
お早うございます、信です。
せっかくトップバナーでご紹介頂いているのに、今朝は投稿が遅れました。
昨日、川口安行の密蔵院を訪れました。
やや分厚い雲がたちこめる暗い一日で、花冷えとも云えるような日和でしたが、花を撮るにはかえって良いかなと思い歩いてきました。
これは現在、鋭意現像作業中です(ウソでした。まだ手付かずです)
今日は朝からジトジト雨の肌寒い週明けです。
さて3月6日の越生梅林の続きです。
梅林の中ほどにある、美しい枝垂れ梅です

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越生町観光協会 創立50周年記念の梅でした


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反対側には国文学者・佐佐木信綱の歌碑がありました

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入間川高麗川こえて都より 来しかひありき梅園のさと
秩父嶺は霞に消えて水車 おとしづかなる梅の下かげ
梅園の千本の梢見おろして 岩根にいこふ琴平の山 佐佐木信綱
越生梅林の起源は、南北朝の頃、筑紫の太宰府天満宮から菅原道真公の霊を勧請したときに移植されたという説と
乱暴者の鶴千代(幼少の道灌)を心配した父・太田道真公が、文武両道に優れるように祈念して植えたという説とがありますが、定かでありません。
道真公は隠居後、「自得軒(じとくけん)」(小杉の建康寺周辺)と呼ばれる屋敷に住んだといわれますが、「武蔵野話」(1815・斉藤鶴磯)にも
「河の両岸畑も山麓も人家も一面に白梅花にして香風鼻を衝き、実に仙家にいたりし心地せり。建康寺の境より望めばその景色たとへんかたなし。
かかる勝地を知らざる遺恨限りなし。」とあります。
明治になると観光地として知られるようになり、奈良の月ヶ瀬に対して「新月ヶ瀬豊楽園梅林」といわれ、多くの文人・墨客を魅了したようです。
(旅の道標hpより)

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大好きな緑萼です

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好きなところを

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自由に歩いて行けます

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越辺川(おっぺがわ)の畔に出ましょう

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やや逆光になりました

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暖かくて河原に降りています

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暖かな春の息吹を感じた 越生梅林でした

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明日は川口安行 密蔵院の安行桜です。
撮影日: 3月6日
撮影場所:入間郡越生町 越生梅林
それでは皆様、ご機嫌よう。
越生梅林も古木の梅が多くあるようで、越辺川の川沿いに咲く梅の景色が良いですね。
月ヶ瀬梅渓は、先日行った賀名生梅林、広橋梅林と共に大和三大梅林の一つに数えられ、
自宅からも信楽を経由すれば案外行きやすく、何度か訪ねています。
9.11番のように暗い背景を生かした白梅のショットは、
主題の梅が浮き上がって見えて素晴らしいです。
18番の川に張り出した梅もきれいですね。
1.4.8.9.11.16.17.18番がお気に入りです。
密蔵院の安行桜を楽しみにしています。
おごぜ(越生)、おっぺがわ(越辺川)共に読めませんでした(笑)
普通の梅も三笠より北には無いような・・北限は何処なのですかね。
しだれ梅・・見たいです。
takayan師匠>
こんばんは。
確かに古い梅の木もあるようですが、せいぜい400年です。
南北朝の頃から謳われる賀名生梅林とは300年ほど歴史が違います。
それでも400年というと太田道灌さんの大分後のこと
江戸時代の初めに始めたようですが、小田原の梅は北条氏の頃と云いますから
少し歴史は古いようです。
それでも賀名生梅林には適いません。
1.4.8.9.11.16.17.18番とたくさんのお気に入り、有難うございます。
昨日は錫杖さんとご一緒だったとか
開聞岳以来の登山とお聞きしました。
お疲れ様です。
イワンさん>
こんばんは。
枝垂れ梅の北限・・?
私にも分かりませんが、多分福島とか東北にはありそうな気がします。
まったくの当てずっぽうですが
でも東京にはかなりあったと思いますが・・
単身の頃にはそんな余裕は無かった・・
ということですかね
三笠より北・・
三笠製薬のことでしょうか
枝垂れ梅、関東では今が見頃です。
三笠市に梅林公園があるのですが、それ以上の北には無いような気がします。
こんばんは。
三笠市なのですね(行ったことはありませんが・・)
そこまでは梅はあるのですね。
意外と北まであるので、驚きました。
南北朝時代よりもっと古くからと知り驚きでした。西武沿線の民家の庭にも梅林が目立ち、梅の一大産地だったことに納得しました。
こんばんは。
ここにコメントを頂けるとはビックリです。
菅原道真公の話はちょっと胡散臭い感じはしますが
多分、太田道灌の要衝の頃の説が正しいのだと思います。
いずれにしても古くからあった梅林であることは間違いありません。
ちなみに西武沿線ではなく、東武線です。
でも似たようなところを西武線も走っていますね。
コメント有難うございます。