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今日は、天皇陛下の84回目のお誕生日でした。84才になられました。もう少しで12月23日の
天皇誕生日は終わります。生前退位を希望され、皇太子様が即位されます。生前退位に伴う準備のた
めの35億円以上の予算が来年度組まれています。生前退位がなかったら多分100億円以上の税金の
無駄遣いはなかっただろうと考えると複雑な気分です。祝日には、国旗を掲げるのにすっかり忘れてい
ました。例年ですと一般参賀を必ず拝見して、女性皇族の装いをチェックしていたのですが、、、
皇室を崇敬する気持ちが、すっかり冷めてしまったようです。残念です。
天皇陛下の会見では、今年も災害や戦争で苦労した人への言及が目立ったそうです。言及は目立って
いるのですが、一方で大金を使わなければならない生前退位の意向の表明をしています。生前退位に
使う費用を被災者や被災地の救援に使ったら、どれだけ多くの事ができただろうかと考えています。
宮内庁のHPに天皇陛下の会見の言葉が掲載されています。一部転載します。
”””また,それに先立つ9月に埼玉県日高市にある高麗神社を参拝しました。今から約1300年前に,高句麗からの渡来人がこの地に住み,建てられた神社です。多くの人に迎えられ,我が国と東アジアとの長い交流の歴史に思いを致しました。
私たちの初孫である,秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が9月に内定し,来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく,二人の幸せを願っています。
この度,再来年4月末に期日が決定した私の譲位については,これまで多くの人々が各々の立場で考え,努力してきてくれたことを,心から感謝しています。残された日々,象徴としての務めを果たしながら,次の時代への継承に向けた準備を,関係する人々と共に行っていきたいと思います。””
この高句麗神社の参拝は、唐突でした。皇室ゆかりの靖国神社や氷川神社には参拝しないのに、高句麗
神社に参拝するのは、政府や国民の反対を押し切って、韓国訪問を実現するためでないかと言われてい
ます。政府の言うことを聞かずに行動するある意味あぶない方ですね。生前退位もそうでした。
あの眞子様を私たちの初孫であると言われていますね。画像の検証では、あの大顔ですぐに別人だと分か
るのですが、あくまでも私たちの初孫であると言われるのです。どうなっているのでしょうか?
私の譲位についてとおっしゃっていますが、政府は譲位には政治的な意味合いが加わるから退位という
言葉を使っていると言われていますが、天皇陛下は譲位とおっしゃいますか?
今年は、戦争の反省をしなくてはいけないという言葉は、なかったようです。戦争を経験していない
国民が多くなっている現在、戦争の反省ではなく近代から現代の歴史をよく学習する事が大切だと
思いますが、天皇陛下は時として国民に戦争の反省を迫る言葉を出されています。私は戦争責任は
国民にあるとは思えませんが、、、美智子様は、戦勝国の決めたA級戦犯という言葉をお誕生日の
言葉の中で唐突に使われています。戦争と関係の深かった皇室の責任には触れないで、いつの間に
か前の大戦の責任は、日本国民にあるとしたいのかも知れません。
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ーーーーーーーーーーーーーーー朝日新聞より転載ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
天皇陛下、会見で声詰まらせたことも 伝えてきた思い
朝日新聞 2017/12/23(土)5:09配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171223-00000009-asahi-soci
継承に向け準備を行っていく――。天皇陛下は誕生日前の会見で、2019年の退位に向けた思いを語った。即位から29年。年に1度の誕生日の機会に、陛下はこれまでも様々な思いを伝えてきた。
【写真】84歳の誕生日を前に記者会見に臨む天皇陛下=20日、皇居・宮殿「石橋の間」、代表撮影
会見は20日、皇居・宮殿の石橋(しゃっきょう)の間であった。獅子の能面を着けた演者が舞う日本画家・前田青邨作「石橋」を背に、陛下は約12分間、用意した文章をゆっくりと読み上げた。
九州北部豪雨被災地の復興の取り組みを「心強く思いました」と述べるなど、今年も災害や戦争で苦労した人への言及が目立った。
2~3月のベトナム初訪問を振り返った際も、戦後も日本に帰らずベトナムの独立運動に関わった「残留日本兵」の家族を「幾多の苦労を重ねました」と紹介。日本の家族と交流が続いていることに「深く感慨を覚えました」と述べた。
即位して最初の誕生日会見は1990年。宮内記者会の要望で、この年に限って皇后さまが同席した。陛下は「日本国民統合の象徴として現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたい」と語った。
繰り返し言及してきたのは戦争についてだ。70歳を迎えた2003年の会見で、最も悲しい出来事として「先の大戦」を挙げた。300万人以上の日本人のほか、多くの外国人の命が失われたことに言及した。
戦後70年の15年は、会見の半分ほどの時間を戦争や平和への思いにあてた。多くの民間船員の犠牲について言及した際には声を詰まらせた。戦争を知らない世代が増えるなかで「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と語った。
家族への思いも口にした。05年は、長女紀宮さま(黒田清子さん)が結婚して皇籍を離れて約1カ月後の会見だった。「これまでおかしいことで3人が笑うとき、ひときわ大きく笑っていた人がいなくなったことを二人で話し合っています」と父としての率直な思いを語った。
ただ、質問数は徐々に減った。初期は17問もあったが、05年には3問に。14年に2問になり、会見で時間が余った場合に記者がその場で質問する「関連質問」がなくなった。15年以降は1問となった。
誕生日会見の質問は、宮内記者会が事前に宮内庁を通じて陛下に伝える。宮内庁によると、陛下は毎回、資料を読むなど時間をかけて回答を考え、直前まで推敲(すいこう)する。高齢化に伴い、その負担が大きくなったことが削減の理由だった。
病気など健康への配慮で会見がなかったことも2回あるが、その際は文書で回答を寄せた。宮内庁幹部は「陛下は国民との接点として会見を大切にされてきた。象徴の務めの一つだと思っていらしたのだろう」と話した。(島康彦)
■天皇陛下の誕生日会見の変遷
1990年 即位後初。皇后さまも同席
1996年 冒頭、ペルー日本大使公邸人質事件に触れ、人質解放を「切に祈っております」と発言
2005年 冒頭、北陸地方を中心とした豪雪被害に言及。「心を痛めています」
2011年 前月に気管支肺炎で入院。会見ではなく文書で感想公表
2014年 時間が余った際の関連質問を受け付けなくなった
2015年 この年以降、質問は1問に制限
■早朝の散策、ほぼ欠かさず
宮内庁は天皇陛下の1年の近況を発表した。国事行為として、138人の認証官任命式のほか、内閣から届く955件の書類に署名や押印をした。地方には静養をのぞいて10県を訪問した。11月の鹿児島訪問で即位後全47都道府県を2巡した。宮中祭祀(さいし)24回。早朝の散策をほぼ欠かさず続けているという。(緒方雄大)
朝日新聞社
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この間は、盆栽と一緒の画像を公開し、この度は皇室にある芸術作品と共に写られています。
ヤフオク事件やティアラとネックレスが行方不明の件の拡散を気にされているのかも知れません。
しかし、ないものは出せないのでしょう。ティアラやネックレスがそうです。即位のパレードには
ティアラやネックレスを付けて臨まれるはずですが、ティアラを次へ渡す事はできるのでしょうか?