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河原直孝に会いたい

2016-06-13 10:02:31 | 日記

河原直孝をご存知の方はたぶん少ないだろう。

地元小樽でも忘れられて久しい。

私が彼の名を思い出したのは、さる骨董市の会場だった。

政治家等著名人・名士のサイン入り色紙の山をかき分けていたら、ふと1枚に眼が止まった。

「河原直孝(小樽市長)  〇〇君還暦祝い 昭和18年」と書いてある。

はて? この名前は記憶のどこかにひっかかるような気がするが?

わかった、河原直一郎のブルジョアの父親だ。

名著「若い詩人の肖像」に実名で登場する、伊藤整の古い友人の親だ。

「この年の秋、私は河原直一郎と知り合いになった。河原の父直孝は北海道配電会社の
小樽支店長であり、この町の実業家の中での人格者と言われていた。」
と書いてある通りだ。

直孝は北海道拓殖銀行とも関係があり、その後、請われて小樽市長となったが、
昭和19年までその席にあった。

彼の業績はもう一つある。

小樽高等商業学校を誘致した仲間は数人いるが、その中の一人。

町はずれ(当時)の広大な土地を寄付して、運動にはずみをつけた。

これが現在の商科大学の敷地となるのだが、でもそんなことは高商のOBたちも
覚えていないだろう。

もっとマイナーな話をしてもよろしいだろうか。

昭和の初めごろ、札幌温泉土地という株式会社があり、当時の札幌郊外で
温泉と宅地開発の業務を行っていたが、交通不便な場所とて自ら電気軌道
(札幌電気軌道?)を開設し、札幌中心部と連絡していた。

この社長も直孝は兼ねていたのである。

郊外と言っても、要するに今の中央区界川(さかいがわ)である。

現在は高級住宅地に数えられているのだが、大正時代まであそこは牧場だった。

そこに拓銀が眼をつけて開発行為を行ったのだが、その目的のために作った
会社が札幌温泉土地㈱だったというわけ。

この時の線路跡はまだたどれるはず。

と、こんな足跡を残しているのが河原直孝なのである。

色紙は即購入した。

 



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