沢藤南湘

残り少ない人生を小説とエトセトラ

大江戸美人絵巻 二の巻 笠森 お仙

2016-02-16 22:59:36 | 時代小説
 明和五(一七六八)年秋、おろくの話の十七年後である。江戸の外れ谷中の笠森稲荷の水茶屋’鍵屋’に一人の武士が、入った。
 この侍、太田南畝と言い、十九歳で幕臣として御徒(歩兵:将軍が外出するとき乗り物の前後左右の警古にあたり、平日は、要所の持ち場に詰めるのが仕事で、七十俵五人扶持の薄給)を務めていた。幼少の時は、盛んな知識欲そして、異常なほどの記憶力に皆は、南畝を神童と言っていた。今は、独学で和漢の故事典則を学び、江戸風俗に通じまた、狂歌にも長じていた。
 娘が茶を運んできた。
(お、なんて美しい娘なんだろう)南畝は、見とれてしまった。
 この天才男、生まれてはじめて一目ぼれをしたようだ。 茶を何杯か飲み、腹がいっぱいになった。客が席を求めて、待っているのに気づき、南畝は、未練を残し店を出た。
(春信さんに、教えてやろう)
南畝は、知り合いの浮世絵師鈴木春信(四十四歳)の住んでいる神田白壁町の家に行った。
こんにちわと言って、返事も待たずに腰高障子戸をあけて、入っていった。
「南畝さんかい」
春信は、返事をするも、筆を休めずに役者の錦絵を描いていた。それにもかかわらず、南畝は、一気に水茶屋の娘の話をした。
春信は、いつの間にか筆をおいて南畝の話をじっと聞き始めていた。
「そんな美人かい」
 疑り深そうに、南畝を見た。

役者の錦絵に飽きてきた春信は、翌日さっそく笠森稲荷に出かけて行った。
茶屋は繁盛していた。縁台に座ると、しばらくして、茶を娘が運んできた。春信は一目見て、その娘に魅かれてしまった。
「娘御、名前は?」と、春信は居てもたってもいられずに聞いた。
「お仙と、申します」と、その娘は鈴を転がしたような声で答えた。
この時、お仙、十八歳であった。お仙は色白で、うりざね顔そして、涼しげな眼をしたしなやかな体つきをしていた。燈籠鬢・島田髷を結って、大小あられの小紋の小袖が良く似合っていた。
長い時間が過ぎていた。陽が傾き始めていたのに春信は気付いた。
(こんなに居たのか)結構な金額になっていた茶代を払い、春信は、鍵屋を後にした。
家に帰っても春信は、お仙のことが頭から離れない。なんとか絵にできないかと考えていたときに、同じ町内に住んでいる平賀源内(四十歳)が訪ねてきた。平賀源内、享保十三(一七二八)年、讃岐の高松藩下級武士の家に生まれた。若き頃より本草学を学ぶとともに、長崎でオランダの科学も学んだ。そして、今から十一年前に江戸に来たのだが、主家から暇を出され浪人の生活を送っていた。
この時代は十代将軍徳川家治の執政の元、田沼意次が積極的な経済政策を推し進めており、江戸は文化も栄え、活気に溢れていた。学問では、蘭学が興り、文学方面では、川柳、狂歌、黄表紙、洒落本などの風俗や人情を書きつづった大衆小説も盛んになっていた。
また、芸能面では歌舞伎においては二代目瀬川菊之丞が女形で人気を集めた。また、江戸浄瑠璃も流行った。
美術の世界、特に浮世絵では、二、三色摺りによる木版画紅摺絵を何色も重ね摺る東錦絵へと飛躍した。
この時、中核にいたのが源内で、彼の周辺には南畝や春信らの多くの文化人が集まっていた。
「源内さん、笠森稲荷の水茶屋にお仙という娘がいるんだが、めっぽう美人で驚いたよ」と春信は、言った。

源内は翌日、笠森稲荷に行って、お仙を見てきて、春信の家に昼ごろ訪ねた。
「春信さん、俺もお仙さんに一目ぼれだ」と嬉しそうに言った。
高障子戸が開き、こんにちわと南畝が入って来た。
「源内さん、この間発明した‘タルモメートル(寒暖計)’売れましたか?」と、早速南畝は聞いた。
「まったく、皆信用してないのか、不思議そうに見るだけで買い手がつかないんだよ」と、苦笑いした。
「今、源内さんと、美人の娘さんを江戸町民に売り込もうかと話をしているのだが、誰がよいかと悩んでいるんだ。今候補に挙がっているのは、浅草の茶屋蔦谷のお芳さん、浅草寺裏の楊枝売りの本柳屋仁平次の娘お藤さんそして、南畝さんが見つけてきた笠森稲荷の水茶屋鍵屋五兵衛の娘お仙さんの三人なんだが」と、春信はいっきに話した。
南畝は、「お仙さんは磨かずしてきれいに容をつくらずして美人です、また、お藤さんは玉のような生娘とはこの方を言うのです」と、南畝は二人を誉めあげた。
「南畝さん、それではどちらの娘さんにするか決まりませんね」と、源内は笑いながら南畝を見た。
しばらくして、春信が「お藤さんは外見を飾って美しく見せているが、お仙さんは地で美しいのでお仙さんを私は描きたいのだが、どうだろうか」と、二人に言った。
「お仙さんに決まりだ」と、源内は言った。
「では、私はお仙さんの登場する作品を書いてみます。また、源内さんすみませんけど、去年の‘寝惚先生文集’と同様に序文を書いていただけませんか」と、南畝は源内のほうに向かって頭を下げた。
「承知した。春信さんにお願いだが、南畝さんの作品にお仙さんの錦絵を挿絵として入れてもらえませんか」と、今度は、源内は春信に向かって言った。
源内は、気鋭新進作家の太田南畝の将来を期待していたので、なんとか自分も力になってやりたいと常々考えていた。
南畝は一瞬驚いたが、すぐに春信に向かってそして、源内にも頭を下げた。
それから、十日間ぐらいの間、三人はそれぞれお仙のところに足繁く通った。

春信は、その翌日に行った。相変わらず鍵屋は混んでいた。座る場所があくまで、外で待っていた。しばらくして、席が空いたので縁台に腰をかけた。
すぐに、お仙が茶を運んできた。
春信はここぞと、お仙に声をかけた。
「お仙ちゃん、私は、鈴木春信という絵描です」と名を名乗り、春信はお仙を絵に載せたいと、言った。
「おとっつあんと、おっかさんに相談してみます」と、お仙は顔を赤らめ答えた。
その日は、返事をもらえずに、春信は帰った。

