竹田克也 オフィシャルブログ 「王子活動中」

ミュージシャン&総菜屋「やきとり王子」こと竹田克也は、毎日東長崎で活動中!

2016年を振り返る

2016-12-31 20:31:53 | 日記

さて2016年も終わる。

今年をざっと思い返しただけでも、未来の私から「2016年はターニングポイントだったね」と言われるような一年だったと言えそうだ。

家業の惣菜店を営みながら音楽制作・演奏をする兼業音楽家を標榜しつつ、地域のまちづくりや政治活動に至るまで様々な活動をしてきたのはこれまでと同じ。

ただそれら活動の一つ一つが、これまでとは違った意味を持ち始めてきたとでも言おうか、昨年までとは明らかに違う感覚に変わった。

来年の同時期に確認する意味を込めて、ここに記録を残す。

 

 

§ やきとりキングが週休二日に!

9月に母が検査で入院する事となった。(今はもう復帰している)

家族三人で回していた「やきとりキング」にとって母の存在は大きく、それを穴埋めするためのバイト募集などこれまでやってこなかった事を始める事となった。

それに加えてお店の定休日を一日増やし、月曜・火曜定休にした。

これは母の入院という事がきっかけではあったが、数年前から考えてきた運営方式であった。

月曜日をまる一日休業とし、火曜日は午前中だけ仕込みをする。

しっかり商品がそろう形を作ることで水曜日から戦える形をつくる事で収益を確保する、という事だ。

そもそも、生活するうえで本当に必要なお金はそう多額ではない。その金額と生活サイクルを見つめると必要な労働収益というものが見えてくる。

この判断の結果、漠然と店を開けていることが収益性を確保する事とは関係ない事がわかった。

それと同時にお店の軸足を再確認でき、店舗運営のメソッドのようなものを見出すことが出来そうだ。

来年からはより経営的なものを実践していき、代替わりをいつでも受け入れられる準備を進めていけたらと思う。

これらはダウンシフター髙坂勝氏の影響も多分にある。

働くことに私たちの時間の多くを刈り取られる現状に対するアンチテーゼを示していく事は、街場の小さなな惣菜店からも出来るんだぜ!という事を実証を交えて今後も伝えていきたい。

ちなみに近所のパン屋さんが、うちの影響で飛び石で週2休だったのを連休に変えた。

体がとても楽になったと言っていた。

商品も集約した。

必要な事を見出す作業は来年も続く。

 

§ 音楽活動が少し活発化

地元地域の老人ホームでのコンサートを春からスタート。

多くの方に聞いていただける機会が増えたと同時に、自分の歌が人の役に立っているという実感が生まれた。

今年の大きな変化の一つが「依頼されて作曲した」という事だ。

近所の雑貨屋さんが関わっている豊島区のアートステーションという活動があって、その企画の一つ「みんなで踊れる創作ダンスを作ろう」という話が私に振られてきた。

子供向けの音楽という事を基本にして、詩が届いてから二日で作り、10日後には振付の方がつけたダンスで発表するというスピード制作が出来た。

それが「おのずのダンス」という楽曲。

完成後は老人ホームや保育所で何度もパフォーマンスをすることが出来た。

 

§ 商店会の役員をやめる

感情の行き違いから商店会の役員を降りる決断をした。

以前より目標の置く場所のずれがある事には気づいていたが、そこを埋め合わせる力量が私にはなかったな、というのもあるが、そうなったら仕方ない。

些細な事がトリガーとなったが、社会は建前で動いているという大前提を理解していても、建前を本音が凌駕してしまう瞬間というものを久々に体験した。

よかった事もあった。

諦めることも進んでいくために必要な時があると痛感した事。

余剰が出来たことでその他の行動がやりやすくなったこと。

 

§ ながさきむらはちょっと停滞期

まちづくり会議ながさきむら村議会も5年。

ラジオ体操や定例会は続けているものの、独自企画のイベントは企画途中で頓挫。

ただ、会発足当初の「雑談をしよう」に立ち返りつつあり、当まちづくり会議的には正しい方向性に軌道が修正されたという印象を持っている。


§ 総括

挫折と進化というのが最もしっくりくるように思える。

離れる事、新しく出会う事、新しいコミットメント、そこはこれまでと変わりなく。

しかし、動かいたかったことが頓挫したり、何となく「成していない」感覚が脳裏にこびりついていたナイーブな一年だったと思う。

来年に向けた新しい動きも始まりつつある。

一歩でも前に歩みを進めるべく、太陽暦の年を越したいと思う。

 

