お早うございます、信です。
昨日テレビを見ていたら、秩父長瀞にまで紅葉は降りてきたようです。
神奈川丹沢の大山も、良い感じに染まっていました。
ウォーキングで寄った、氷川神社の参道も色づきが増してきました。
そろそろ関東から、関西に紅葉の便りは移っていくのでしょうか。
ただジワジワとコロナ新規感染者数が増加しています。
もう第八波の入り口に来ているようです。お気をつけ下さい。
さて11月2日の黒部ダムに戻ります。
もう日が傾いて、黒部湖の水面の輝きが変ってきます
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コンクリートを落とし込んだバスケット。
記録では一日8,653㎥を打ち込んだので、このバスケットで962杯分!です
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合計の打ち込み回数は、17万7,571回分ということで文字通り気が遠くなります。
そのコンクリートで打ち固められた横壁です
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レストハウスで食事をしました
うちのクマさんは定番のダムカレー
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別山の方に雲が湧き始めました
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ダム本体堰堤のすぐ上は黒部平
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上側の観光放水用ゲートは閉じられています
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この日開いていたのは工事用の放水ゲート
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レインボーテラスの紅葉
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石原裕次郎夫人のお手植えの桜もありました。
ナナカマド越しの立山
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落葉松並木
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このテラスはうっかりすると熊が出るそうです。
黒部別山
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真正面の丸山の植生
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あらかたブナは落葉しています
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ここまで来ると微かに虹が
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先ほどまでいた展望台です
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放水で生じる風圧で、落葉松が舞い上がります
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通路には昭和31年から33年までの建設工事の特設会場
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「黒部の物語 ~人・使命・情熱~」
電源開発の必要性から 建設の決断 建設の苦闘
実機・映像を交えて
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技術の結集
そして完成まで
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熱く語られていました
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そう云えば2002年の紅白で、中島みゆきが「地上の星」をここから生中継で歌い上げ、本人の強い希望でそのまま発電所の会議室で泊まられたそうです。
その会議室は関電社内で「みゆき御殿」と呼ばれているそうです。
熱さが伝わってくるようなエピソードです
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何となく御殿(城?)を思わせる赤沢岳と建造物
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ダムの堰堤を歩きます
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ここからの方が虹ははっきり見えました。
この下流が下ノ廊下に続く憧れの道です
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後立山の雲は結局取れません
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対岸の遊覧船ガルベ
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風向きが変わって、放水の水しぶきが堰堤を超えていきます
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今回は乗船を断念したガルベ
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またチャンスは巡ってくるでしょう
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最後に「尊きみはしらに捧ぐ」
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工事期間中に亡くなった171名の人を弔うモニュメントです。
帰りの日向山高原の彩り
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まだホテルに入るには早いので、大町の名刹 霊松寺に向かいます
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明日は霊松寺の大伽藍から。
撮影日: 11月2日
撮影場所:立山町 黒部ダム
それでは皆様、ご機嫌よう。
ダム建設の頃までは人を寄せ付けなかった
黒部渓谷は秘境そのものだったのでしょう。
黒部ダムから欅平までの下ノ廊下を
一度は歩きたいと思っていましたが
夢で終わりそうです。
お早うございます。
まったくその通りですね。
昭和30年といえば、やっと戦後復興の兆しが見え始めた頃でしょうか。
そんな時代によくぞこの大計画を決断したものだと思います。
あるいはその時代だからこそ決断し、実行出来たのか。
下ノ廊下、一度は歩いてみたいと思いますが
まずは体力維持と、山との距離を絶やさないことでしょうか。
コメント有難うございます目
日が傾きかけた午後の黒部湖、柔らかい日差しと雪化粧した峰々、
何処を見てもシャッターを押したくなる風景ですね。
関西の私たちに、安定した電力供給を続けてくれる黒部ダムは、
多くの犠牲を伴う工事により竣工したことを忘れてはならないですね。
9月とは全く違う黒部の風景を見せてもらいました。
29番のガルべのショット、逆光に輝く湖面が綺麗ですね。
最後の道路の両側の紅葉が素晴らしいです。
こんにちは。
久しぶりの黒部ダムで、時間を忘れてシャター切りに夢中になっていました。
そう云えばtakayan師匠は9月に、立山駅から扇沢駅まで通過されたのでしたね。
あまり紅葉はない黒部ダムでしたが、天気が良くて山景に見とれていました。
特に昨年9月に登った水晶岳が見えて、感慨深い感じがしました。
明日から大町周辺の紅葉を綴りますが、そのポテンシャルの高さは目を見張りました。
コメント有難うございます。