初冬のぽかぽかしたいい天気でしたね。
今日は夕方からゴスペルのワークショップでした♪
9月からスタート、10月に休みが入り、11月から後期再開。あと2回+リハとなります。今日はそのバイブルスタディーの中でのメッセージからです。
あるアメリカのミュージシャン(ワーシップリーダー)が話していました。
自分の子供が小さかった時にわがままで泣いてしまう子供に手を焼いていたそうです。子供が泣くと、お父さんかお母さんが急いで駆けつけて・・・を繰り返していたら、それがあまりもひどくなってきた。先輩に相談して、あるとき、泣いてもほおっておくことにしたそうです。
子供の部屋にその小さい男の子を寝かせて、自分達は自分の部屋に戻りました。案の定その子供はかまってほしくて泣き始めました。「がまん、がまん・・・」とその部屋から聞こえる泣き声を無視していたところ、そのパワフルな男の子は夜から朝の6時くらいまで、泣き続けたそうです。
朝になって、そのワーシップリーダーがびっくりしたのは、その子供が泣き始めから泣き終わりまで、声が全然疲れていない。声がかれてもいないし・・・と不思議に思っていたそうです。
後日、知り合いの専門家にその話をしたところ、そのお医者さんがこういったそうです。
「赤ちゃんは、自分の出せる声で泣くんだよ。無理に声を変えようとか、コントロールしようとか考えずに、自分の楽な声、素の声を出しているだけだから、何時間声をだして泣いても大丈夫なんだ」
........
そのワーシップリーダーが言っていました。
「自分が、誰かの声とか、音楽のスタイルを真似しようとして歌うとすぐに声がかれてしまって、のどが疲れてしまう。でも、自分の歌を、自分のスタイルで歌うなら、何時間でも神様を賛美し続けることが出来るんだ。」
「でもその人の真似をするとか、コピーするとかっていうことは、結局”自分が人からあの人のように見られたい”とか、”こういう風にしたら人に受け入れられるかも”という思いからそれをするんだよね。
でも、あの何時間も泣き続けた子供のように、『自分の声』なら、何時間でも声が出せるんだよ。そして、実はあなたオリジナルの「声」、あなたオリジナルのスタイルというのは、神様があなたに与えてくださったもの。それが、一番美しいし、神様が喜んでくださるんだよね。」
これは音楽(声)の話ですが、私達の生き方も同じかな、と思いました。
着るものとか、
話し方とか、
仕事(趣味)の選び方とか、
これが流行っているから、とか、
これが年相応だから、とか、
こうあるべきだとか。
つまり、人が自分をどう評価するか、で自分を調整している・・・そんな生き方をしていないでしょうか?
そして、誰かの真似をして歌っているとのどが疲れて、声が枯れてしまうように、誰かのまねをして、人の目を気にして自分を演じていると、必ず、息苦しくて、疲れてカラカラになってしまう・・・。
あなたの与えられている『声』を知っていますか?
聖書には、神様が私達を”母の胎内にいるときに形造った”(イザヤ44)と描いてあります。そして私達に目的と、オリジナリティーをもって造ってくださった。
そして、その神様は、私達の「素の声」、そのままでいいんだよ、って言ってくださいます。
誰になる必要もないし、
なにかで隠す必要もない。
着飾る必要も、
かっこつける必要も、
言い訳することもいらない。
「そのまま」で・・・
わたしのところに来なさい。
~すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。<マタイ11: 28>
神様はあなた、このブログ読んでいるあなたにも、同じことばを神様は語りかけていてくださいますよ。
追記:今日の写真は、教会の庭にあるイチョウの木です。紅葉が最高潮!キレイでした♪
今日は夕方からゴスペルのワークショップでした♪
9月からスタート、10月に休みが入り、11月から後期再開。あと2回+リハとなります。今日はそのバイブルスタディーの中でのメッセージからです。
あるアメリカのミュージシャン(ワーシップリーダー)が話していました。
自分の子供が小さかった時にわがままで泣いてしまう子供に手を焼いていたそうです。子供が泣くと、お父さんかお母さんが急いで駆けつけて・・・を繰り返していたら、それがあまりもひどくなってきた。先輩に相談して、あるとき、泣いてもほおっておくことにしたそうです。
子供の部屋にその小さい男の子を寝かせて、自分達は自分の部屋に戻りました。案の定その子供はかまってほしくて泣き始めました。「がまん、がまん・・・」とその部屋から聞こえる泣き声を無視していたところ、そのパワフルな男の子は夜から朝の6時くらいまで、泣き続けたそうです。
朝になって、そのワーシップリーダーがびっくりしたのは、その子供が泣き始めから泣き終わりまで、声が全然疲れていない。声がかれてもいないし・・・と不思議に思っていたそうです。
後日、知り合いの専門家にその話をしたところ、そのお医者さんがこういったそうです。
「赤ちゃんは、自分の出せる声で泣くんだよ。無理に声を変えようとか、コントロールしようとか考えずに、自分の楽な声、素の声を出しているだけだから、何時間声をだして泣いても大丈夫なんだ」
........
そのワーシップリーダーが言っていました。
「自分が、誰かの声とか、音楽のスタイルを真似しようとして歌うとすぐに声がかれてしまって、のどが疲れてしまう。でも、自分の歌を、自分のスタイルで歌うなら、何時間でも神様を賛美し続けることが出来るんだ。」
「でもその人の真似をするとか、コピーするとかっていうことは、結局”自分が人からあの人のように見られたい”とか、”こういう風にしたら人に受け入れられるかも”という思いからそれをするんだよね。
でも、あの何時間も泣き続けた子供のように、『自分の声』なら、何時間でも声が出せるんだよ。そして、実はあなたオリジナルの「声」、あなたオリジナルのスタイルというのは、神様があなたに与えてくださったもの。それが、一番美しいし、神様が喜んでくださるんだよね。」
これは音楽(声)の話ですが、私達の生き方も同じかな、と思いました。
着るものとか、
話し方とか、
仕事(趣味)の選び方とか、
これが流行っているから、とか、
これが年相応だから、とか、
こうあるべきだとか。
つまり、人が自分をどう評価するか、で自分を調整している・・・そんな生き方をしていないでしょうか?
そして、誰かの真似をして歌っているとのどが疲れて、声が枯れてしまうように、誰かのまねをして、人の目を気にして自分を演じていると、必ず、息苦しくて、疲れてカラカラになってしまう・・・。
あなたの与えられている『声』を知っていますか?
聖書には、神様が私達を”母の胎内にいるときに形造った”(イザヤ44)と描いてあります。そして私達に目的と、オリジナリティーをもって造ってくださった。
そして、その神様は、私達の「素の声」、そのままでいいんだよ、って言ってくださいます。
誰になる必要もないし、
なにかで隠す必要もない。
着飾る必要も、
かっこつける必要も、
言い訳することもいらない。
「そのまま」で・・・
わたしのところに来なさい。
~すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。<マタイ11: 28>
神様はあなた、このブログ読んでいるあなたにも、同じことばを神様は語りかけていてくださいますよ。
追記:今日の写真は、教会の庭にあるイチョウの木です。紅葉が最高潮!キレイでした♪