17日に叔父が亡くなり、急遽お店を休んで通夜、告別式に参列した。
叔父は横須賀の三浦学苑高等学校の教員として働き、生徒指導などで活躍されていたと聞く。
親戚の私にとっては、怒ってるわけじゃないけど見た目と声色で何か怖い叔父さんという印象はあった。よくよく考えると多分怒られたことは数度も無いと思う。
叔父さんは定年退職後、数々の病気に見舞われ、通院、入院を繰り返しながらも、会えばいつもの調子で「おら!かつや!こっちこい」と、若い頃よりは多少弱った声で力強く呼びつけられたりした。
小学生の時、毎年何日間か横須賀の家に預けられていた。
今思えば多分預けられたのはそんなに長い期間ではないのだと思う。しかし夏の思い出といえば横須賀の夏という位に、ジリジリ照りつける暑さと横須賀の家の周囲の景色が今でも体にしっくりきている。
叔父は現役の教師だったので夜にならないと戻らなかった。おじいちゃんやおばあちゃん、おばちゃんよりも少ない交流しか無かったと思う。
記憶違いかもしれないが印象に残ったエピソードがある。
ある年、私は1人で横須賀に泊まった。
帰るとき、横須賀中央駅まで車で送ってくれたのが叔父だった。
叔父は当時乗っていたハイエースで、演歌をかけながら運転していた。
多分回り道だったと思う。三浦海岸の美しい景色が見られる海沿いの道を選んで車を走らせてくれた。特に何も言わず。お気に入りの演歌を、ダミ声で上機嫌に口ずさみながら、車を飛ばす叔父。そんな風景が通夜の間に思い出された。
今回の葬儀では受付の役を承った。
本来ならお店をやっている時間帯。
三浦半島は梅雨明けを思わせる静かな夏の様相で、セミが大きな声で鳴いていた。
夏の暑さを蝉の声が演出する中、法要のお経が少し向こうに聞こえた。ゆったりとした時間の流れに身を委ねるだけの時。
その1つ1つの音を感じ、感受性を揺さぶられ、特殊な時間を味わった。
以前、いたずらに叔父さんのディフォルメした似顔絵を描いた事があった。多分手紙を書いた時に添付したのだと思うが、いつ何のために描いたかは失念した。その事を通夜の後で思い出し、絵を入れているファイルを物色したら原画があった。
せっかくなので親戚の皆さんに見てもらおうと思い立ち、告別式に向かう途中のコンビニで2枚コピーを取っていった。一枚は家族に、一枚は棺に納めるために。
出棺の時。
叔父さんの棺に似顔絵を納め、祭壇に飾ってあった花を敷き詰めていった。
棺の中の叔父さんは、病気との戦いから解放された安堵の表情にも見え、幼少の頃に見ていた叔父さんそのものだった。叔父さんのキャラクター的には似合わないのに棺いっぱいに花を敷き詰められて、何だか可愛らしくなった。
男衆で棺を運んだのだが、叔父さん、重かったな。
私は火葬場に行かず、そこでお見送りをした。
叔父さんを乗せた霊柩車は合掌する私の前を通り過ぎ、お寺と目の前にある元職場の高校の間をゆっくりくぐり抜けて行った。