二日後、春信は昼過ぎにお仙に会いに行ったところ、お仙は家の奥に春信を案内した。
お仙の父親五兵衛が出て来た。
「春信様、お仙をよろしくお願いしますだ」と、五兵衛は頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いします」と、春信も丁重に頭を下げた。
それから、店が混んでいるので、細かい話は翌日の朝空いている時に来るからと言って、春信は茶屋を後にした。そして、春信は、そのまま源内の家に行った。
源内の家には、南畝も来ていた。
さっそく、二人に、お仙たち一家が、喜んで話を承知してくれたことそして、細かい話は明日する予定であることも伝えた。
「春信さん、良かったですね。これから忙しくなりますよ。私も、お仙さんに会っていろいろ話を聞いて文を書きます」と、南畝が嬉しそうに言った。
「春信さん、最初はどのような絵の構成にしますか」と、源内は嬉しそうに聞いた。
「今、大店のご主人から見立絵を頼まれていますので、見立絵にしたいと思うのですが、どんな見立絵がよいのか悩んでいます」
見立絵とは、簡単に言うと、古典的な画類を当世風に描いたもので‘雅’から‘俗’への変容を表す言葉である。
春信は謡曲の内容と関わりある絵の構成について、二人に相談した。
「‘蟻通(ありとおし)’でどうですか」と源内は、言った。
「どういう謡曲なんですか」と、南畝が聞いた。
「話はこうです。紀貫之(平安前期の歌人で、古今和歌集の撰者として有名。また、『土佐日記』の作者、)が玉津島参詣のため蟻通神社まで来ると、俄に日が暮れて大雨となり、乗馬さえ倒れてしまいます。途方に暮れていると、年老いた宮人が現われ、この処は物咎めをする蟻通明神の境内であるから、そうと知って馬を乗り入れたのであれば、命がないと言われます。貫之が名を告げると、それでは和歌を詠じて神慮を慰めなさいと言われ、そこで‘雨雲の立ち重なれる夜半なればありとほしとも思ふべきかは’と詠じると、宮人は感心し自分が蟻通明神である由を告げる。・・・という謡曲です。
 和歌の徳を讃えるのを目的とした曲です。また、シテの宮人が傘と燈籠を持って現われるのも珍しいと言われています」と、源内はいっきに説明した。

 この中に出てくる蟻通神社は、現在大阪府泉佐野市に現存しているが、筆者は残念ながら行ったことが無い(単身赴任で大阪にいた時に行っておけばよかったと思ったが、良く考えてみるとその時はこの話を残念ながら、全く知らなかったのである。
話を戻そう。

「源内さん、それで行きましょう。下絵を考えてみます。またできたら来ます」と喜んで、春信は帰って行った。
春信からお仙についての細かい話を聞いた後に、南畝も頻繁に鍵屋に行き、長い間お仙の仕草や応対を観察した。それから、長屋に帰って、お仙のことについて、書いては書き、そして、何度も書き直した。

九月の末にやっとお仙について書き上げた。
(やっとできた)南畝は、声を出して読み上げた。
「社前には参詣の人もなく、賽銭箱に投げ入れられる銭の音も無い。俄かにして一朶(いちだ:花の一枝)の紫雲下り、美人の天上より落ちて、茶店の中に。座するを見る年は十六七ばかり、髪は繻子(しゅす)の如く、顔は瓜犀(うりざね)の如し。翆(みどり)の黛(まゆずみ)、朱き唇、長き櫛くし、低き履げた、雅素の色、脂粉に汚さるゝを嫌ひ、美目めもとの艶しな、往来を流眄(ながしめ)にす。将に去らんとして去り難し。閑にちゃだいの茶を供はこび、解けんと欲して解けず、寛く博多の帯を結ぶ。腰の細きや楚王の宮様ごてんふうを圧し、衣の着こなしや小町が立姿かと疑う。……一たび顧みれば、人の足を駐とめ、再び顧みれば、人の腰を抜かす」
(これで良しとするか。この文の前に、春信さんの絵をいれよう。源内さんには、明日にでも読んでもらって、序文を書いてもらおう)南畝は、筆に墨をつけて、表紙に‘舳羅山人著 売飴土平伝(あめうりどへいでん)笠森お仙附’と書いた。ちなみに『舳羅』とは、嘘でたらめという意味で、南畝のこの本でのペンネームである。
四半刻、自分の書いた本を見続けた。

一か月後の十月の初旬、春信は南畝の長屋に下書きを持って行った。その下書きは、激しい風雨に細い体をしならせて、宮へと向かっている絵である。鳥居を背景に、お仙が傘を掲げ、提灯を持っている。雨の夜、宮の前を通り過ぎようとした紀貫之を呼びとめた宮人をお仙の姿に置き換えたものであった。
「春信さん、なかなか良いですね。お仙さんの目をもう少し切れ長にしたらどうでしょうか」と、南畝は指でさした。
後に出る‘都風俗化粧伝’(みやこふうぞくけわいでん:
江戸時代後期に出版された美容本には、『目は顔の中央にありて、顔の恰好を引き立てる第一は凛と強きがよい。然れどもあまり大き過ぎたるは見苦し。無理に細き眼にせんとて、目を狭めるのはよくない』と書かれている。
春信と南畝がしばらく話していると、源内がやって来た。
「源内さん、できましたよ」と、春信は南畝の意見を取り入れた下書きを見せた。
「素晴らしいですね」
四半刻で、三人は、この下書きを本摺りすることで意見が一致した。

十日後、春信は摺りあがった錦絵を持って、南畝の長屋を訪ねた。
「春信さん、美しく摺りあがりましたね。これはすごい。是非源内さんにも見せないと。
一枚いただけませんか」
「源内さんと南畝さんの分です」
南畝に二枚渡した。
春信は翌日、笠森のお仙に出来上がった錦絵を持って行った。お仙の髪は、髱(たぼ)と鬢(びん)を大きく張り出させて、生え際や襟足が引き立ち華やいで、また、青い縦縞の小袖に赤い前だれを掛けて、なお一層体がすらりと見え魅力的であった。
髱(たぼ)とは日本髪を結った際の後頭部の部分の髪をまた、鬢(びん)は頭髪の左右側面の部分を指す。
「わあ、すごく綺麗。春信さん、ありがとうございます。おとっつあんとおっかさんに見せてくる」と言って、奥に入って行った。
しばらくすると、父親の五兵衛と母親のタエが出て来て春信に何度も頭を下げて礼を言った。
春信たちが、立ち話をしている間も客が絶えなかったので、春信は早々と鍵屋を後にした。
出ていく春信を鍵屋の斜め前の路地から編み笠を被った侍が、目で追っていた。
春信は、気付かず、錦絵を頼んできた版元の申椒堂(しんしょどう)の主人市兵衛の所、日本橋北室町にこの絵を渡しに行った。