 

 

 

 


夏の葬列 〜横須賀の叔父さんとのお別れ

2016-07-20 08:43:13 | 日記


17日に叔父が亡くなり、急遽お店を休んで通夜、告別式に参列した。

叔父は横須賀の三浦学苑高等学校の教員として働き、生徒指導などで活躍されていたと聞く。

親戚の私にとっては、怒ってるわけじゃないけど見た目と声色で何か怖い叔父さんという印象はあった。よくよく考えると多分怒られたことは数度も無いと思う。

叔父さんは定年退職後、数々の病気に見舞われ、通院、入院を繰り返しながらも、会えばいつもの調子で「おら!かつや!こっちこい」と、若い頃よりは多少弱った声で力強く呼びつけられたりした。

小学生の時、毎年何日間か横須賀の家に預けられていた。

今思えば多分預けられたのはそんなに長い期間ではないのだと思う。しかし夏の思い出といえば横須賀の夏という位に、ジリジリ照りつける暑さと横須賀の家の周囲の景色が今でも体にしっくりきている。

叔父は現役の教師だったので夜にならないと戻らなかった。おじいちゃんやおばあちゃん、おばちゃんよりも少ない交流しか無かったと思う。

記憶違いかもしれないが印象に残ったエピソードがある。

ある年、私は1人で横須賀に泊まった。

帰るとき、横須賀中央駅まで車で送ってくれたのが叔父だった。

叔父は当時乗っていたハイエースで、演歌をかけながら運転していた。

多分回り道だったと思う。三浦海岸の美しい景色が見られる海沿いの道を選んで車を走らせてくれた。特に何も言わず。お気に入りの演歌を、ダミ声で上機嫌に口ずさみながら、車を飛ばす叔父。そんな風景が通夜の間に思い出された。


今回の葬儀では受付の役を承った。

本来ならお店をやっている時間帯。

三浦半島は梅雨明けを思わせる静かな夏の様相で、セミが大きな声で鳴いていた。

夏の暑さを蝉の声が演出する中、法要のお経が少し向こうに聞こえた。ゆったりとした時間の流れに身を委ねるだけの時。

その1つ1つの音を感じ、感受性を揺さぶられ、特殊な時間を味わった。

以前、いたずらに叔父さんのディフォルメした似顔絵を描いた事があった。多分手紙を書いた時に添付したのだと思うが、いつ何のために描いたかは失念した。その事を通夜の後で思い出し、絵を入れているファイルを物色したら原画があった。



せっかくなので親戚の皆さんに見てもらおうと思い立ち、告別式に向かう途中のコンビニで2枚コピーを取っていった。一枚は家族に、一枚は棺に納めるために。

出棺の時。

叔父さんの棺に似顔絵を納め、祭壇に飾ってあった花を敷き詰めていった。

棺の中の叔父さんは、病気との戦いから解放された安堵の表情にも見え、幼少の頃に見ていた叔父さんそのものだった。叔父さんのキャラクター的には似合わないのに棺いっぱいに花を敷き詰められて、何だか可愛らしくなった。

男衆で棺を運んだのだが、叔父さん、重かったな。

私は火葬場に行かず、そこでお見送りをした。

叔父さんを乗せた霊柩車は合掌する私の前を通り過ぎ、お寺と目の前にある元職場の高校の間をゆっくりくぐり抜けて行った。


「俺メディア宣言」参議院選挙を終えて。

2016-07-11 16:26:43 | 日記
今回の選挙を通じて気づいたことがあります。

「私自身がメディアである」ということです。

それはインターネットで発信するという意味だけでは無く、普段の生活の全てが情報発信であるという気づきです。

三宅洋平の支持を広げようと思い、これまでやってこなかった直接的なアプローチを色々やってみました。

多くの人の投票行動って、行く前日から下手すると当日に選挙公報を読んで短い中で選んでいます。

中には直前にポスターしか見ないで決める人もいるそうです。

そもそも驚愕したのが、前日に「明日投票日ですね」と声をかけたところ、「え!?投票日?何の?」という反応。

私よりもずっと年上の人なのに酷いものです。

しかし知らない人がいるなら伝えればいいじゃん、という事なんです。

知らない人がいるんだから、しっかり私が支持している事を伝えることは、私自身がメディアとなって伝わっていない事を伝えることが出来るんだということが最大の収穫です。

選挙後、私が送ったLINEを見て三宅洋平を知り、公約を読んで気に入ったから投票したという報告もいただきました。

私の普段の活動を見ていてくれて、「君の入れる人に入れたい」と言ってくれた近所のおじさん、投票日前日に「忘れるといけないから推している人の名前書いて」と言ってメモを渡してきた料理屋の女将さん、そういう人たちもいました。

