何か心に傷を負ったとき
「でも私◯◯持ってるし」と思う呪文はかなり有効である。
◯◯はなんだっていい。
有形物であろうが無形物であろうが何でも良い。
そりゃあ社会的にもいいなぁと羨まれるものであればなお心には効果がある気がするが、周りから認められなくたってなんでも良い。
「あなたは知らないでしょうけれど私◯◯持ってますから」と心の中で思っておくとだいぶメンタルは安定する。
私は社会的に評価される人間ではないので、陰で悪口を言われたりすることはたくさんあるが、そんなに万年始終ウジウジしていないのは、鳥頭すぎて記憶していられないことと、「でも私◯◯持ってるし」という呪文があったからだなぁ、としみじみと気付いた。
なんで突然こんなことを書いたかと言うと、とあるブロガーさんの記事を読んで「でもあなた◯◯持ってるじゃない」と思ったからである。
あまりメンタルの調子の良くない方で
生きてる意味がわからない とか
いつも暗い気持ちで生きている とか
毎日がしみじみと辛い とか
やりたいと思うことは沢山あるのにできない とか
仕事以外何もしていない とか
まぁそれは日々色々思われているのだけれど
仕事して納税してるだけで150点だし
たまに釣りとかもしているし
株とかもやってるし
来なくなった新人を心配する優しさがあるし
1年に1度くらい電話がかかってくる高校の友人だっているし
あなた沢山持ってるものあるじゃないのと思ってしまった。
でも、辛いときって持ってるものに意識はやれないのよね…
持ってるからといって
特に生きる理由にはならないことも
私も十分分かるし。
持ってるけど…
死んだら席が空くからそれでご満足?
みたいな気持ちのときだってあるし。
まぁでも
たまにはしみじみと今持っているものを心に広げて眺めて幸せだなぁと思うことも大事だと思う。
ちなみに私が持ってるものは運。
運が悪いって1度も思ったことない。
不器量で中身もないけど運はある。
㊗人間初回ターンのビギナーズラックかもしれないし、ご先祖守護霊さんたちがステータスを面白そうだからという理由で運に全振りしてしまったのか良くわからないが、とにかく感謝している。