市兵衛は、平賀源内,大田南畝の著作や杉田玄白らの‘解体新書’などの蘭学書を刊行した。そして、後年の寛政四年(一七九二)林子平の「三国通覧図説」発刊で、重過料の処分をうけた。

「春信さん、これはよくできている。本当に綺麗にできている」と、大満足のようであった。
春信は早々に、大店を後にして南畝の家に行った。春信は、次に出す錦絵の下絵を南畝に見せた。
「春信さん、今度は江戸の町人に売れますね。これも良いです」と南畝がほめた。「これですか、すばらしいじゃないですか」と源内は驚いた。
この絵は‘団子を持つ笠森お仙’と名付けられた。後ろに鳥居、茶の縦縞の小袖を着たお仙が、右手に団子を持ち、体をやや左側に反らしひざ下から素足が覗いている姿が描かれていた。
「南畝さん、いるかい。源内だ」源内の声がした。
「はい、入ってきてください」
「春信さんも来ていたのかい、丁度よかった」
 と言って、
「南畝さん、‘売飴土平伝’の序文を書きました」と源内は、南畝にその原稿を渡した。
 南畝は、しばらくその原稿を読んだ。
「源内さん、ありがとう。よくできています」
 源内も笑みを浮かべた。
 南畝は、原稿を置き、近くに置いてあった下絵を源内の前に置いた。
「源内さん、春信さんが挿絵を描いてくれましたよ」と南畝は嬉しそうに言った。
申椒堂から一ヶ月後、戯作‘売飴土平伝’が売り出され、当初予想していたよりも、順調に売れていた。
しばらくして、錦絵‘団子を持つ笠森お仙’も売り出されたが摺られていた二百枚は一日のうちに飛ぶように売れてしまった。
お仙の評判は湯屋で広まり、男だけでなく町娘もお仙の恰好に夢中になった。一躍、お仙は今で言う‘江戸のファッションリーダー’にもなってしまったのである。
春信は、お仙を描きたいが良い案が浮かばないので、南畝に相談を持ちかけた。
「春信さん、今歌舞伎が流行していますね。最も人気ある役者は女形の瀬川菊之丞です。この菊之丞をお仙さんと一緒に絵がいたらどうだろうか。人気がこれ以上出るのは間違いないと思いますよ」と、南畝は言った。
「なるほど、お仙さんと歌舞伎役者か。それは良い案だ」

数日後、春信は、出来た下絵を持って南畝に評価を仰いだ。
‘笠森お仙と団扇売り’という題の絵である。絵の構成は、背景には赤い鳥居、お仙は当代一の人気歌舞伎役者瀬川菊之丞の定紋が描かれている団扇を手にしていた。売り物の団扇には、勝川春幸や一筆斎文調の役者絵をはったものを置いてあった。また、菊之丞を団扇売りとして描いていた。
この錦絵は、爆発的に売れた。これによりお仙の人気も確固たるものとなり、お仙の絵は草双紙(挿絵がついたかな書きの読み物)、双六(すごろく)、読売(瓦版のこと)にのるだけでなく、手拭いにも染められた。
また、森田座ではお仙の狂言を歌舞伎役者の初代中村松江が演じ大当たりした。
巷では、(向う横丁のお稲荷さんへ一銭あげてざっと拝んでお仙の茶屋へ腰を掛けたら渋茶を出した。・・・)と唄われた。

春信は礼を言いに、南畝の家を訪れた。
「南畝さん、売れ行きが凄いです」
「町で、大評判ですよ。良かったですね」と南畝は嬉しそうに言った。
「南畝さんのおかげで、もう版元は増刷でてんてこ舞いです。これ、些少ですけれど」
と言って、南畝の前に金子を差し出した。
南畝は未だ浪人のため、定期の収入が無く、春信の好意に感謝した。
一方、相も変わらず鍵屋に、お仙見たさで毎日、客が詰め掛けていた。その応対にお仙は忙しかった。
お仙はあちらこちらから声をかけられるものの、浮いた話は一つも立たなかった。
春信は、仕事が一段落したところで、お仙の顔を見に笠森に行った。
「お仙さんの人気、すごいですね。よかったですね」と、お仙に言ったところ、
「春信さん、人気が出たのは嬉しいですけれど、町に出ると皆がじろじろ見たり、声をかけたりで落ち着いて買い物も出来なくなってしまいました」と言って、仕事に戻った。
春信は困った。
(評判になってしまったら、役者と同じに見られるのはいたしかたないと春信は思うのだが、まだ若いお仙にとっては、いたたまれないことかもしれない)春信は時間が経てば、評判になる前の生活に戻るようになると話をして、鍵屋を後にしようとした時、キャーとお仙の声が聞こえた。
 町人風の酔っ払いが、お仙にからんでいた。
「少しぐらい触っても減るもんじゃありめえ」
 お仙は、泣き始めた。
「お前、外に出ろ」
 編み笠を被った侍が、酔っ払いの腕を引っ張り外に連れ出した。
「てめー、なんだ」
「静かにしろ」酔っ払いの手を捻り上げた。
「いてえ、この野郎、覚えていろ」
 酔っ払いは、後ろも見ずに逃げて行った。
 お仙が、侍の前に行き、礼を言って頭を下げた。
 侍は、礼には及ばぬと言って、立ち去って行った。
 侍の名は、倉地政之助。幕府旗本お庭番の役目で時々笠森観音界隈を見回りに来ている。
 春信は、一部始終を見て、その場を去った。

それから、春信はずうっとお仙の言った言葉を忘れることができなかった。
(俺がお仙ちゃんに迷惑をかけたんだ。取り返しがつかなくなったらどうしよう)

翌年の明和六(一七六九)年夏から仕事と精神的な疲れから、春信は寝込んでしまった。
その頃、南畝は、風来山人の作家名で‘放屁論’という評論を書き終わったころであった。
放屁論の原文の出だしである。
『にんじんを飲んで養生しながら、首をくくると言った馬鹿者もあれば、ふぐを食って長生きをする男もいる。たった一度のことで父なし子をはらむ下女がいるかと思えば、毎晩・・・・・』     。

