小室が文春砲に撃ち抜かれて、あたふたしていると思いきや、引退会見で世論を味方につけたような。
なんであの輝かしい経歴の音楽家が、これしきのことで引退しなけりゃならんのだ。
文春はやりすぎ。
などという論調が支配的になっているかに見える。
しかし私は別の見方をあえて提起したい。
「もともと彼は、才能といっても、全部自分でやっているわけでなく、作詞・作曲は誰かに振り(名義は自分)、
アレンジだけ自分でやって、プロデューサーでございと豪語しているだけなので、多数の協力者がいなくなれば破滅するのが運命。
音楽がすべてなんてとんでもない。
女性がすべてと言い換えるべきだろう。
才能が枯渇したのではなく、もともとカラッポなのだし。
引退は現在の苦境をとりあえず脱する方便みたいなものと考えられる。
悪くとれば、自分で文春にたれこんだのでは。
はっきり言って関係者には迷惑なだけだろう。
作品のデキはともかく、バンバン仕事して、avexに完済してからにしろや」
とさる業界人がオフレコで語っていましたが同感です。
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