大河ドラマ『光る君へ』を見ている関係で、やっぱり『源氏物語』読んでおいた方がいいかな、と図書館で角田光代の現代語訳を借りてはきたものの、残念ながらどうも私には『源氏物語』は合わないようだと感じている。
ただ、角田による『源氏物語1』の「文庫版あとがき」には得るものがあった。そこで角田は『源氏物語』の現代語訳を担当することになった時のことを
池澤夏樹さん個人編集の、日本文学全集のシリーズで、私が源氏物語の現代語訳を担当することが決まってから出版されるまでのあいだに、私自身もちょっとびっくりしてしまうくらい大勢の人からさまざまな声をかけられた。いちばん多いのはシンプルに「なんで?」である。その「なんで?」の内訳としては、「どのような経緯で?」「源氏物語、好きだったっけ?」「その間、小説はどうするのの?」というような感じである。仕事関係の人はもちろん、仕事が縁で知り合った源氏愛好家たち、サイン会などでお目にかかる初対面のかた、卒業以来三十年以上連絡をとっていない元同級生、文学好きらしい郵便局員のかた、と、本当にいろいろの方面から「なんで?」の疑問は寄せられた。(中略)
しかしながら「なんで?」といちばん強く思ったのは私自身だと思う。河出書房新社の編集部と、編者である池澤夏樹さんが協議の結果、源氏物語は私で、と決めてくださったとうかがったが、「なんで?」。河出の編集者にも池澤さんにも実際に質問してみて、いろいろ答えていただいたのだが、私にはすとんと納得できるものがなく、きっと「なんとなく」なんじゃないかなあと納得した。
と述べた上で、続けて
それよりも、私自身その「なんで?」は、他者に向ける質問ではなく、自身に向けるものだと、作業に入る前に気づいた。
少なくとも私は、物語本文を読まなかったとしても(失礼!)この1文だけで十分元が取れた、と思う。
世の中には、外に問うても答えの得られない問いがいくらでもある。そういう問いは結局、自分自身に向けて発するしかないのだ。そして自分自身が答えを探し当てるしか。
そして角田は、その「なんで?」という問いを自身に向けることで、彼女が『源氏』を現代語訳する理由と意味を見い出していく。それは私自身も納得できるものだが、それについては実際に『源氏物語 1』(河出文庫)を読んでもらおう。
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