南畝が忙しさから解放された九月、春信を尋ね、春信の痩せ細った体を見て驚いた。
「春信さん、御加減はいかがですか。仕事が忙しかったから疲れが出たんでしょう。この薬草を煎じて飲んで下さい、きっと元気になりますよ」 和紙に包んだ朝鮮人参を枕元に置いた。
「南畝さん、ありがとう」
 後ろ髪をひかれるように、涙を抑えて南畝は春信の家を後にした。
 源内の友人、杉田玄白に日毎診てもらっていたが、春信の容態はいっこうに良くならずに明和七年に時は流れた。
その二月。源内が春信の家の高障子戸をあけた。
「源内です、春信さん」
 源内が、框をあがって障子をあけると、既に、版元の申椒堂の市兵衛が、春信の寝ている横に座って話しかけていた。
「春信さん、これは今までのお礼です、滋養を付けてください」
 そっと、十両を差し出した。
浮世絵は、普通版で一枚、十数文(現代で数百円)であった。春信のおかげで、市部衛は数万枚も売ることができ、莫大な儲けを手にしていた。
「市部衛さん」
 源内が、声をかけた。
「源内さんじゃないか」
「春信さんは」
「また、眠ってしまいましたよ」
「だれですか」
「源内です、春信さん。笠森稲荷の鍵屋のお仙が見えなくなったそうですよ。かわら版では、【とんだ茶釜(お仙のこと)が薬かん(禿げた父親)に化けた】と書かれていました」と寂しそうに言った。
「源内さん、私悪いことをお仙さんにしてしまったんです。悩んでいたんでしょうね」
 自分を責める春信のやつれた姿が、痛々しかった。
「いや、そんなことはないと思いますよ」
(しまった、余計なことを言ってしまった)源内は、俯いてしまった。
「春信さん、早く治してください。春信さんの美人画を待っている人がたくさんいます」

数日後、南畝は鍵屋をのぞいた。客はわずかだった。
その客の中に、あの笠を被った侍が、お仙の父親と話をしていた。侍は、南畝の顔を見ると頭を下げて、去って行った。
南畝は、侍を見送り、床几に座った。
しばらくして、茶を持ってきたお仙の母親に南畝がお仙の行くえを聞いたが、ただ笑っているばかりで相手にしなかった。
 毎日鍵屋に南畝は通った。そして、とうとうお仙の話を母親から聞き出した。
 そして、すぐに、春信の家に行った。
玄白が、春信の前に座っていた。
「おお、南畝さん」
「玄白さん、春信さん」
「今夜が峠かもしれません」
「話しかけていいですか」
「はい」
「春信さん、聞こえますか」
 春信は、目を開き首をかすかに振った。
「春信さん、お仙ちゃん、お嫁に行くんだって。良かった、よかった」
 春信の目から涙が流れた。

三か月後、南畝、源内、玄白たちの介護もむなしく、明和七年六月十五日、春信は鬼籍に入った。
南畝は、『東錦絵を詠ず』という狂詩で【忽ち東錦絵と移ってより、一枚の紅摺枯れざる時、鳥居は何ぞ敢て、春信にはかなわん。男女写しなす当世の姿】と詠たい、嘆き悲しんだ。 
 南畝は、酒に溺れた。
 しかし、天才肌の南畝を周りが放っておかなかった。申椒堂の市兵衛が、ある武士の娘を紹介した。話はとんとん拍子で進み、翌年の明和八年(一七七一)、二十三歳になった南畝は、その娘と祝言を挙げた。五歳年下の富原氏の末娘里与(りよ)である。
お仙がいなくなって、数か月の間は、谷中界隈だけでなく、江戸府内中で、お仙がなぜいなくなったか、いろいろうわさで騒がしかった。ある者は、静かな所へ失踪したんだとか、ある者は横恋慕にあって、殺されたとか、また、無理心中の噂も出ていた。
南畝は、毎日の生活に追われていたが、そんな話を聞くたびに春信を思い出した。
そんな噂をよそに、お仙は、桜田御用屋敷内にある仮親の馬場信富の家で花嫁修業をしていた。仮親の馬場家から幕府旗本御庭番倉地政之助へ嫁ぐためであった。この時代、町民から武家に嫁ぐためには、武家の仮親に養女にならなければならなかった。

【御庭番は、享保元年(一七一六)に徳川吉宗が将軍家を相続した際、紀州藩において隠密御用を勤めていた薬込役を幕臣団に編入し、彼らを「御庭番家筋」として、代々隠密御用に従事させたのをはじめで、吉宗が幕臣団に編入した紀州藩士約二百名のうちの十七名を租とするものである。
職制では大奥に属する男の役人のひとつで、若年寄の支配で、江戸城本丸に位置する庭に設けられた御庭番所に詰め、奥向きの警備を表向きの職務とするが、時に将軍の側近である側御用取次から命令を受け、日常的に大名・幕臣や江戸市中を観察し情報収集活動を行っていた。

また、庭の番の名目で御殿に近づくことができたので、報告にあたっては御目見以下の御家人身分であっても将軍に直接目通りすることもあり、身分は低くても将軍自身の意思を受けて行動する特殊な立場にあった】

政之助の倉地家は、十七家の一つで、初代 御家人文左衛門満房 二代 仁左衛門忠見で、その息子が三代目 政之助であった。
文右衛門は笠森稲荷の大の信者で、感応寺から地面を借りて勧請したのがこの稲荷である。

ある日、政之助は、御休息御庭の者支配として、谷中を見回っていた。夏の暑い盛り、政之助は汗だくで、笠森稲荷の前の茶屋の台に腰を落とした。店の中は混んでいた。
しばらくして、お仙が、冷ました茶を運んできた。
政之助は、編みがさの中からお仙を見た。
(なんて、純朴な娘なんだろう)
お仙は笑顔で茶を出した。
政之助は、谷中を巡回するたびに、お仙の店に寄った。そのたびに、お仙に対する思慕が増していった。
そして、ある日、政之助はお仙の両親にお仙を嫁に欲しいと言った。両親は、びっくりし声も出なかった。父親は大反対であった。
しかし、政之助の熱意にとうとうほだされ、お仙を倉地家に嫁がせることにした。倉地家は、西の丸納戸頭馬場信富に仮親を頼んだ。

【納戸役とは、将軍の居所である中奥に勤務した中奥番士(江戸城の本丸御殿は幕府の有った表御殿と将軍の居所の中奥と御台所様や側室の居所の大奥に別れていた)の一つで、将軍の用度の一切を取り扱う役。その納戸役のトップが納戸頭で、身分は布衣格(六位相当)で焼火の間上席で、役高は、七百石、 下役は御納戸組頭が四名(旗本)、御納戸衆が二十四名(旗本)、御納戸同心六十名(御家人)がいた】

お仙は、武家でのしきたりや礼儀を馬場家で徹底的に教え込まれていた。
朝早くから、掃除、洗濯そして、朝餉の支度、朝餉が終わると、信富の妻くみはお仙に、木刀を持たせた。
「お庭番の嫁は、万が一に備えて、武術を覚えていなければなりません。木刀はこう持つのですよ」くみが、自ら示した。
 そして、素振りをするようお仙に言って、くみはえっい、えっいと声を出して振りはじめた。 なかなか、くみはやめと言わない。
 お仙は、汗びっしょりになり、体が右左と揺れながら、木刀を振り続けた。
午後は、礼儀作法の教育。
「お仙殿、襖戸は、こうやって閉めるの」
 くみは音もなく、一寸の隙間を閉めた。
 お仙も試みたが、やはりくみとは違って音が出てしまった。
「最初は、仕方ありません」
 くみはお仙を慰めた。
「お仙殿、畳の淵を踏んではいけません」
 お仙は、何が何だか分からなくなってきた。
「お仙さん、気持ちをまず込めた所作をすればいいのですよ」
 くみは、微笑みながら言った。
 そう言われても、
(あたし、本当に、武家の家に嫁ぐことができるのかしら)
 お仙は、滅入った。

