゃなくて出来るようになるためにやらないと。

そういう意味では手を挙げる事で一番得しているのが、僕自身だったりするんだ。

ちなみに金にはなりませんがね…。金にする才能が余りにも無いのだ…。

これからも何かにつけて手を挙げる事になりそう。

どんな手の挙げ方をするか。こうご期待。


「何がやりたいのか、わからない」と言われ続ける

2015-03-09 10:35:34 | 日記

SNSやブログを通じてちょくちょく活動報告などをしています。

音楽活動、お店、商店街、地域活動から政治的発言に至るまで様々な活動に参加したり、立ち上げたり、心と体が赴くままにここ数年は動いてきました。

ところが昔からの間柄の人たちからは「克也は何がしたいのかわからない」と言われます。

僕としては「何がやりたいか」は全て詳らかにお伝えしているつもりなんです。

何でそう思われるのかな~、とちょっと考えてみたのですが、おそらくそれぞれの活動が一貫性が無いように見えていて、「で、何が一番やりたいの?」という問い掛けなのだと思います。

僕の考えを簡単に書くとですね「何で一つにしぼらなきゃいけないの?」という事なんです。

「経済活動なんだからお店が一番大事」

これは一番よく言われます。

確かに生活の基盤となるお金はお店で稼いでいるので、お店が無ければお金で回している社会においては生きていくのが困難な場面が多いのは事実です。

しかし「お金を稼ぐこと」が一番大事なのですか?

この問いかけをずっとテーマにして考えてきたし、生きてきました。

そもそも何でお金を稼ぐのですか?生きていくための食事、衣服、住宅を確保する為ですよね。

でもそれだけじゃないと思うんです。

欲しいものを買う為、行きたいところに行く為だし、時には人を助ける為。

そう「使う」という事です。

その目的があるから賃労働には意義があるのです。

この時点で働く事が一番大事というロジックは崩れますね。だって働いているだけでは充足を得られないという事ですから。

ある人にとってはお金を稼いで一年に一回の海外旅行が大事な人だっていますよね。

僕には理解できませんが、高級な革ジャンを着る事に目的を抱いている人だっています。

 

僕たちの世界はお金を通じて循環させているに過ぎません。

経済的に見ても収入だけでは成り立ちません。支出もあるから循環します。

 

だからこそ自分が社会の中で何をしていきたいのか、どんな役割を担いたいのか、何が欲しいのか、そこを意識して生きる必要があると思います。

その上で何が一番大事かを決めるのは「自分自身」であり、各々の「一番大事」を尊重してサポートしあうのが社会の在り方だと僕は考えています。

簡単な事です。

僕はお店が「一番大事」な時だってあります。作った惣菜やお弁当を「美味しい」といって買い求めてくれる人たちに出来る限りの事をしたいと思っています。

でも妻や友達が「一番大事」になる事だってあります。もし家族や友人が本当に困っていたら手を差し伸べませんか?「仕事があるから」といって突っぱねますか?そんな事はしないですよね。

僕にとっては音楽が「一番大事」な瞬間も沢山あります。僕の中から音楽が湧き出てくる瞬間があります。それを形にしようとする事が僕が長年かかわってきた音楽に対する誠意であり、自分自身に対する誠意でもあります。それに出来上がった僕の歌で「癒された」と言ってくれる人も最近は増えてきました。音楽家としての僕を愛してくれる人達への誠意でもあるんです。

そういう内なる思いや、今いる環境に対して誠実に振る舞おうと決意した時から、必要な事をやりつづけているだけなんです。

そもそも長崎の町に戻ってきた理由は「地元で音楽をやる」為です。大きなメディアに依存しないでも、働きながら生活しながら音楽を続けていく方法を編み出すために戻ってきました。

たまたま両親が元気に働いている自営業のお店があったので、そこを基盤にしながら徒歩圏内でライブ活動が出来る場所がないかと思って扉をたたいたのが「BAR魂」というお店。そこで新しい友達が沢山出来て、音楽的なつながりが充実しました。

更にお店のゆーじマスターの繫がりで四谷三丁目「ソケースロック」のコバさんと仲良くさせてもらえるようになり、歌い手としてお声をかけていただけるようになりました。更に更に、ソケースで出会ったチャーリーさんに声をかけてもらって、江古田でビッグバンドを従えた昭和歌謡イベントにも出演させてもらえました。

僕のちょっとした決意で、以前の僕には計り知れないだけの凄い人たちと一緒に音楽の仕事が出来るようになった訳です。

そんな人たちと、東長崎にせっかくある駅前広場でライブイベントがやりたい、という思いが発端で「まちづくり会議 ながさきむら村議会」の設立に繋がりました。それまで使ってこなかった駅前広場で、「ラジオ体操」「ランチタイムコンサート」や「ひがしながさき祭」などのイベントを行う事が出来ました(僕自身が出演出来ていないのが悔しいですが…)。

