お早うございます、信です。
どんよりした灰色の雲が、空一面を覆う朝になりました。
予報では午後、雨になるようです。
先週の日曜日も雨だったので、現役のサラリーマン家庭には残念な天気周期です。
この雨も長くは続かず、明日の午後には晴れてくるようです。
さて10月29日の碓氷峠アプトの道に戻ります。
熊ノ平から戻る途中、右手の山の秋色です
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今はもう、紅葉は散ってしまったでしょうか
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いやいやまだ残っているでしょう
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ここを抜ければメガネ橋
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下に降りていきます
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明治の先人たちが残した遺構です
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度重なる震災地震を乗り越えて
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橋の上に戻りました
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一度は新線の、廃線ウォークに参加したいと思います
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メガネ橋でした
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またトンネルを抜けると碓氷湖
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PM14:30を過ぎて、日が傾き過ぎました
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それでも周回遊歩道を歩いている人がいました
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途中で買った、力餅を食べて一休み。
峠の湯から裏妙義の山々
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この日の最終か、鉄道文化むらへゆっくり走るトロッコ
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名残の秋バラです
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横川駅へ戻る道
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ゆっくりし過ぎて、最後は駅まで駆け足になりました
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帰りの電車では汗だくになってしまいました。
明日は小諸の紅葉です。
撮影日: 10月29日
撮影場所:安中市 信越線・横川アプトの道
それでは皆様、ご機嫌よう。
碓氷峠は中山道の時代から難所だったようですが
ここに鉄道を通すのはどれだけ大変だったことでしょう。
「アプトの道」を歩くとその苦労が伝わってきますね。
旧中山道とあわせて又歩きたい道です。
朝の河童橋ライブカメラを見ると上高地は白銀の世界でした。
山は本格的な冬を迎えたようですね。
少し前に行っためがね橋を、懐かしい気持ちで見ています。
下から見上げるめがね橋は本当に迫力がありますね。
この橋が小さなレンガ一個ずつ積み上げてできていて、
明治の時代からずっと残っていることに驚きます。
妙義山の姿を見ると、険しい山のように感じます。
こんにちは。
まだ人力車、馬車が当たり前の時代での、軌道工事はトンネル掘削を含め
大変だったことでしょう。
ちょっと想像し切れません。
熊ノ平では昭和25年に大規模な土砂崩れが発生し、50名の死者・行方不明者と、20名の重傷者が発生しました。
でも明治の工事での死傷者の記録は明確に残るものはありません。
それでも一筋縄ではいかない難工事だったでしょう。
いよいよ上高地も白銀の世界に入りましたね。
しばらくは近寄れない世界線です。
コメント有難うございます。
お早うございます。
takayan師匠がいらっしゃったのは9月の中旬だったでしょうか。
去年は10月末でめがね橋周辺は、殆ど葉が落ちていましたが
今年はあと3日後くらいがドンピシャ?という感じでした。
それにしてもこのレンガを積み上げていく行程、監督はどのように進み具合を測定・ジャッジしたのでしょうか
先人たちの想像力(創造力?)に舌を巻くばかりです。
裏妙義は山やの間でも超がつく難関の山です。
こちらからは見えませんが、来る時に西松井田から久しぶりに「丁字ノ頭」が見えました。
文字通り山(岩)の上にトンカチのような岩が乗っかった超難関の岩場です。
この日は空気が澄んでいて久しぶりに見えました。
いつも有難うございます。