2017年12月15日
高校時代に好きで覚え、今でも諳んじることができる室生犀星の詩がある。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
大阪に出た若い時分には少しひねくれた目で故郷を見ていたので、反抗心と故郷へのノスタルジアが入り混じった犀星のこの詩に、自分の心を重ねていたのである。大阪時代の10年間でわたしが帰郷したのは、恐らく2度ほどだろう。
さほどに「よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」と、まこと、粋がっていたのであった。「なんでやの?」などと聞いてくれるな、おっかさん。人様に言えない事の一つや二つ、人なら誰にでもあることでありゃんしょ。
とは言っていたものの、そんな複雑な故郷への片思いは今ではかなぐり捨てて、故郷を日本を恋うる心に素直に従うようになったのは、齢がなせるわざか。わたしも随分と角が取れて丸くなったもので、帰国時に機会あらば、せっせと弘前へ帰り高校時代の同窓生や恩師と旧交を温める今のわたしである。
さて、FBの弘前シティプロモーションでこんな懐かしい写真を目にした。
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弘前では「お山参詣」と呼ばれる初秋の伝統行事なのだが、久しぶりにお山参詣の行列時に唱える唱文の謎解きを思い出した。以下に綴ってみる。
年に一、二度は弘前へ足を運んでいる妹夫婦、ある年、弘前のホテルでチェックアウトしようと荷物をまとめていたら、外から
「サ~イギサ~イギ ドッコイ サ~イギ 」
と聞こえてきたのだそうな。
ホテル9階の窓から土手町を見下ろすとお山参詣の行列が通って行く。行列を見ようとて慌てて階下へおり、こけつまろびつ行列に追い抜き、いっしょに並んで歩いたのだが、行列の唱文が子供のころに聞いて覚えていたのと少しも変わらないのに可笑しくて、ついにこらえら切れなくなり大声でウワハハハと笑ってしまったと言う。
お山参詣というのは津軽に昔から伝わる岩木山最大の祭りで旧暦の8月1日に五穀豊穣、家内安全を祈願して白装束にわらじ、御幣やのぼりを先頭に行列をなし岩木山神社を目指して歩く行事だ。
商店街の土手町から坂道を下り、わたしたちが子どもの頃住んだ下町の通りを岩木山目指して行列が歩いていくのだが、検索してみると子供だったわたしが記憶しているのと違い、行列の様子も少し変わったようだ。
昔は白装束でお供え物を両手に抱えての厳かな行列だったのが、今では人寄せでもあろうか、随分カラフルで「行事」と書くより「イベント」とカタカナかローマ字にしたほうが似合いそうだ。
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画像はwikiから
さて、妹がこらえら切れなくなり大声でウハハハと笑ってしまったという、その唱文が、これである。
♪さ~いぎ さ~いぎ どっこ~いさ~いぎ
おやま~さ は~つだ~い
こんごう~どうさ
いっつにな~のは~い
なのきんみょう~ちょうらい
毎年こう唱えながら目の前を通り過ぎていく白い行列、子供心に神聖なものを感じてはこのお唱えをいつの間にか諳(そら)んじていたのである。この御山参詣が終わると津軽は一気に秋が深まる。
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長い間、そのお唱えの意味など気にしたこともなかったのだが母も亡くなり、帰国したある年、彼女が残した着物を妹と二人で整理しながら、3人で暮らした子供の頃の思い出話の中にひょっと出てきたのがこの「サイギサイギ」だった。
亡くなった母は津軽で生まれ育ち、60まで住んだ。その後は妹夫婦の住む東京へ移り所沢の彼らの家を終の棲家とした。義弟も津軽衆なので、東京にありながら夕食時の食卓は、妹、義弟、母の3人ともが津軽の出ではおのずと津軽弁が飛び交おうというもの。帰国した時のわたしは母と義弟が交わす津軽弁を聞くのが本当に懐かしく楽しいものだった。
その母が「ことすでに遅し」の意味でよく使っていたのが「イッツニナノハイださ」である。 はて?いったいこれは元来がどういう意味合いなのであろうかと妹とそのとき疑問に思ったのだ。
たまたま、当時、我が母校の後輩で「サイホウ」さんと言う女性仏師の方とメールのやりとりをしており、聞いてみたところ、これが元になっていますと教えていただいのが下記。
懺悔懺悔(サイギサイギ)
過去の罪過を悔い改め神仏に告げ、これを謝す。
六根清浄/六根懺悔?(ドッコイサイギ)
人間の感ずる六つの根元。目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨てて汚れのない身になる。
御山八代(オヤマサハツダイ)
観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王
金剛道者(コウゴウドウサ)
金剛石のように揺るぎない信仰を持つ巡礼を意味す。
一々礼拝(イーツニナノハイ)
八大柱の神仏を一柱ごとに礼拝する。
南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ)
身命をささげて仏菩薩に帰依し神仏のいましめに従う。
唱文のカタカナの部分は津軽弁の発音である。
どの方言もそうだが、津軽弁は特に独特のなまりが多い方言だ。我が同窓生である伊奈かっぺいさんは津軽弁でライブをする人で有名だが、彼いわく、津軽弁には日本語の発音記号では表記不可能な、「i」と「 e」の間の発音があり、津軽弁を話す人はバイリンガルである、とさえ言っている。
わたしと妹が笑ってしまったのは「六根懺悔」が何ゆえ「どっこい懺悔」になったのかと、津軽人の耳構造はほかとは少し違うのであろうかとの不思議にぶつかったのであった。
大人になったわたしたちにしてみれば、「どっこい」という言葉はなじみでありとても唱文の一語になるとは思われない、なんで「ドッコイ」なのよ?と言うわけである。
実は「さいぎさいぎ」も「懺悔」ではどうしても津軽弁の「サイギ」に結びつかず、わたしは「祭儀祭儀」と憶測してみたのであった。そして、数日の検索で、ついに語源をみつけたぞ!