そしてそこで生まれたコミュニティが、結局「やきとりキング」のお客さんになってくれているんです。

全てが一つの糸で結びついているんですよ、実は。

僕は常々思うんです。人間てそもそも「一つの事」はやっていません。

心臓が動き続けている間中、息をしながら目で情報を得て、歩いたり、こうして指先でキーボードをたたいて、思考を巡らせて、と全然一つの事だけなんてやってないんです。常に色々な事をしながら動いているのが人間ですよ。

なのに社会活動となると「一つの事をやる」に集約させようとするのは何故ですかね。

もったいないじゃないですか。せっかく産道を通って生まれてきて、無事に生き続けているんですよ。心がワクワクする事やらないでどうするんですか。

一つの事を成すためには、色々な事を通じて人と繋がらなきゃ出来ません。

やりたい事は「やりたい」て素直に言える社会。

少なくとも僕が関わっている人達を見ていると、そういう方向に少しづつ向かっているように思います。

時々気持ちが折れる事も無い訳じゃありませんが、折れたら治せばいいだけです。

これからも、骨となる部分がぶれないように、生きていきたいと思う今日この頃です。

まあ「何がやりたいのか、わからない」と言われ続けるのも、一つの役割と思って、ね。


毎日書くと言いながら

2015-03-07 23:18:54 | 日記
新年の誓いで毎日書く宣言をしてから、すでに二日飛ばしてしまった当ブログ。

それなりにちゃんと書こうと思うと続かない気がするし、だからと言ってTwitterみたいな投稿でお茶を濁すのも気が引ける。

とりあえずトピックの無い時は、起こった事でも記録しようかと思う。

今日は店。

作業リズムが合わず、修正に苦労。

午後、豊島区のリノベーションスクールのチーム取材を受ける。

前々から様々なルートで若干つながりあるんだな。

リノベーション流行りではある。
大事なのは果たしてリノベーションなのかという根本の問いをしつつも、こういった活動には協力は惜しまないのは僕のスタンスだ。



臨時休業だから

2015-03-04 16:56:01 | 日記
不幸絡みでない臨時休業というのはいいものだ。時間というのがこうも沢山有るものなのだという事に気づかされる。
それは見方を変えれば、普段金を稼ぐ為だけの行動に、どれだけ時間を捨てているかに気づく、とも言える。
まあ、こんな事を言うと反発食らうんだけど、僕の価値基準では金のプライオリティは比較的後方なのだから仕方あるまい。
何れにせよ今日は、妻も諸用で出かけていた為、時間を自由に区切って動いていい日になっていた。そんな訳で昨晩からそのプランニングに心踊らせていたわけだ。
まあ今の僕には、自ら手を上げてしまった(誰も手を上げないのだから仕方あるまい)故の幾つかの役割があって、ぼちぼちそれらも処理していく必要があるので、午前中は商店街事務所に籠って書類作成をしていた。
それが捗ったのかさえサッパリ分からないくらい、やった事のない作業。ネットで調べたり事前資料を広げたりしながら、ある程度を作成。明日、最終的に専門家にレクチャーを受けながら仕上げて提出する流れになっている。
ちなみに全てボランティア。
でもいいの。これで一つスキルを獲得出来るから。
僕はね、「出来ることをやる」のではなくて「出来るかどうか微妙だけど、なんとかなるかな」位の仕事を好む傾向があるんだよね。
出来る事ってのは、もはやはただの作業だからね。考えなくて出来ることはつまらないんだ。
それにしても本当に終わるのだろうか…。まあ、なるようになるだろうけど。期限は明後日…。

午前中をそうやって過ごしたのち、一旦帰宅してパソコンカバンをギターケースに背負いなおし、次の目的に出発。
今月の22日(日)に地元東長崎のBAR魂というお店で、恒例の我が音楽二人組ユニット「竹宮30年」のライブを開催する。メンバーお互いに時間をぬっての活動のため、個人練習中心であとは殆どぶっつけ本番で挑むことが多い。
それでも息が合うのは、やはり高校からの長年の付き合いが成せる技と言えよう。
しかし準備は欠かせない。
という訳でカラオケ店で一人練習。
次回のLIVEではリコーダーを多用するつもりでいる。今日は練習用のプラスチックリコーダーを持参。このリコーダーは小学校の時から使っているよ。

本番では木製リコーダーをつもりだ。と、思ったところで気づいた。
練習で使ったリコーダーはジャーマン式ではないか。
本番使いのやつバロック式で、指遣いが微妙に違うんだ。久しぶり過ぎて忘れとった。
むむ、本番までに修正しないと。