私は多喜二のファンではないし、法政大学であれほど「洗脳」されながら、
ついに「マル経」に転向しなかった「自由系学徒」の一員であるが、
彼の功績は認めざるを得ない。
ただし彼の意図とは反する意味でだが。
観光・・・。
現在の小樽市に行けば、いやというほど「彼」に会える。
「多喜二」という店はあるしね。
「地獄坂」を上っていって、もし彼とすれ違ったらどうするか。
軽く会釈とかしたら、
「君はオレのこと知ってるみたいだが、オレはアンタを知らないよ」
みたいな顔をするのかな、やっぱり。
じゃあ私も伊藤整と同じく、彼と彼の思想には距離をおくことにしよう。
特高に目をつけられても困るから。
彼は北海道拓殖銀行の行員でありながら、預金者の利益に反することをした。
ブルジョワジーに刃向かったのだ。
私は拓銀に相当義理がある。
テルメにもソフィアにも大金を貸してくれたおかげで、立派な施設ができ、私もそれを
目いっぱい利用できたわけ。
1000株券(1株1円で買った)も持っているし、ター坊もいる。
そんなわけだから、やっぱり拓銀の肩をもつのが自然。
あそこがパンクしたときに「多喜二の呪い」だと言った奴がいたが、許さん。
拓銀が彼をクビにしたのは正しい。
私だって元はといえば「不在地主」の末裔なのだから。
GHQのおかげでひどい目にあった。
それでも多喜二に会いたけりゃ、村松センセイに倣って色内2丁目の
「『海猫屋』の客」になればよろしい。
あの小説のモデルの磯野商店の赤レンガの倉の中で営業しているから。
大音響の中で酒をくらってくれば。
多喜二もきっと喜ぶだろう(んなわけないか)。2012.3.30記
最新の画像[もっと見る]
- 調所広丈に会いたい 4年前
- ラジオ体操第三の謎(続) 5年前
- 骨董市に行きたい2 6年前
- デジタル遺品について 6年前
- 林竹治郎に会いたい 7年前
- 徳田球一に会いたい 7年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます