友人の家で私がこの絵を見たとき、思わずその場に立ちすくんでしましました。この絵は以前どこかで見かけたはあったのですが、自分の目で直接みたのは初めてでした。
この絵の色も、光のさし方もすべてがあまりにも美しくて。そしてあのストーリーを思い出しました。
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聖書のある一場面で、イエス様が道端に座っていたこじき、盲目のバルテマイのそばを通りかかった場面です。
バルテマイは、イエス様がこられる、ということを知って叫び声をあげました。
“ダビデの子イエス様、私をあわれんでください!”
バルテマイが大声を出すと、沢山の"常識的“な人々は彼を叱り黙らせようとした、と書いてあります。
しかし彼はいっそう声を上げて叫びました。
“イエス様!私を哀れんでください!!”
その声を聞いたイエス様は、彼に近寄りこのように質問されました。
「あなたは私に何をしてほしいのか?」
よく考えたら、この質問はすこしおかしいと思いませんか?
この男性は、“盲目のバルテマイ”としてみんなに知られていた人でした。もしイエス様がすこしばかり観察して、想像力を使うならば、きっと、すぐにこの"盲目のバルテマイ“が願っているのは見えるようになることだ、と考えることはくらい簡単だったはずではありませんか?
それでも、イエス様は彼に聞かれました。
「あなたは私に何をしてほしいのか?」
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私の息子よ、娘よ、あなたの願いは何ですか? あなたが本当に願っていることは何ですか?
イエス様の質問の意味はこうでした。
私たちが自分自身の心に向き合うこと。
自分の心の願いをたとえ神様に対してであっても話すことにどんなに勇気がいるのかということ。
願いを言った後、落胆するかもしれないということに対する恐れと戦わなければいけないこと。
そして、自分自身の願いを知る、ということはそれに対して責任が生じるということ。
もしかしたら、私たちは自分を守ること、逃げることでいっぱいで、神様がどんなに私たちの願いを聞きたがっているのかさえも、知らなかったのかもしれません。
「あなたは私になにをしてほしいのか?」
もしこの質問をイエス様から聞かれたら、あなたはイエス様になんと答えますか?
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そこでイエスは、さらにこう言われた。
「わたしに何をしてほしいのか。」
すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
するとイエスは、彼に言われた。
「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」
すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
マタイ10:46-51
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主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。詩篇37:4
~~2009年にフェイスブックに書いたnoteを最近日本語訳したので載せてみました~~
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