「処女」ってなあに?
という質問をすれば、バカにするなと怒られるのがオチだろう。
現代の我々にはあまりにも常識的で議論の余地はない。
当然「未通」でなければならない。
だが、昔からそうだったのか、といえばかなり疑問である。
こういうことを研究する学者によれば、少なくとも江戸時代の文学では、
「処女(おとめ とルビをふった)」は単に未婚の女性をあらわす単語だったそうな。
それが、明治期に大量に流入した外国文学の翻訳で、英語の Virgin を「処女」と表記して
しまったことから問題が発生した。
同時期に流通する作品において、特定の単語に二つの意味が混在し、しかも作者や翻訳者が
その事実に気付いていないという厄介な現象が発生したのである。
だから読者は気をつけてね、というのが先の学者の解説なのだが、これを
宗教的にみると、もっとヤバイことになる。
具体的に言えば、聖書の翻訳である。「イエスは処女マリアから生まれた」
とのくだりは、現代語でみる限り超自然的現象でいわゆる奇蹟物語となるのだが、
江戸文学の文脈で読むと、未婚女性による単なる不行跡ストーリーで、昨今のテレビドラマ
に氾濫する不倫のお話となんら変らないということになってしまいかねない。
原語は Virgin なのだから、現代語解釈で正しいことに変わりはないものの、
明治期の読者が、翻訳された聖書をどの程度理解できたのかという問題は、案外無視されてきた
盲点ではないか。
こんなことを研究してくれる物好きな学者がいたらうれしいのだが。(2010.10.30記)
最新の画像[もっと見る]
- 調所広丈に会いたい 4年前
- ラジオ体操第三の謎(続) 5年前
- 骨董市に行きたい2 6年前
- デジタル遺品について 6年前
- 林竹治郎に会いたい 7年前
- 徳田球一に会いたい 7年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます