帝都座なんて一般人の記憶から消えて久しい。
新宿三丁目の角に昭和6年に開業。
経営はいろいろ変わったが、昭和47年頃新宿日活が売却されてその存在は消えた。
日本活動写真(日活)の直営の封切館としてスタートした。
私の祖父は日活の初期の社員で、その帝都座の支配人をまかされたわけだ。
(あの当時、大映の永田ラッパはまだ「下積み」に過ぎない)
5階のダンスホールは昭和15年くらいまであったはず。
ここで田辺茂一青年(紀伊国屋書店創業者)あたりとつるんで、遊びまくっていたのでは。
徳川夢声(元同僚)は忙しすぎて付き合ってくれなかったかも。
大正生まれのウチの母は、女学校の帰りに裏口から入ってタダで映画を見て帰るのが
習慣だったという。
だから主な洋画はみんな見ているわけ。
戦後の帝都座の凋落ぶりは目を覆うばかり。
額縁ショーに至っては祖父の憤激の的だった。
新宿日活の売却のころはあきらめの境地?
祖父は昭和49年に87歳で亡くなったが、最後まで日活の行く末を心配していた。
(2014.2.9記)
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