そらんぢ堂

『そらんぢ』の【墓標】

索引は作品と成り得るか?

2022年10月25日 20時00分00秒 | 超雑記

とくに意味はないが、ふと思った。

 
索引のみでも作品になるのだろうか?
 
まだ参加したばかりのここでは、さすがに索引化はしていない。
 
成り果て前の私のとあるサイトから、『総索引』のページを貼り付けてみる。
どうだろうか?
ちゃんと見えるだろうか?
 
総数600篇の『詩のタイトル』の羅列に過ぎないこれらは、果たして作品として成立っているだろうか?
 
各々の詩は、作られた年代(一番旧いものだと30年以上も前)もまちまちで、背景もニュアンスもバラバラだ。
 
それらを一つにまとめた索引は、もしかしたら『空を仰ぐ人(当時)』を形作る、ある種の作品だったのかもしれない。
 
今はもう『詩的な落書き』としてしか書けない。
 
空を仰ぐ人は存在しないし、せいぜい『そらんぢ』として余生を文字で遊ぶ(他には何も出来ないから)くらいの事しか出来ないから。
 
何も思う事なく、淡々と揺蕩い流され行く日々の、時間の過ぎる様の何と言う速さだろうか。
 
明日はどんな日になるのだろうね。
 

ポリシーと言うか…(2023年2月追記あり)

2022年10月25日 12時30分00秒 | お知らせ的な
ポリシーと言う程の事柄ではありませんが、私は基本的にどなたもフォローいたしません(リアル知人は別として)ので、そこはご了承下さい🙏
私が【まだ】成れ果てになる前の『空を仰ぐ人』時代の各々の場所でもそうでした😇
フォローして下さる方には、基本自主性にお任せしています💡

※2023年2月より、フォローもNGとさせていただきました。あくまで閲覧だけはご自由にのスタンスで、改めて宜しくお願いします✨


小咄お米ちゃんシリーズⅡ✨

2022年10月25日 12時00分00秒 | 小咄
『おこめちゃん物語#2』
 
さてさて雀の涙と言う言葉を生み出した(大嘘)おこめちゃんとお婆さんですが、穏やかな暮らしは今日も続いておりました。
 
川に洗濯に来ていたお婆さんとおこめちゃん。そこに上流から「ドンブラコ…ドンブラコ…」と、控えめに黒い粒が流れてきました。
 
お婆さんが拾い上げると、それは小豆でした。
「上で小豆研ぎが悪さしとるかの」
と、妖怪が居るかもしれない事態を気にも止めず、お婆さんは言いました。
すると、
「あたちあずき!」
と、喋るではありませんか。
 
おこめちゃんの時は腰を抜かしそうなほど驚いたお婆さんですが、既視感というか、デジャビュ感というか、まあそのようなもののおかげで、今回はすこぶる冷静に対処出来ました。
「爺さんにみせてやるか」
そう言うとお婆さんは、おこめちゃんと喋る小豆を連れて、山にいるお爺さんの元へ行きました。
 
小豆を見たお爺さんは
「これはあずきちゃん!」
と、おこめちゃんの時と変わらない反応を見せましたが、その後で
「この子も三歳」
と、何故か年齢まで決めてしまいました。
 
しかしお婆さんは知っています。ここへ来る間、おこめちゃんに「ちゃんちゃい、ちゃんちゃい」と話しかけられたあずきちゃんが、「ニ…ニチャ…」と、どうも二歳と言おうとしてたらしい事を。ですが面倒くさいので訂正はせずに、お爺さんの言う三歳で強引な納得を自ら導き出しました。
 
とりあえず一服にしようと、腰をおろしたお爺さんは、目の前の楽しげな光景を見て
「小豆に婆さん」
と、ぽつんと呟きました。
 
お爺さんの背には、あぜ道のような、だけれども、まばらとはいえ人通り、往来がある
道が通っており、たまたまそこを通った松阪の商人が、ところどころ聞こえたお爺さんの呟きに
「あずきばあ?」
と、不思議な響きを感じました。
 
時は現代。
 
1896年に三重県飯南郡松阪町(現在の松阪市中町)に井村和蔵によって開業された「井村屋」によって、あずきバー(1973年)なるアイスが誕生したことに『あずきちゃんとお婆さんとお爺さん』が関わっていたのかどうかは、誰も知らない、知る術も持たないのであった。
 
めでたし。
めでたし。
(おこめちゃん関係ないやん)
 
※井村屋のホームページより、
歴史資料をお借りしました。
あずきバーを宜しくね♪






言の葉供養0104

2022年10月25日 02時00分00秒 | 言葉遊び、言の葉供養
『埋まらない何か』
 
埋まらない
何かがあって
 
何なのか
分からないくせに
 
埋まらないことだけは
確実に分かる
 
この世に再度
戻されて
 
日々ずっと繰り返した
自分への問答
 
埋まらない
何かがあって
 
何なのか
分からないくせに
 
埋まらないことだけは
確実に分かる
 
私はあれからずっと
永遠の「無」だけを
 
追い続けている
 
※10/25AM0:05に某アプリに投稿したもの。
 

言の葉供養0103

2022年10月25日 00時30分00秒 | 言葉遊び、言の葉供養
『温もりは幻か』
 
温もりを抱いて
眠ったのは
 
いったい
いつの日だったろうか
 
果たしてそんな日が
一度でもあったのか
 
あれは幻だったのでは
ないだろうか
 
恋愛も結婚さえも
人並みかそれ以上に
 
してきた筈なのに
抱いた温もりの
 
確信は持てぬまま
 
心許して
許されて
 
きっと本当は
一度さえも愛を知らずに
 
ここまで来て
しまったのだろう
 
私が錯覚していた
様々な温もりは
 
全てが幻だったようだ
 
※10/24PM10:50に某アプリに投稿したもの。