久しぶりの更新。ちょっと長い文章を書きたくなったので。
八月も終わりに近づいた。
この時期になると街はソワソワとしてくる。
毎年九月第二週目の土日は、地元長崎神社の例大祭。
この二日間に向け各町会で氏子会が結成され、神輿の巡回ルートの設定や子供たちを楽しませる為の準備に日々を費やす。
この時期は他の事は考えられなくなると言っても過言でないくらい、一年に一回の祭りに向けて気持ちを高ぶらせていくのだ。
私は地域の郷土史に関心があり、祭りの歴史についても調べた。
調べる中で柳田國男が文化人類学的に体系づけた「ハレ」と「ケ」という概念に出会い、それを元にして街の一年を捉えるようになった。
先日、文化人類学に興味のある若者と会話している時に、「ハレ」「ケ」の話になった。
「ハレ」が祭であるのに対して「ケ」は日常であると解釈するのだが、「ケ」に充てる文字は「気」であるという説を教えてくれ、更に「ケガレ(気枯れ)」という言葉があり、「気(ケ)」が「枯れ」ていくので一年に一回それをリセットする為の「ハレ」があるという事を教えてもらった。
私はちょっと見齧った知識しかなかったので、この新しい情報は新しい観点を与えてくれた。
町会ごとの氏子会という組織自体、町会が組織された以降の話であり近代である。
それまでは長崎村を字に区切り、それぞれが輪番で長崎神社の祭を仕切った。
その伝統とは明らかに違う形で祭りは存在している事に目を向けてみると面白い事に気づく。
つまり伝統というのは何かしらの力で作られる、という事だ。
町会が組織され、更に経済的に上向きになった時期があったから、各町会ごとに神輿を調達する事が出来たと推測される。
それと同じように、そもそも「ハレ」と「ケ」についても自然に生まれた概念というのに疑問が持たれる。
私たちは辛い日常(ケ)を生きているうちに気が枯れていく(ケガレ)。そんな「溜まった不満を解消させる為に仕掛けたのが祭(ハレ)である」という仮説が見出された。
それが意味しているのは支配の為の装置としての祭という見方だ。
ハレ、ケに見出される一年の形を踏襲し続けるという事は、もしかしたら支配の系譜から逃れていない証拠なのかもしれない。
もちろんこれらは私の思い付きであって、仮設の域は抜けない推測ではあるが、研究の材料として観察するには良いテーマではないかと思うのだ。
しかし、そうは言ってみたが私はそんな祭が大好きである。
私はここ数年、神輿を「地域」に見立てて担いでいる。
「私はこの街を支え、引き継いでいく人間の一人であるという誓いを神にする」という意識が数年前から芽生えるようになったのだ。
担ぐ高揚感、疲労感、汗と酒の力もあいまってか、ある種の神秘体験のようなものも感じる事もある。それが祭の大きな魅力なのである。
そんなメンドクサイ事しのご言わずに楽しめばいいんだ!と思われるかもしれないのだが、そこを論理化しようとするのが私の癖なので仕方がないのである。
この神輿を通じて地域のみんなと目標を共有する体験をする事は大切である。神輿はそれを僅か二日の間でしっかりと体験できる素晴らしい機能だ。
しかし所謂「ハレ」「ケ」の概念とは違った見方をしていかないと、一年のはらいせの為の祭でしかなくなってしまう。
祭の為の一年という見方をしてしまうと、変化して行く社会や環境を見落としてしまう。
近代が生み出した概念でしかない「伝統」だったり人集めの為のイベントではない、祭の形を考察しなおす時期にあるのではないだろうか。
一つの答えは、ながさきむら村議会で行った「ランチタイムコンサート」のようなお金では無くできる事を持ち寄って作り上げる祭、という形はあるのではないかな、と手前味噌ながら思う所である。