 三か月が過ぎたころ、くみが、笠森に行こうとお仙を誘った。
「お母様」
「これをかぶって下さいね」
くみから紫の御高祖頭巾(おこそずきん)を渡された。
 お仙はかぶり方がわからず、躊躇した。
 「こうかぶんのよ」くみは自分の淡い桃色の頭巾をかぶってみせた。
 お仙とくみは、一刻ほどで笠森稲荷に手を合わせてから、 水茶屋’鍵屋’に近づいた。鍵屋には、客は、あまりいなかった。
「お仙殿、お父様とお母様に顔を見せてきなさい」
 くみに言われて、お仙は戸惑ったが、背中を押されて、お仙は店に入った。
「いらっしゃい」五兵衛が言った。
「おとっつあん」
 五兵衛は、唖然として御高祖頭巾をかぶったお仙をまんじり見続けた。
「お仙よ、おとっつあん」
「えっ。お仙か、立派になったもんだ。馬場様のところではうまくいっているのか」
「ええ、大丈夫よ」
「時々、政之助様が俺の様子を見に来てくれる」
「そう」
「やさしいお方だ」
「おっかさんは」
「茶を買いに行っている。元気でやっているから心配ねえ」

 しばらく、五兵衛の身の回りの話を聞き、五兵衛に、元気でと言って、店を後にした。
 くみの待っている茶屋に着くまでには、お仙は、涙を拭っていた。
 
明和七(一七七一)年の春、二十一歳になったお仙は、ささやかな祝言を挙げ、旗本倉地政之助(三十歳)に嫁いだ。偶然にも、南畝の結婚した年であった。
政之助の屋敷は、日比谷御門外の毛利家及び鍋島家の屋敷に接していた桜田御用屋敷内の長屋であった。長屋と言っても、敷地一七七坪、総建坪六十二坪で、谷中にあるお仙の家とは大違いの規模であった。

それから二十数年の年月が過ぎ、太田南畝、四十六歳の二月三日。学問吟味を受験した。心機一転した南畝は、第二回学問吟味で主席となった後、勘定奉行配下の支配勘定を務めることになった。
「お仙、南畝さんがとうとう学問吟味に受かったぞ」政之介から南畝の出世を聞いたお仙は、喜んだ。
「さすが南畝さんだわ」

七月。
「お仙、帰ったぞ」
「おかえりなさいませ。あなた何かうれしいことでもあったのですか」
「殿から、払方御金奉行を命じられた」
「おめでとうございます」
 夫の政之助が、幕府の金庫を管理する払方御金奉行に抜擢された。御殿勘定所の勝手方掛に分属する金奉行で、払方(支出)の方を分担する役であった。
 政之助、お仙夫婦は、仲良く暮らしつづけた。お仙は、次々と子を産み、とうとう九人の子を立派に育てた。その息子たちは、父に劣らず優秀な御庭番になったと伝えられている。
文政十(一八二七)年、お仙は、七十七歳で幸せな人生に幕を閉じ、四谷の正見寺に今も眠っている。


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大江戸美人絵巻 一の巻 湊屋 おろく

2015-09-20 08:49:35 | 時代小説
九代将軍、家重執政の宝暦二(一七五一)年 桜の咲く頃。
浅草寺地内に湊屋という『ごふく茶屋』を称した水茶屋があった。ここでは湊屋をごふく茶屋と呼ぶことにする。
 ごふくとは、御仏供からきたもので、‘仏前に献茶して仏果を得る’という意味である。
ごふく茶屋には奥座敷が設けられてはいるが、他の店とは違い私娼窟ではない。お茶を飲ませるのを目的としていた。この店では、熱い湯でまず桜湯、麦茶を出した。
浅草寺の鐘が、昼八ツ(午後二時)を打った。ごふく茶屋では、おろくという娘が、客にお茶を運んでいた。
「ありがとう。おろくちゃんの入れてくれるお茶は天下一品だ」
薬問屋の若旦那の田助が言った。
「また、若旦那、冗談がお上手ですね」と、おろくは言いながら他の客にお茶を運んで行った。
「おろくちゃん、相変わらずきれいだね」と、大工の留吉は言った。
「ありがとう」と言って、おろくは外に出た。そして、
「ごふくの茶、参れ、参れ。」と、浅草寺参りの人々に声をかけた。
「松さん、いらっしゃい」
おろくは一人の客を店の中に案内した。棒振の松太郎であった。
そして、勝手場に戻り、おとっつあんが入れた宇治の茶を客たちに運んだ。
一時(二時間)が過ぎ、客たちも帰り店を閉める時間になった。
「おろく、片づけはおとっつあんとおっかさんがやるから湯屋に行っておいで」と、母親のフミが言った。
「早く行ってきな」
父親の太郎も言った。
「おとっつあん、おっかさん、お疲れ。じゃ、湯屋に行ってくるよ」と、湯の道具を持って、弁慶縞の小袖を着流し、おろくは出て行った。
しばらく歩いていると、後ろから、「おろくさん、湯屋へ行くのかね。」と、棒振りの松太郎。
「あら、松太郎さん。こんばんわ」
「おらあも、湯屋へ行くんで、一緒に行こう」
そして、二人は湯屋に入って行った。
松太郎は、烏の行水ですぐに出てきて、二階に駆け上がり、「こんばんは」と、挨拶をした。
隅のほうでは、薬問屋の若旦那の田助が、金物屋の平吉が酒を酌み交わしていた。
「おお、松さんこっちにきて、一局やらないか」と、太助が手招きをした。
「はいよ、若旦那たち、今日は早いですね」
「いや、ちょっと前に来たばかりですよ、ねえ平吉さん」
「そうですよ、ちょっと前に来たばかり」
「松さん、何か嬉しそうじゃないか」と、田助。
「さっき、湯屋へ来る途中、おろくちゃんに会って、一緒にきたもんで」と、松太郎は嬉しそうに二人に言った。
「それはうらやましい」と、田助は松太郎を嫉妬しているように、言った。
この田助も松太郎もおろくに一目ぼれしてしまい、毎日のようにごふく茶屋に通っていた。そして、田助と松太郎は、酒を飲みながら将棋を指し始めた。
半時ほど経った頃、おろくは上がり場で鏡を見ながら髪を結っていた。
今日は、櫛まきに仕上げて小袖を着た。櫛まき髪とは、櫛を逆さまにまき込んだ髪型で粋な髪型である。
(さあ、帰ろうかな)おろくは、出口に向かった。
そばにいた男たちだけでなく、女たちもおろくに見惚れた。
おろくは、ほんのり頬が湯で桃色に染まっていた。
(さっぱりしたわ、早く帰って、おとっつあんとおっかさんも、湯屋に行ってもらわないと)と思いながら、皆に頭を下げて出口に向かった。
着替えている人々は、うっとりしながらおろくを見つめていた。
「おろくちゃんは、相変わらずきれいだね。湯上りは、ますます色っぽくなるね」
「あの髪形、しゃれているね。今度真似してみようかしら」
女たちの囁き声が聞こえてきた。
「おばちゃん、ありがとう」
 番台の女に声をかけて、おろくは湯屋を出た。西の方の山々は、朱色に染まり始めていた。
道に造られた行燈に、すでに灯が入っていた。夜風が、爽やかに柳をなびかせながら、おろくを通り抜けて行った。

