2019年4月5日
ヤフーのホームページサイト閉鎖により、消滅したわたしの最初のホームページの中で、機会があれば今一度書き直してみたいと思ってきたカテゴリが2、3あります。
記憶が薄れないうちにと、推敲もなしで思いついたままつらつら綴ったものですから、手を入れて再掲載して行きたいと思います。
グローバリズム思想が拡大し、コンピューターを駆使した今の世界では、言語習得の方法もその気になれば簡単に見つけることができます。ですから、海外にいながらにして子に日本語を身につけてもらうのも、できそうな気がします。
が、わたしのトライリンガル子育て体験は、パソコンなし。今であればアマゾンで検索し本の取り寄せもできるのですが、それが簡単ではなかった35年ほども前の話です。また、共稼ぎが当たり前になった現代と違い、専業主婦が多かった社会です。その辺の違いを念頭に置いて読んでいただきたいと思います。
そして、わたしの体験を通して、少しでも日本国内外で日本語教育に面している方のヒントにしてもらえたら嬉しいです。以下。
★第1話「英語ポルトガル語ぺらぺら?」
人間稼業を70年もしていると、自分の事しか見えなかった若い頃に比べて周囲が少し見えてきます。
例えば、国内海外での子供の日本語教育にしても、自分の子供がこうできたからと言って、その結果例が他にも当てはまるとは限らないということが分かるものです。ですから、この体験談は、「わたしの場合はこう出来たけれども」と言う前提で進めて参ります。
現在日本に住んでいるわが子二人ですが、リスボン大学を卒業した息子と違い、ポルトの高校を卒業するなり日本の大学受験をした娘の場合、片親が日本人で、日本で生まれ育ったわけではないのに、果たして大学の学問に取り組んでいけるだけの日本語能力がついたのか、という点ですが。
もちろん、彼女の日本語理解のお脳部分は、あちこちプチプチと白い斑点が散在する如く、斑(まだら)状態であったと確信しています。そのような斑状態は、実体験を経て新鮮な知識となり少しずつ埋められて行ったと思います。ある程度の基盤ができていると、その埋め立ては、せっせと進められます。その日本語の基盤を作ることが、海外における日本語教育の難しいところでしょうか。
「英語ぺらぺら」という言葉を耳にすることが多くあります。わたしもポ国に40年もいると言うと、「じゃ、ポルトガル語ぺらぺらですね」と来ます。日本で生まれその教育を受けてきた日本人なのですが、「日本語ぺらぺら」かと問われれば、いや、待てよ。となります。どこの国の言葉でもそうでしょうが、とりわけ日本語は非常に奥の深い言語だと思い始め、じっくり落ち着いて書くことと、話すことを併せたペラペラか、と考えると、やはり、待てよ、となるのです。
「○○語ぺらぺら」の評価には、なんとなく薄っぺらな感じを受けるのですが、みなさまはいかがでしょうか。この外国語談義は、またいずれの機会にするとして、そんなわたしですから、長年ポルトガルに住んでいるというのに、自慢できるほどポルトガル語がぺらぺらでないのは誠に面目ない話ではあります。
さて、ポルトガル語を全く知らずにポルトに来たわたしの周囲との伝達言語は、英語でした。
長男のJRが生まれる段になって初めて、いったい子供とポルトガル語の環境でどんな言語で意思の疎通をはかれるのか、考えて見ました。
子どもたちの幼児期の記録アルバム
結論は即、どんな言語もなにも、あぁた、あるものではありません。いくらか話せると言っても、英語では子どもが成長するにつれて、行き詰まってしまうことが目に見えています。自分の母国語である日本語しかないではありませんか。
しかし、ポルトに日本人学校はありません。ならば、母親の国語として自分がこの役割を務めて行くだけです。
単純簡潔です。こうして、少なくとも母親のわたしと子供とのコミュニケーション手段はまず決まったのでした。
では、ポルトガル人の父親とはどうなるのか?