「懺悔」仏教ではサンゲと読み、キリスト教ではザンゲと読む、の一文に出会ったのである。「サンゲ」が津軽弁で「サイギ」、これで納得だ。
御山参詣は日本人の山岳宗教につながるものであろうか、修験者が霊山に登るのが弘前に行事として定着したと思われる。
父と母、わたしと妹4人家族が住んだ桔梗野のたった二間の傾きかけた埴生の宿のような家の窓からは、見事な岩木山の美しい姿が日々仰げたものである。
画像はwikiから
テレビやパソコンなどのような情報入手方法がなかったわたしの子供時代、空耳で覚えていた唱文も今となってはいい思い出につながり、ふと頭を横切るたびに笑みがこみ上げて来て、懐かしい人々の顔が浮かんで来る。
正規の唱文の発音よりも300年も続いてきたであろう津軽弁の唱文に耳を傾けながら、修験者を受け入れてきたお岩木さんは、津軽弁そのままが誠に似合うようだとわたしは思うのである。
♪「さいぎさいぎ ドッコイさいぎ おやまさはつだい こんごうちょうらい(と、わたしは覚えている)
イッツニナノハイ なのきんみょうちょうらい」
下町を歩いていく白装束と幟と、「イッツニナノハイ」と言う母の姿が浮かんで来るようだ。孝行したいと思えどおかあちゃん、14年前にみまかり、「イッツニナノハイ(事すでに遅し)」でございます。ハイ。
高校時代に好きで覚え、今でも諳んじることができる室生犀星の詩がある。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
大阪に出た若い時分には少しひねくれた目で故郷を見ていたので、反抗心と故郷へのノスタルジアが入り混じった犀星のこの詩に、自分の心を重ねていたのである。大阪時代の10年間でわたしが帰郷したのは、恐らく2度ほどだろう。
さほどに「よしやうらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」と、まこと、粋がっていたのであった。「なんでやの?」などと聞いてくれるな、おっかさん。人様に言えない事の一つや二つ、人なら誰にでもあることでありゃんしょ。
とは言っていたものの、そんな複雑な故郷への片思いは今ではかなぐり捨てて、故郷を日本を恋うる心に素直に従うようになったのは、齢がなせるわざか。わたしも随分と角が取れて丸くなったもので、帰国時に機会あらば、せっせと弘前へ帰り高校時代の同窓生や恩師と旧交を温める今のわたしである。
さて、FBの弘前シティプロモーションでこんな懐かしい写真を目にした。
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弘前では「お山参詣」と呼ばれる初秋の伝統行事なのだが、久しぶりにお山参詣の行列時に唱える唱文の謎解きを思い出した。以下に綴ってみる。
年に一、二度は弘前へ足を運んでいる妹夫婦、ある年、弘前のホテルでチェックアウトしようと荷物をまとめていたら、外から
「サ~イギサ~イギ ドッコイ サ~イギ 」
と聞こえてきたのだそうな。
ホテル9階の窓から土手町を見下ろすとお山参詣の行列が通って行く。行列を見ようとて慌てて階下へおり、こけつまろびつ行列に追い抜き、いっしょに並んで歩いたのだが、行列の唱文が子供のころに聞いて覚えていたのと少しも変わらないのに可笑しくて、ついにこらえら切れなくなり大声でウワハハハと笑ってしまったと言う。
お山参詣というのは津軽に昔から伝わる岩木山最大の祭りで旧暦の8月1日に五穀豊穣、家内安全を祈願して白装束にわらじ、御幣やのぼりを先頭に行列をなし岩木山神社を目指して歩く行事だ。
商店街の土手町から坂道を下り、わたしたちが子どもの頃住んだ下町の通りを岩木山目指して行列が歩いていくのだが、検索してみると子供だったわたしが記憶しているのと違い、行列の様子も少し変わったようだ。
昔は白装束でお供え物を両手に抱えての厳かな行列だったのが、今では人寄せでもあろうか、随分カラフルで「行事」と書くより「イベント」とカタカナかローマ字にしたほうが似合いそうだ。
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画像はwikiから
さて、妹がこらえら切れなくなり大声でウハハハと笑ってしまったという、その唱文が、これである。
♪さ~いぎ さ~いぎ どっこ~いさ~いぎ
おやま~さ は~つだ~い
こんごう~どうさ
いっつにな~のは~い
なのきんみょう~ちょうらい
毎年こう唱えながら目の前を通り過ぎていく白い行列、子供心に神聖なものを感じてはこのお唱えをいつの間にか諳(そら)んじていたのである。この御山参詣が終わると津軽は一気に秋が深まる。