「おろくちゃん~」
もうすぐ家だという所で、声を掛けられた。振りかえると、息を切らした田助が一間ほど後ろにいた。
「あら、若旦那。どうなされたんですか」
「夜道は危ないから、家まで送って行きますよ」
「松太郎さんと一緒じゃないんですか」
「松さんは、平吉さんと未だ二階で飲んでます」
「二人ともお酒好きなんですね」と、おろくは、田助のほうを向いて言った。
田助は、今年は忍が岡の花見に、是非おろくを誘って行きたいとずっと思っていたので、今夜が誘いの機会といつ言おうかと考えていた。
忍が岡は、現在の上野公園界隈である。
おろくの家に近づいた時、田助は心臓が高鳴るのを振り切って、
「おろくちゃん、今度の休みに、‘忍が岡’に花見に行かない?」と、なんとかおろくに聞こえる声で言った。
「うーん、ちょっと考えさせてください。田助さんが今度お店に来た時に、返事します」
「おろくちゃん、じゃ明日お店に行くから」
二人が話に夢中になっているうちに、かおろくの家に着いた。
「ただいま」
「お帰り」
「おっかさん、若旦那に送ってもらちゃった」
 奥から出てきたフミに小声で言った
「若旦那、いつも、いつもありがとうございます」
フミも声を落として言った。
おろくの父、太郎は、おろくに変な虫がつかないか心配で、おろくが連れて来る男にはめっぽう厳しく当たることで有名であった。ましてや、夜酒を飲んでいる太郎はなおさらなのである。そのため、フミは、田助が来たことを太郎に知られないようにしたのであった。
田助も、そのことは十分知っているので、小さな声で
「おやすみなさい」と言って、二人に別れを告げ帰った。
「おーい、誰か来たのか?」
居間から太郎が怒鳴った。
「おろくが帰って来たんですよ」
「おとっつあん、ただいま」
「おー、遅かったな」
「おとっつあんとおっかさん、湯屋へ行ってきたら」

数日後、おろくと田助は、忍が岡にいた。おろくは、腰折れ島田の髷(髷の真ん中の元結で締める所がくぼんでいる髪型)を結って花簪を挿し、青海波(せいかいは)模様の入った小袖に柿色の綸子(りんず:滑らかで光沢がある絹織物。)の帯を吉弥結びにしていた。
吉弥結びは、一丈二尺の帯を後ろで片結びするもので、歌舞伎役者女形の初代上村吉弥の考案によるもののようである。
人混みの中なのに、すれ違う老若男女たちは、おろくの美しさに驚き、見とれていた。
田助は、意識せずにはいられなく、緊張しながらも、誇らしく歩いた。二人が、寛永寺の山門吉祥閣を通り過ぎた時、清水堂の山裾の桜が目の前に広がった。
「桜もきれいだけど、おろくちゃんはもっと綺麗だよ」と、照れながら田助は言った。
半時(一時間)ほど二人は歩いた。
「若旦那、ちょっと休みませんか」と、おろくが疲れた顔で言った。
「疲れましたね」と、田助も言った。
そして、二人は不忍池の畔にある水茶屋に入った。
「いらっしゃいませ・・・」
店の女は言って、おろくをまんじりともせずに見入った。
「あっ、すみません」と言って、水辺に近い席に二人を案内した。
すぐに、女は茶を運んできた。
「おろくちゃん、お腹すいていない」
「ええ、ちょと」
 女が、行こうとする時に、田助が聞いた。
「おねえさん、何か食べるものないですか」
「穴子の天麩羅でめしか蕎麦です」
「おねえさん、天麩羅とめし。あとお酒三合、頼みますよ」
 二人は、食事を取った。 時を忘れて、二人は話しすぎたいつの間にか、茶屋は、夕暮れに包み込まれ始めていた。
田助は、酔いが回った勢いで、奥座敷を頼んだ。
女が来て、二人を部屋に案内した。こんな部屋に通されたことにおろくは、驚き困った。仕事柄、このような場所に案内される人たちは目的が別なところにあることを知っていたが、ここまで来たら、今更、女にどうのこうのとは言えない。田助は黙っているし、おろくは、早く帰ることばかり考えていた。
案内した女は、お茶を取りに出て行った。
それから二人は、しばらく黙って座っていた。変な雰囲気に耐えられずに、
「このお店、きれいですね」と、おろくは言った。
田助は胸の鼓動が高まって来た時、女がお茶を運んできて、二人の前に置いた。
「何か御用があれば、呼んでください」と言って、すぐ部屋を出て行った。

毎日、おろくは目が回るくらい忙しかったが、あれから田助とは、目立たないように逢瀬を重ねた。
数か月後、おろくの体調に変化が出てきた。
「おろく、最近食べ物に好き嫌いを言うようになってきたけど、どうしたんだね」
「いや、そんなことはないわ」
 おろくは、ドキリとした。

田助に、そのことを伝えそして、
「もしかして、若旦那の子供ができたかもしれないわ」
「子供ができたって」と、田助は驚き、しばらくして我に返って、喜んだ。
「若旦那とあたしの子供だよ」
「そうだ、はやく親に言わないと」
「早く祝言も挙げないと。今日帰って、おとっつあんとおっかさんに言うよ」
「私も、言う。きっと許してくれると思うよ」
田助は帰って、両親におろくと結婚すると話した。
「水茶屋の娘だと、絶対許さん」と、田助の父、仁吉は言った。
「許してくれないなら、俺は家を出る」と、わめいた。
「ばかなことを言うな、家を出てどうするんだ。お前に何ができるんだ」
田助の母、お吉はただ泣いているだけだった。