第2話に続きます。
ヤフーのホームページサイト閉鎖により、消滅したわたしの最初のホームページの中で、機会があれば今一度書き直してみたいと思ってきたカテゴリが2、3あります。
記憶が薄れないうちにと、推敲もなしで思いついたままつらつら綴ったものですから、手を入れて再掲載して行きたいと思います。
グローバリズム思想が拡大し、コンピューターを駆使した今の世界では、言語習得の方法もその気になれば簡単に見つけることができます。ですから、海外にいながらにして子に日本語を身につけてもらうのも、できそうな気がします。
が、わたしのトライリンガル子育て体験は、パソコンなし。今であればアマゾンで検索し本の取り寄せもできるのですが、それが簡単ではなかった35年ほども前の話です。また、共稼ぎが当たり前になった現代と違い、専業主婦が多かった社会です。その辺の違いを念頭に置いて読んでいただきたいと思います。
そして、わたしの体験を通して、少しでも日本国内外で日本語教育に面している方のヒントにしてもらえたら嬉しいです。以下。
★第1話「英語ポルトガル語ぺらぺら?」
人間稼業を70年もしていると、自分の事しか見えなかった若い頃に比べて周囲が少し見えてきます。
例えば、国内海外での子供の日本語教育にしても、自分の子供がこうできたからと言って、その結果例が他にも当てはまるとは限らないということが分かるものです。ですから、この体験談は、「わたしの場合はこう出来たけれども」と言う前提で進めて参ります。
現在日本に住んでいるわが子二人ですが、リスボン大学を卒業した息子と違い、ポルトの高校を卒業するなり日本の大学受験をした娘の場合、片親が日本人で、日本で生まれ育ったわけではないのに、果たして大学の学問に取り組んでいけるだけの日本語能力がついたのか、という点ですが。
もちろん、彼女の日本語理解のお脳部分は、あちこちプチプチと白い斑点が散在する如く、斑(まだら)状態であったと確信しています。そのような斑状態は、実体験を経て新鮮な知識となり少しずつ埋められて行ったと思います。ある程度の基盤ができていると、その埋め立ては、せっせと進められます。その日本語の基盤を作ることが、海外における日本語教育の難しいところでしょうか。
「英語ぺらぺら」という言葉を耳にすることが多くあります。わたしもポ国に40年もいると言うと、「じゃ、ポルトガル語ぺらぺらですね」と来ます。日本で生まれその教育を受けてきた日本人なのですが、「日本語ぺらぺら」かと問われれば、いや、待てよ。となります。どこの国の言葉でもそうでしょうが、とりわけ日本語は非常に奥の深い言語だと思い始め、じっくり落ち着いて書くことと、話すことを併せたペラペラか、と考えると、やはり、待てよ、となるのです。
「○○語ぺらぺら」の評価には、なんとなく薄っぺらな感じを受けるのですが、みなさまはいかがでしょうか。この外国語談義は、またいずれの機会にするとして、そんなわたしですから、長年ポルトガルに住んでいるというのに、自慢できるほどポルトガル語がぺらぺらでないのは誠に面目ない話ではあります。
さて、ポルトガル語を全く知らずにポルトに来たわたしの周囲との伝達言語は、英語でした。
長男のJRが生まれる段になって初めて、いったい子供とポルトガル語の環境でどんな言語で意思の疎通をはかれるのか、考えて見ました。
子どもたちの幼児期の記録アルバム
結論は即、どんな言語もなにも、あぁた、あるものではありません。いくらか話せると言っても、英語では子どもが成長するにつれて、行き詰まってしまうことが目に見えています。自分の母国語である日本語しかないではありませんか。
しかし、ポルトに日本人学校はありません。ならば、母親の国語として自分がこの役割を務めて行くだけです。
単純簡潔です。こうして、少なくとも母親のわたしと子供とのコミュニケーション手段はまず決まったのでした。
では、ポルトガル人の父親とはどうなるのか?
第2話に続きます。
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