2018年3月3日
今日はビアハウスの話はお休みで、家族の話です。
2015年、秋口からずっと修士論文、狂歌師に取り組んでいた我がモイケル娘が口頭面接試験も終わり、なんとか院卒業にこぎつけた頃のことです。
娘から送られた修論の一部を目にして即、「なんじゃいな?この黒人て?江戸時代に日本に黒人がおったとは思えないぞ」と言ったら、笑われた^^;
「おっかさん、コクジンじゃなくて、クロウドと読むのである」。
そう言えば、その頃は江戸時代の狂歌師をテーマにとりあげて、数ヶ月、市立図書館や大学の図書館に通い詰めで、ほとんど悲鳴をあげんばかりの娘であった。それはそうだろう。大学は英語系を卒業したのを、いきなり東京にある大学院で近世日本文学だと言うのだから、母は度肝を抜いてひっくり返りそうになったのである。18歳までポルトガル生まれポルトガル育ちの彼女にしてみれば、英語、ポルトガル語、日本語のトライリンガルに、もうひとつ、「江戸時代の日本語」という外国語が加わるようなものです。
古文などは、週に1度の補習校の中学教科書で、「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」と言うようなさわりの部分を目にしたくらいで、知らないと同様の状態で取り組んだのですから、その大胆、かつ無鉄砲なるところ、その母の如し(爆)
浜辺黒人なんて、「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ」の歌人、山部赤人(やまべのあかひと)のもじりではないか(笑)
狂歌は和歌をパロディ化したものらしい。そこで、ちょいとネットで検索してみると、あはははは。狂歌師たちの狂名に笑ってしまった。
朱楽菅江(あけらかんこう=「あっけらかん」のもじり)、
宿屋飯盛(やどやのめしもり)、
頭光(つむりのひかる)、
元木網(もとのもくあみ)、
多田人成(ただのひとなり)、
加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、
南陀楼綾繁(ナンダロウアヤシゲ)
筆の綾丸(ふでのあやまる)←これなどはしょっちゅうキーボードでミスタイプして誤字を出すわたが使えそうだ。わたしの場合は「指の綾丸」とでもなろう(笑)
筆の綾丸(ふでのあやまる)は、かの浮世絵師、喜多川歌麿の狂名だという。中には、芝○んこ、○の中には母音のひとつが入るのだが、これなどには唖然としてしまう。
おいおい、モイケル娘よ、こんなヘンチクリンな狂歌師たちとその作品を相手の修論、資料が少ないともがき苦しんでいたなんて、さもありなん。腹を抱えて笑うのにもがき苦しんでいたんではないか?等と勘ぐったりしているのはこのおっかさんで、当たり前だが修論はいたってまじめに仕上げられている。この研究が生活にはすぐ役立たないが、そういう学業を教養と言うのかもしれない。高くついた教養ではあるが(^^;)
気がつけば、ポルトガルの高卒国家試験受験結果を携え、東京の大学を目指して日本へ行ったモイケル娘だが、早や13年が経つ。今では3匹のネコ(2匹は保健所から引き取り、もう一匹は九州で見かけた野良ネコを東京まで運んだというのである)、連れ合いがおり、派遣の品格でも学んでおるのだろう(笑)
上の写真の頃は、今日の子どもたちの教育結果を予想できるわけもなく、ひたすら子育てを楽しんだ時期だった。
思えば、補習校中学校の卒業式答辞で、「わたしは日本へ行くのではありません。日本へ帰るのです」と読んで、わたしを始め出席していた人たちを驚かせたモイケル娘であったが、それも一昔以上も前のことになり、彼女の夢は実現して日本定着13年。
息子よ、娘よ、若いうちは失敗を恐れるな。失敗のない人生こそ、失敗であるぞ。いつもポルトから応援しながら見ている母である。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。ではまた
今日はビアハウスの話はお休みで、家族の話です。
2015年、秋口からずっと修士論文、狂歌師に取り組んでいた我がモイケル娘が口頭面接試験も終わり、なんとか院卒業にこぎつけた頃のことです。
娘から送られた修論の一部を目にして即、「なんじゃいな?この黒人て?江戸時代に日本に黒人がおったとは思えないぞ」と言ったら、笑われた^^;
「おっかさん、コクジンじゃなくて、クロウドと読むのである」。
そう言えば、その頃は江戸時代の狂歌師をテーマにとりあげて、数ヶ月、市立図書館や大学の図書館に通い詰めで、ほとんど悲鳴をあげんばかりの娘であった。それはそうだろう。大学は英語系を卒業したのを、いきなり東京にある大学院で近世日本文学だと言うのだから、母は度肝を抜いてひっくり返りそうになったのである。18歳までポルトガル生まれポルトガル育ちの彼女にしてみれば、英語、ポルトガル語、日本語のトライリンガルに、もうひとつ、「江戸時代の日本語」という外国語が加わるようなものです。
古文などは、週に1度の補習校の中学教科書で、「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」と言うようなさわりの部分を目にしたくらいで、知らないと同様の状態で取り組んだのですから、その大胆、かつ無鉄砲なるところ、その母の如し(爆)
浜辺黒人なんて、「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ」の歌人、山部赤人(やまべのあかひと)のもじりではないか(笑)
狂歌は和歌をパロディ化したものらしい。そこで、ちょいとネットで検索してみると、あはははは。狂歌師たちの狂名に笑ってしまった。
朱楽菅江(あけらかんこう=「あっけらかん」のもじり)、
宿屋飯盛(やどやのめしもり)、
頭光(つむりのひかる)、
元木網(もとのもくあみ)、
多田人成(ただのひとなり)、
加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、
南陀楼綾繁(ナンダロウアヤシゲ)
筆の綾丸(ふでのあやまる)←これなどはしょっちゅうキーボードでミスタイプして誤字を出すわたが使えそうだ。わたしの場合は「指の綾丸」とでもなろう(笑)
筆の綾丸(ふでのあやまる)は、かの浮世絵師、喜多川歌麿の狂名だという。中には、芝○んこ、○の中には母音のひとつが入るのだが、これなどには唖然としてしまう。
おいおい、モイケル娘よ、こんなヘンチクリンな狂歌師たちとその作品を相手の修論、資料が少ないともがき苦しんでいたなんて、さもありなん。腹を抱えて笑うのにもがき苦しんでいたんではないか?等と勘ぐったりしているのはこのおっかさんで、当たり前だが修論はいたってまじめに仕上げられている。この研究が生活にはすぐ役立たないが、そういう学業を教養と言うのかもしれない。高くついた教養ではあるが(^^;)
気がつけば、ポルトガルの高卒国家試験受験結果を携え、東京の大学を目指して日本へ行ったモイケル娘だが、早や13年が経つ。今では3匹のネコ(2匹は保健所から引き取り、もう一匹は九州で見かけた野良ネコを東京まで運んだというのである)、連れ合いがおり、派遣の品格でも学んでおるのだろう(笑)
上の写真の頃は、今日の子どもたちの教育結果を予想できるわけもなく、ひたすら子育てを楽しんだ時期だった。
思えば、補習校中学校の卒業式答辞で、「わたしは日本へ行くのではありません。日本へ帰るのです」と読んで、わたしを始め出席していた人たちを驚かせたモイケル娘であったが、それも一昔以上も前のことになり、彼女の夢は実現して日本定着13年。
息子よ、娘よ、若いうちは失敗を恐れるな。失敗のない人生こそ、失敗であるぞ。いつもポルトから応援しながら見ている母である。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。ではまた
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