おろくは、母親のフミに田助の子供ができたことを伝えた。
「なんだって、おろく。冗談を言いでないよ。若旦那の子供だって」
「おっかさん、本当なんだよ」
「こんなこと、おとっつあんに言ったら勘当されちまうよ。相手先とは月とすっぽんなんだから」
「おっかさん、どうしよう。」と、泣きながらおろくは言った。
「いいよ、おとっつあんにはあたしから言ってみるよ」
夜も更けて、行灯の灯も、消えそうになってきた。
「おろくのお腹に、薬問屋の若旦那の子ができたんだって」と、フミが言った。
「なんだって、そんなバカな」
「本当なんですよ」
「おっかあ、どうしたらいい」
「あんた、おろくにはかわいそうだけど、私の実家にあずけましょう。ほとぼりが冷めるまで。子には罪が無いからね」
翌日、おろくは、フミの祖父母オタカと直助の家のある川越にフミと一緒に行った。
フミは、川越の実家について、お茶一杯飲んでから江戸へ引き返した。

おろくがいなくなった‘ごふく茶屋 湊屋’は日を追うごとに客が減った。田助は、あれから姿を一度も見せなくなった。金物屋の息子の平吉、大工の留吉そして、棒手振りの 松太郎は毎日のように来て、おろくのことをフミに聞いた。
「おろくちゃん、どこに行ったんですか」
フミはただ笑顔を作るだけだった。

今日も留吉が店を閉めるまで茶を飲んでいた。フミは、留吉のところに数杯めのお茶を運んだ。
「おろくちゃん元気にしていますか。一体どこに行ったんですか」
「留吉さん、おろくのこと心配してくれてありがとう。おろくは若旦那の子を孕んでしまったの。でも、田助さんとおろくの結婚は、あちらさんもこっちも大反対だったんですよ。だから、おろくを実家に行かせたんです」
「おろくちゃん、かわいそう」
「おろくちゃんのお母さん、おろくちゃんのいるところを教えてください。お願いします」留吉は頭を下げた。
フミも根負けした。

秋も深まって来たある日、留吉は、やっと棟梁から許しを得て、三日間休みを取った。
七ツ刻(朝四時)、川越街道を北に向かった。江戸~川越まで十一里(約四十四キロメートル)、留吉は、板橋宿、上板橋宿、下練馬宿、白子宿、膝折宿、大和田宿、大井宿と通り過ぎ、川越宿に入った。陽が暮れ始めていたのにもかかわらず、人の多さに驚いた。
(此処まで来れば、もうすぐ会えるぞ。ここでゆっくりして、明日早くから探してみるか)
 留吉が、ほっとした時、
「おにいさん、泊まっていってよ」
 客引きの女が、留吉の左袖をつかんだ。
 向かいの店の女が、走ってきて、右腕をつかんだ。
「うちに泊まってよ」
「はなせよ」留吉は、大声で言った。
「おにいさん、早く決めてよ」
「分かった。お前のところにするぜ」
 左袖をつかんだ女に言った。
女は、留吉を店の上り框に座らせ、タライを持ってきて留吉の足を洗った。洗い終わると、座敷にいた女が
「こちらへどうぞ」
 と言って、留吉を部屋に案内した。
「お客さんです。よろしくお願いします」
女は、障子をあけて、すでに泊り客のいる部屋に留吉を促した。浪人風の男と商人の二人が、なんやら話をしているところであった。
「よろしくおねがいします」
 留吉は、軽く会釈をして、座った。
「職人さんかい」
 商人の男が言った。
「へい、家職人の留吉と申します」
「大工か」
 浪人風の男が、口をはさんだ。
「某、城崎又の助と申す。よろしく」
「あたしは、酒屋問屋の太助といいます」
「留吉さん、これからどうされるんで」
「どうするって、なんですか」
「あたしたちは、これから川越の夜を満喫するために出かけるんですよ」
「おぬしも、一緒に行かぬか?」
「いや、あたしは明日朝が早いもんで。申し訳ありません」
「そうか、じゃ悪いが出かけてくる」
 二人は、いそいそと出かけて行った。
 しばらくすると、女がやってきて、風呂にするか飯にするかと聞いてきた。 留吉は、風呂に入って、飯を食べた。
「お客さん、食べ終わったらどう」
 女が、色目を使った。
 飯盛り女、と言われる類の女であった。行燈の淡い暗さが、女を引き立てていた。
 一瞬、留吉は戸惑った。旅の恥はかき捨てと思う一方、おろく会いたさにやってきた気持ちと留吉の心は、葛藤した。
「いや、今日は疲れているんで」
 と断った。
朝六ツ半(七時)に留吉は、朝陽が障子を白く映し出し時に目が覚めた。部屋は、酒臭かった。二人は、まだ寝ていた。
留吉は、一階に下りて、飯を持ってくるように女中に頼んだ。粟飯と具が茸の味噌汁そして香の物を食べて、 五ツ(八時)に、宿を出た。
そして、二刻(四時間)ほどかかってやっと、宿場はずれの村のおろくのいる家の前に着いた。
(やっとついたな、ここか)
 留吉が、垣根越しに家を覗いた。おろくが、庭先で洗い物を干していた。
春信風島田を結い、麻の葉小紋に赤い襷を掛けた姿は、秋の日差しを受けて留吉の目には、おろくが観音様のように輝いて見えた。
おろくが、留吉に気がついた。
「留吉さん、留吉さんじゃないの」
「おろくちゃん、元気そうじゃねえか。良かった、良かった」
涙が、出そうになった。
「おろく、だれか来たのか?」と、祖母のオタカが出て来て、おろくに言った。
「おばあちゃん、留吉さん。江戸から来てくれたんだ」
嬉しそうにおろくは、オタカに紹介した。
「おお、ごくろうなことじゃ、上がってお茶でも飲んでくれ。おろく、後でいいから留吉さんとやらにお茶を入れてあげな」
「はい、留吉さん、上がって待っていて」
おろくは走って、家の中に入って行った。
「おばあさん、この子はおろくちゃんの子供ですか?」
留吉は、オタカが抱いている子を見て言った。
「そうだよ、かわいいだろう」
おろくに似て、目元がすっきりして利発そうな顔をした女の子であった。
「どうぞ、遠慮せずに中に入って下せい」
オタカは留吉を家の中に案内した。
留吉は、おろくに会える日を一日千秋の思いで待っていたのだが、おろくの子を見たら急に心に迷いが生じた。
「早く上がりなせい」と、催促の声がかかったので、留吉は迷いを払しょくして床に上がった。
囲炉裏に近づくと、おろくの祖父の直助が会釈をした。
「よく、来なさったな。まあゆっくりしろや」
複雑な顔をして言った。
「おじゃまします」
留吉は、腰を下ろした。
「わざわざ、江戸からおろくに会いに来てくれたそうだな」
「はい、おろくちゃんが急にいなくなったもんで、心配で」
「留吉さんとやら、今日はゆっくりしていけるのか?」
直助は留吉の顔を覗き込むようにして言った。
「いや、はい。今日と明日は仕事が休みなもんで、今日はこの辺の旅籠に泊まって明日帰ります」と、一瞬戸惑いながら答えた。
「そうか、それはよかった。ばあさんや、留吉さんと一杯やるから酒を」
勝手場に向かって、大きな声で言った。障子が、いつの間にか夕日で、薄赤く染まっていた。
直助が、行燈に灯を入れた。そして、煙管に葉煙草を詰め、火をつけた。
「留吉さんは、どんな仕事してるんじゃ?」
「しがない家職人(やじょくにん)でさ」と、留吉は照れて言った。
この時代は、江戸では大工のことを家職人とも言っていた。
「留吉さん、おろくのことどう思っているんだ。どこかの若旦那の子持ちだが」
さびしそうに直助が言った。
「はい、今でも好きです。おろくちゃんはどう思っているか分かりませんが」
留吉は、自信なさそうに言った。
おろくとオタカが、酒と膳を運んできた。オタカとおろくの膳も運んできた。膳には、粟飯と香の物、卵そして、川魚が載っていた。 そして、囲炉裏の自在鉤に山菜や猪の肉が入った鍋を掛けた。
「卵は、うちのだ。魚と猪は、爺さんが捕って来たんだ。召し上がれ」
 オタカが、勧めた。暮れ七ツを打つ鐘の音が、近くの寺から聞こえてきた。
「おじいちゃん、今日は十五夜だよ。おばあちゃんが朝、すすきを取ってきてくれたんだ。縁側に生けたよ!」とおろくが、直助に嬉しそうに言った。
「だんごはどうした?」と、直助はオタカに聞いた。
「朝から、おろくと作りましたよ。もう供えましたから」と、オタカ。
この時代は十五夜の供え物は、すすきが十五本または、五本と米粉の団子か饅頭が決まりだったようだ。
 留吉は、そんなおろくを見て、愛おしさが胸にこみ上げてきた。
「そう言えば、今日は深川の富岡八万様のお祭りだな」と、やっとの思いで話に入った。
「そう、深川のお祭り、賑わっているんでしょうね」
おろくは懐かしそうに留吉のほうを向いた。
食事も終わり、オタカとおろくが片づけを始めた。オタカが、留吉の膳を片付けるとき、
「留吉さん、今日はうちへ泊まっていきな」と言った。
「・・・・・・・・・・・」
「留めさん、好きなようにしとけ、俺はもう寝るだ、お先に」言いながら、直助は部屋を出て行った。
オタカも片づけが終わって、
「おらも、寝るゆっくりしていって下さいよ」と言って、部屋を出て行った。