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長い間、そのお唱えの意味など気にしたこともなかったのだが母も亡くなり、帰国したある年、彼女が残した着物を妹と二人で整理しながら、3人で暮らした子供の頃の思い出話の中にひょっと出てきたのがこの「サイギサイギ」だった。
亡くなった母は津軽で生まれ育ち、60まで住んだ。その後は妹夫婦の住む東京へ移り所沢の彼らの家を終の棲家とした。義弟も津軽衆なので、東京にありながら夕食時の食卓は、妹、義弟、母の3人ともが津軽の出ではおのずと津軽弁が飛び交おうというもの。帰国した時のわたしは母と義弟が交わす津軽弁を聞くのが本当に懐かしく楽しいものだった。
その母が「ことすでに遅し」の意味でよく使っていたのが「イッツニナノハイださ」である。 はて?いったいこれは元来がどういう意味合いなのであろうかと妹とそのとき疑問に思ったのだ。
たまたま、当時、我が母校の後輩で「サイホウ」さんと言う女性仏師の方とメールのやりとりをしており、聞いてみたところ、これが元になっていますと教えていただいのが下記。
懺悔懺悔(サイギサイギ)
過去の罪過を悔い改め神仏に告げ、これを謝す。
六根清浄/六根懺悔?(ドッコイサイギ)
人間の感ずる六つの根元。目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨てて汚れのない身になる。
御山八代(オヤマサハツダイ)
観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王
金剛道者(コウゴウドウサ)
金剛石のように揺るぎない信仰を持つ巡礼を意味す。
一々礼拝(イーツニナノハイ)
八大柱の神仏を一柱ごとに礼拝する。
南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ)
身命をささげて仏菩薩に帰依し神仏のいましめに従う。
唱文のカタカナの部分は津軽弁の発音である。
どの方言もそうだが、津軽弁は特に独特のなまりが多い方言だ。我が同窓生である伊奈かっぺいさんは津軽弁でライブをする人で有名だが、彼いわく、津軽弁には日本語の発音記号では表記不可能な、「i」と「 e」の間の発音があり、津軽弁を話す人はバイリンガルである、とさえ言っている。
わたしと妹が笑ってしまったのは「六根懺悔」が何ゆえ「どっこい懺悔」になったのかと、津軽人の耳構造はほかとは少し違うのであろうかとの不思議にぶつかったのであった。
大人になったわたしたちにしてみれば、「どっこい」という言葉はなじみでありとても唱文の一語になるとは思われない、なんで「ドッコイ」なのよ?と言うわけである。
実は「さいぎさいぎ」も「懺悔」ではどうしても津軽弁の「サイギ」に結びつかず、わたしは「祭儀祭儀」と憶測してみたのであった。そして、数日の検索で、ついに語源をみつけたぞ!
「懺悔」仏教ではサンゲと読み、キリスト教ではザンゲと読む、の一文に出会ったのである。「サンゲ」が津軽弁で「サイギ」、これで納得だ。
御山参詣は日本人の山岳宗教につながるものであろうか、修験者が霊山に登るのが弘前に行事として定着したと思われる。
父と母、わたしと妹4人家族が住んだ桔梗野のたった二間の傾きかけた埴生の宿のような家の窓からは、見事な岩木山の美しい姿が日々仰げたものである。
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画像はwikiから
テレビやパソコンなどのような情報入手方法がなかったわたしの子供時代、空耳で覚えていた唱文も今となってはいい思い出につながり、ふと頭を横切るたびに笑みがこみ上げて来て、懐かしい人々の顔が浮かんで来る。
正規の唱文の発音よりも300年も続いてきたであろう津軽弁の唱文に耳を傾けながら、修験者を受け入れてきたお岩木さんは、津軽弁そのままが誠に似合うようだとわたしは思うのである。
♪「さいぎさいぎ ドッコイさいぎ おやまさはつだい こんごうちょうらい(と、わたしは覚えている)
イッツニナノハイ なのきんみょうちょうらい」
下町を歩いていく白装束と幟と、「イッツニナノハイ」と言う母の姿が浮かんで来るようだ。孝行したいと思えどおかあちゃん、14年前にみまかり、「イッツニナノハイ(事すでに遅し)」でございます。ハイ。
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