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御荘金吾に会いたい

2016-01-07 07:59:09 | 日記

御荘金吾なんて名前に反応した方は、昔の映画のシナリオに関心のある人に
限られるだろう。

正しく読める方ももう少ないのでは。

みしょうきんご。

無声映画の時代から時代劇の脚本を書いていたので時代考証には詳しい。

私は一度だけ直接お会いしたことがある。

渋谷区松濤の自宅にお伺いした。

何の用事で訪ねて行ったか忘れたが、おおよそ母親の代理だったろう。

つまりこういう関係である。

私の従姉は事情があって学校卒業後私のうちで預かっていたのだが、
近所の編み物教室に通っていた。

そこの先生はウチの母とも顔見知りでけっこう親しくしていたのだ。

ところがある日、もう教室は閉鎖します、私が再婚するので、
という連絡がきたのである。

渋谷に引っ越したので一度遊びにいらっしゃいとのお招きがあり出かけて行った。

そうしたら、あの松濤のお屋敷町でビックリ。

昭和45年頃?

もう45年も前のこと。

しかも再婚相手が御荘金吾だったのだ。

二人とも子連れ同士だったはず。

当時彼は60過ぎ?

古い一戸建てだが、室内はかなり広く、天井近くまで資料が山積みになった
すごい空間。

穏やかな話しぶりで、昔のことを淡々と語ってくれたような記憶が。

その時はわからなかったが、今にして思えば、彼はウチの祖父とも接点が。

昭和10年頃、日活の脚本を書いていた彼が多摩川の撮影所に納品すると、
受け取り側の台本課長が祖父という関係。

会ったのはその一度きりで、以後彼はブラジル移民関係の調査にのめりこんでいた。

後妻に入った編み物の先生もお元気なら80代半ばか。

横にいた小学生の女の子だってもう50代だろう。

私のことを覚えているかどうか。

御荘さんが亡くなってから今年は31年目。

昨年没後30年の行事があったとは聞かない。

こうやって一人ずつ、みんなの記憶から消えていく。

 



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