竹田克也 オフィシャルブログ 「王子活動中」

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夏の葬列 〜横須賀の叔父さんとのお別れ

2016-07-20 08:43:13 | 日記


17日に叔父が亡くなり、急遽お店を休んで通夜、告別式に参列した。

叔父は横須賀の三浦学苑高等学校の教員として働き、生徒指導などで活躍されていたと聞く。

親戚の私にとっては、怒ってるわけじゃないけど見た目と声色で何か怖い叔父さんという印象はあった。よくよく考えると多分怒られたことは数度も無いと思う。

叔父さんは定年退職後、数々の病気に見舞われ、通院、入院を繰り返しながらも、会えばいつもの調子で「おら!かつや!こっちこい」と、若い頃よりは多少弱った声で力強く呼びつけられたりした。

小学生の時、毎年何日間か横須賀の家に預けられていた。

今思えば多分預けられたのはそんなに長い期間ではないのだと思う。しかし夏の思い出といえば横須賀の夏という位に、ジリジリ照りつける暑さと横須賀の家の周囲の景色が今でも体にしっくりきている。

叔父は現役の教師だったので夜にならないと戻らなかった。おじいちゃんやおばあちゃん、おばちゃんよりも少ない交流しか無かったと思う。

記憶違いかもしれないが印象に残ったエピソードがある。

ある年、私は1人で横須賀に泊まった。

帰るとき、横須賀中央駅まで車で送ってくれたのが叔父だった。

叔父は当時乗っていたハイエースで、演歌をかけながら運転していた。

多分回り道だったと思う。三浦海岸の美しい景色が見られる海沿いの道を選んで車を走らせてくれた。特に何も言わず。お気に入りの演歌を、ダミ声で上機嫌に口ずさみながら、車を飛ばす叔父。そんな風景が通夜の間に思い出された。


今回の葬儀では受付の役を承った。

本来ならお店をやっている時間帯。

三浦半島は梅雨明けを思わせる静かな夏の様相で、セミが大きな声で鳴いていた。

夏の暑さを蝉の声が演出する中、法要のお経が少し向こうに聞こえた。ゆったりとした時間の流れに身を委ねるだけの時。

その1つ1つの音を感じ、感受性を揺さぶられ、特殊な時間を味わった。

以前、いたずらに叔父さんのディフォルメした似顔絵を描いた事があった。多分手紙を書いた時に添付したのだと思うが、いつ何のために描いたかは失念した。その事を通夜の後で思い出し、絵を入れているファイルを物色したら原画があった。



せっかくなので親戚の皆さんに見てもらおうと思い立ち、告別式に向かう途中のコンビニで2枚コピーを取っていった。一枚は家族に、一枚は棺に納めるために。

出棺の時。

叔父さんの棺に似顔絵を納め、祭壇に飾ってあった花を敷き詰めていった。

棺の中の叔父さんは、病気との戦いから解放された安堵の表情にも見え、幼少の頃に見ていた叔父さんそのものだった。叔父さんのキャラクター的には似合わないのに棺いっぱいに花を敷き詰められて、何だか可愛らしくなった。

男衆で棺を運んだのだが、叔父さん、重かったな。

私は火葬場に行かず、そこでお見送りをした。

叔父さんを乗せた霊柩車は合掌する私の前を通り過ぎ、お寺と目の前にある元職場の高校の間をゆっくりくぐり抜けて行った。


「俺メディア宣言」参議院選挙を終えて。

2016-07-11 16:26:43 | 日記
今回の選挙を通じて気づいたことがあります。

「私自身がメディアである」ということです。

それはインターネットで発信するという意味だけでは無く、普段の生活の全てが情報発信であるという気づきです。

三宅洋平の支持を広げようと思い、これまでやってこなかった直接的なアプローチを色々やってみました。

多くの人の投票行動って、行く前日から下手すると当日に選挙公報を読んで短い中で選んでいます。

中には直前にポスターしか見ないで決める人もいるそうです。

そもそも驚愕したのが、前日に「明日投票日ですね」と声をかけたところ、「え!?投票日?何の?」という反応。

私よりもずっと年上の人なのに酷いものです。

しかし知らない人がいるなら伝えればいいじゃん、という事なんです。

知らない人がいるんだから、しっかり私が支持している事を伝えることは、私自身がメディアとなって伝わっていない事を伝えることが出来るんだということが最大の収穫です。

選挙後、私が送ったLINEを見て三宅洋平を知り、公約を読んで気に入ったから投票したという報告もいただきました。

私の普段の活動を見ていてくれて、「君の入れる人に入れたい」と言ってくれた近所のおじさん、投票日前日に「忘れるといけないから推している人の名前書いて」と言ってメモを渡してきた料理屋の女将さん、そういう人たちもいました。

「迷惑なLINE送るな。ブロックするぞ」という反応もあったのは残念でしたが、それは覚悟していた部分ですので仕方ありません。

むしろ今まで選挙というものを見誤っていたのは私の方です。選挙って未来の社会を決める事なのに、何で今までもっと熱狂的にやってこなかったのかと思いました。

私が推したい人がいたら「俺はこの人を国会に送りたいんだ。政策見てくれ」と言って情報提供する事が大事だったのに、やはりどこか行動を制約する自分がいましたね。

三宅洋平に対しネガティブな情報が選挙後更に増えておりますが、投票結果を見ても自民の1議席を追う候補として三宅洋平を選んだ事は間違いではなかったと思います。

もし無所属の横粂氏が通ったとしたら、彼の経歴を見るにおそらく自民党の追加公認になったと思います。

これからが正念場です。

私としては改憲勢力が2/3に達した今でも、実は平和の党である公明党に期待しています。

そういうメッセージを記事だったり直接であったり、どんどん発信していくメディアに自分自身がなる事を今回の選挙を通じて決めました。

メディアのせい。

確かにメディアは国会外野党としての役割を忘れたような報道しかしていないと思います。

投票締め切り後に、テレビで改憲案の比較や日本会議に踏み込んでいましたが、遅いですよ。

本当の公正中立ってポジもネガもちゃんと両方あげる事じゃないのですか。

その役割を果たせていない今のメディアの罪は重いです。

しかし同時に私たち一人一人が発信者になれる現代、長々書く必要もありませんが、調べて考えた末選んだ候補者の名前を伝えるくらいの事は誰でもできる事だと思いますし、それらを尊重出来る事が成熟した民主主義社会の入り口だと思います。

これで1つレベルアップ出来たかもしれません。

これからもしっかりと地方議会から国会まで、私たちの生活の一部として見ていきたいし影響を与えていきたいと思います。「俺メディア」として。

その為には、当選した人たちとも対話していく事が大事だと思います。

やってやれないことないよね。