 おろくは、縁側に出て、月を見ていた。留吉も縁側の後ろに座った。おろくの横顔を見ているだけで、切なくなってきた。留吉は、間を持たせるために、懐から、煙管入れを出した。そして、煙管に葉煙草を詰めて、煙草盆の火をつけた
おろくは、留吉に気付かずに、ずっと月を見ていた。
(若旦那、元気にやっているかな・・・・)
月に雲がかかり始めた時に、おろくの頬に一筋の光った涙が流れた。
留吉は、しばらくしてから、おろくに話しかけた。
「おろくちゃん、月がとっても綺麗だね」
「留吉さん、今日はありがとう」
二人はそれぞれ何かを言わなければと思いながらも、ただ二人は黙って月を見続けていた。
「若旦那、どうしているかしら」
「田助さんは先月、金物屋の平吉さんの妹と結婚したよ」
おろくは、留吉に悟られないよう声を抑えたが、涙は止めどもなく流れた。
留吉はなすすべもなく、そっと、おろくから離れた。おろくは、半刻(一時間)ほど、泣き崩れていた。
月の明かりが、その間照らし続けていた。

留吉は、朝六刻(六時)目を覚まし、顔を洗いに井戸に出た。
「おはようございます」
 オタカが、大根を洗っていた。
「寝むれたかね」
「はい」
 顔を洗って、留吉は居間に行った。
 直助が、炉辺で煙草を吸っていた。
「おはよう、寝れたかね」
 直助は、煙管を手に持って言った。
 留吉も挨拶を済ませて、直助の横に座った。
「留吉さん、おはよう」
 おろくが、煮えきった鍋を囲炉裏の自在鉤にかけた。そして、オタカが、膳を運んできた。
「召し上がれ」
 大根の入った鍋から椀によそって、留吉に渡した。
 目をはらしたおろくは、こまめに留吉の膳の世話をした。
「留吉さん、汁のおかわりはいかが」と、無理矢理、おかわりをさせた。
おろくは、これが留吉との最後の別れになるかと思うと、居てもたってもいられずになんとか、留吉の出立を延ばすよう振舞った。
留吉は、おろくはまだ田助のことを思い続けているのだと思い込んでいたので、諦めて、一時も早く江戸に帰りたかった。
その二人の様子を見ていて、直助もオタカも痛々しく感じていた。
「留さん、もう帰るかね」と、直助は寂しそうに言った。
「仕方がないね、留吉さんにも仕事があるんだから」と、オタカは肩を落として、残念そうにおろくの目を見て言った。
「おろくの両親に、おろくと子は元気だと伝えてくれや。留さん」と、直助は元気を振り絞って言った。
「承知しました。では、これで失礼しやす」
直助、オタカそして、おろくに挨拶をして留吉は、江戸に向かって歩き出した。明け六ツ(朝六時)頃であった。
留吉は元気なく四半刻(三十分)ほど歩いた時、留吉さんと言っている声が聞こえた。
後ろを向くと、子を背負ったおろくが手を振っていた。そばにいたオタカが、背中に篭を背負って、土産だと言って留吉に向かって歩いてきた。留吉もオタカの方に行った。
「あんた、この篭しょって行って。大した土産じゃないが」
 留吉は、大根や葱が入った篭を背負ってオタカに礼を言った。
 おろくもいつの間にかそばに来ていた。
「おろくちゃん、元気で」
「留吉も」
留吉は、おろくとオタカに頭を下げて、二人に背を向けた。
「おろく、これでいいのかい」
「・・・・・」
「自分に正直にしな」
 オタカが、おろくの背を押した。
「留吉さ~ん」
 オタカの目がかすんだ。
 青く澄んだ空に、おろくの声がひびきわたった。二羽の鳶が、啼くのをやめて旋回していた。
 オタカは、いつまでもおろくたちを見送っていた。
(完)


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