ここに座って頬杖ついてホットミルクを手で包む。目をつぶる。ベルクは年中無休だか私には臨時休業日がある。
レゴカメラで
対象が要る。
テーマから対象が絞られるのか、それとも対象からテーマが浮かび上がるのか、どちらだろう。
そもそもテーマって…。うーん。
言いたい事やりたい事かしら。それを一歩進めて言い表したいことって意味かしら。うーん。
ブログは(当然ながら)フィクションでノンフィクション。
「カケラであって全てです」というのは嘘じゃないし「いっしょうけんめい」もほんとうだ。書いた事に嘘はないが正確な日記でもない。
「事実」はそのままでは「真実」未満だ。
私はここで歌いたい。歌うのは誕生日や婚礼や息災を祝うような鳥の声のような歌だ。
私はここで卒業制作をやって自分への請求書をまとめて、そんなことをしたい。つまりラブレターで、自分新聞で、遺言のような。それを少しずつ少しずつ作っていくということだ。下手でいい。下手も上手もないのです。
いつか終わる日が来るだろうけれど、たぶん完成は無い。
昭和58年の文庫本は、現在のものより活字がずいぶん小さくて驚いた。
何度目だろう。あらためて読もうと思ったのにはわけがある。
キングが何十年もかけて書いた集大成である『ダークタワー』シリーズをもう一度最初から読んでみようと思ったからだ。その予備段階として初期の作品をさらに深く知っておきたかったからだ。
キングの作品はそれぞれ独立していながらもどこかが繋がっている物が多い。この『呪われた町』の登場人物の一人が後年他の物語のキーパーソンとして登場したとき、私はなんとも言えない感慨に包まれた。その人物はこの小説で果たせなかった、はみ出した部分を、後の小説に登場した時に果たすことになる。
「自分で買ったものは自分で引き取らなければならない」そして引き取ったら…自分で始末をつけることだ。よい始末になることを祈る。
物語の中の時間、キングの作家としての時間、そして読んできた私の時間…。
初期のキングの作品は、地域の時間が実にみずみずしく描写されていた。1975年のアメリカの片田舎が。