「迷惑なLINE送るな。ブロックするぞ」という反応もあったのは残念でしたが、それは覚悟していた部分ですので仕方ありません。

むしろ今まで選挙というものを見誤っていたのは私の方です。選挙って未来の社会を決める事なのに、何で今までもっと熱狂的にやってこなかったのかと思いました。

私が推したい人がいたら「俺はこの人を国会に送りたいんだ。政策見てくれ」と言って情報提供する事が大事だったのに、やはりどこか行動を制約する自分がいましたね。

三宅洋平に対しネガティブな情報が選挙後更に増えておりますが、投票結果を見ても自民の1議席を追う候補として三宅洋平を選んだ事は間違いではなかったと思います。

もし無所属の横粂氏が通ったとしたら、彼の経歴を見るにおそらく自民党の追加公認になったと思います。

これからが正念場です。

私としては改憲勢力が2/3に達した今でも、実は平和の党である公明党に期待しています。

そういうメッセージを記事だったり直接であったり、どんどん発信していくメディアに自分自身がなる事を今回の選挙を通じて決めました。

メディアのせい。

確かにメディアは国会外野党としての役割を忘れたような報道しかしていないと思います。

投票締め切り後に、テレビで改憲案の比較や日本会議に踏み込んでいましたが、遅いですよ。

本当の公正中立ってポジもネガもちゃんと両方あげる事じゃないのですか。

その役割を果たせていない今のメディアの罪は重いです。

しかし同時に私たち一人一人が発信者になれる現代、長々書く必要もありませんが、調べて考えた末選んだ候補者の名前を伝えるくらいの事は誰でもできる事だと思いますし、それらを尊重出来る事が成熟した民主主義社会の入り口だと思います。

これで1つレベルアップ出来たかもしれません。

これからもしっかりと地方議会から国会まで、私たちの生活の一部として見ていきたいし影響を与えていきたいと思います。「俺メディア」として。

その為には、当選した人たちとも対話していく事が大事だと思います。

やってやれないことないよね。


アベ政治を許さない、とは言わないから とりあえず原発止めてみようよ

2016-04-16 20:40:38 | 日記
あべちゃん、取り繕わないでいいから。

やばいならやばいって思っていいんだから。

僕は「アベ政治を許さない」なんてセンスのないこと言わないから。

上手くいっていないなら、上手くいっていないと認めるところから次の方法を考えればいいじゃない。

仮にそれで政権が変わってもいいじゃない。

だって、そもそも国を良くする為にお仕事しているなら、他の人があべちゃんより上手にできるなら、それでもいいじゃない。

この未曾有の災害時、民主党政権時に起こったような原発事故、今起こったら大変なのはわかっているよね。

だったらさ、こういう時に政治判断て使うんじゃないかな。

とりあえず、とりあえずでいいから、一回止めよう、被災地近くの原発。

もし再稼働する時のコストを計算しなくていいから。止めてから考えよう。それが出来るのは現政権のトップで国のトップのあなただけなんだからね。

個人的には原発は 無くして欲しい。

でもそれは、今の状況が収束した後に話だ。

収束するまで、とりあえず、止めよう、原発。

思いは空を通じて過去に飛ぶ

2016-04-07 06:58:18 | 日記
今日は雨。

朝降ってなかったからラジオ体操時間に来てみたけど、着いた途端に雨脚が強くなったので、体操は中止。気合い入っているところは雨天でもやるらしいけど、そこまではいいかな。

ラジオ体操も始めてから何年だろう。

当初土日はやっていなかったけど、二年前から参加者の要望で雨天以外は年中無休になった。

二年前か。


昨日は地域の小学校が入学式。おろしたてのランドセルを重そうに背負いながら、式典用の素敵な洋服を着た子たちが少し緊張気味な表情で出かけて行った。

僕はその姿を見送りながら、ついついその姿にある想いを重ねてしまい、魂は二年前へと回帰してしまった。

ラジオ体操を年中無休にした二年前。

別れの多い年だったな。