本当の私 やら
本当は○○したかった という
文字を見かけた。
単に「自分のことなのに自分が気づいてなかったわw」というあっけらかんとした感じではなくて
その言葉には凄い我慢して生きてるんだゾという自認識をひしひしと感じて、
かつ
その「本当」を選択していない自分が実際の本当であることに気づいていないのかな、とも思った。
こういうのメンタル努力家だと思ってて、「本当」に発生しうるリスクや今を失うデメリットも換算して選んでないわけで、選んでない中ではどうしようもないものね。
そのくせ「本当」を選んで失敗している他人を見てかえって選んでない自分に優越感を感じてたりするものだから手に負えない。
外から見た自分は行動で形づくられるものだから、本当はと言っている自分や本当はと言いながら本当を選んだ人をみる眼差しによって判断される。
本当教に入信している人にはあまり私は興味がない。
おもしろいと感じないし、一生付き合っていきたい人でもない。
お互い様だから関わりようがないけど、関わらない方がお互い幸せね。
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