沢藤南湘

残り少ない人生を小説とエトセトラ

凋落の時

2024-09-16 15:54:13 | 小説
 保元の乱の結果、中央政界からは二頭政治のうち上皇が消え去り、後白河の下で天皇親政時代が久方ぶりに到来した。
 順調に物事が進んでいた時、賀茂祭の場で事件が起こった。
 それは春爛漫の保元二年四月であった。
 賀茂祭使の行列を見物していた関白の藤原忠通の桟敷の前を、右近衛権中将(うこんのえごんのちゅうじょう)に抜擢されたばかりの藤原信頼が、牛車に乗ったまま横切ろうとした時。
「無礼者。関白様の御前を下車せずに通り過ぎるとは何事だ」
 忠通の家来がとがめた。
「ここは天下の往来、どこが悪い」
 信頼の家来が怒鳴った。
 その応酬間もなく、忠通の家来と信頼の一行と乱闘が始まった。
「やっちまえ」
「小癪な。関白の家来なんかに負けるな」
 忠通の家来は、勢いで車に向かっていった。
「無礼者」
 信頼は慌てて車から降りて退散した。
 車は打ち壊された。
 信頼の家来たちも逃げる信頼の後を追った。
「これで信頼も思い知ったであろう」
 忠通は笑いをこらえていた。
 その後、信頼がこの乱闘事件を後白河に訴えた。
「ミカド。ご存じと思いますが、賀茂祭の場での乱闘事件、天下の公道を通ろうとした時、関白の従者が突然襲ってきたのです。私はやめるよう忠告したのですが、聞き入れてくれませんでした。車まで壊され命からがらで逃げ帰ったのです。そのようなことが許されていいのでしょうか」
「そのようなことだったのか。あとは朕に任せろ」
 それを知った忠通は、乱闘を引き起こした忠通の従者の身柄を後白河に差し出した。
「この者が信頼殿の家来に難癖をつけたのです」
「お前のせいなのに家来に責任転嫁するとは何事か。さっさとこの者を連れて帰れ」
 後白河は激怒し、後日忠通に謹慎処分を命じた。
「こちらから天皇へ恭順態度を示したのに、私を謹慎処分にするとはひどすぎる」
 それに対して、後白河より異常なほど寵愛を受けた信頼は、その後、蔵人頭・左近衛権中将に任ぜられ従四位上から正四位下、翌年一月に正四位上・皇后宮権亮を経て従三位より二月に正三位・参議になり公卿に列せられた。
 その後、権中納言に任ぜられ、検非違使別当と右衛門督を兼ねた。
 翌年の保元三年。
 中継ぎとして皇位についていた後白河は、得子の推す守仁親王に譲位した。
 二条天皇の誕生である。
「このまま一線から身を引くなどできぬ。朕は、上皇におさまり、院政をひくことにする。その準備をせよ」
 後白河が近習に命じ、直ちに院政を始めた。
 摂政関白は、藤原忠通に代わって、藤原基実が任命された。
 藤原信頼は、院庁の一切を統轄する最高責任者である院別当に任じられたのを筆頭として、多くの近臣たちは、高い地位に取り立てられるようになり、後白河の権威を背景に、政治及び経済に大きな力を持つようになった。
 この二頭政治は、保元時代同様に新しい勢力争いを招いた。
 藤原信西を中心とする後白河院政派、藤原経宗と藤原惟方を中心とする二条天皇派そして、源義朝と平清盛を中心とする武士集団の三勢力だが、それぞれの派閥の中でも対立があり事態はかなり複雑だったが、その中で特に、藤原信西と藤原信頼との対立は酷かった。
「我は誰が何と言おうと、後白河院は我を一番信頼しているはずだ。また、周りの人間は我を追従しているではないか。我に敵対するものは許さん。最近、信頼殿が我に対して、悪口を振りまいているようだが、どのようなことを言っているのか、詳細を調べるのだ」
 信西は、近臣の者に命じた。

 信頼は、後白河に願い出ていた。
「近衛大将に某を任じていただけませんか」
(出世して、信西を貶めなければ某がやられてしまう)
 信頼は危機感を持って、臨んだ。
「信頼さま、もうしばらくお待ちになったほうがよろしいかと」
 そばに控えていた信西が、信頼を諭した。
 後白河はうなづいた。
 信頼は顔を真っ赤にして、後白河に再び願った。
「信頼どの。院もそういわれているのだ。あきらめなされ」
(信西め、覚えていろ)
(信頼は完全に敵に回った。直ぐに失脚させてやる)

「信西は敵対者を徹底的に糾弾するという性格から、我も標的になる。早く、先手を打たなければならぬ」
 信頼は、近臣に打ち明けた。
「との。信西を討った後を考え、多くのお味方をつけておっかなければなりません」
「わかった。信西に反感を持っている者たちを味方につけよう。誰がいる?」」
「二条天皇派の藤原経宗さまや藤原惟方さま、また源義朝どのかと」
「義朝は先日の乱で自他ともに認める戦功第一の士でありながら、信西はさして実績のない清盛を上位につけたことを恨んでいるだけでなく、信西に取り込もうと信西の息子を義朝の娘の婿にと願い出たところ、相手にされずあっけなく断れたこと。そして信西の息子を清盛の娘婿にしたことにさらに激怒しています。うかがい知れないほど義朝は信西を憎んでいよう」
 信頼の顔に確信の色がうかがえた。
 数日後。
 信頼の屋敷で、藤原経宗、藤原惟方、そして源義朝たちが密談をした。
「平清盛たちが近々熊野詣に行くらしい、その出かけている間を狙って、信西を誅伐したらいかがなものか」
 義朝が、信頼の挨拶が終わるのを待ちかねていたように大声をだした。
「義朝どの。気持ちはわかるが、声が大きすぎる」
 経宗が諭した。
「申し訳ない」
「では、手筈を決めよう。某と義朝どのは上皇の御所と三条殿を襲って、信西を捕らえる。経宗どのと惟方どのは、清盛が帰ってくるところを六波羅前で迎え撃ってもらう」
 信頼は三人の顔を窺うと、皆頷き計画を了承した。

 平治元年(一一五九)十二月四日。
「清盛どのが息子の重盛たちを率いて熊野詣に出立しました」
 信頼に連絡が入ったその五日後の夜。
「義朝どの、経宗どの、惟方どのへ手筈通り、出陣するよう伝えよ」
 信頼は近習に命じるや否や、鎧兜を身に着けた。
「出陣じゃ」
 集まった家来に檄を飛ばした。
 信頼は義朝と合流して、後白河上皇の御所を襲った。
「信西どのが、見つかりっません」
 信西がいないという報告が次々と信頼に入ってきた。
「三条殿に行くぞ」
 信頼は義朝に告げた。
 三条殿も信西はいなかった。
「上皇さまと上西門院さま(後白河の妹)をとりあえず内裏にお移しして、殿中をくまなく探せ」
 信頼は焦った。
 信西はそれでも見つからなかった。
 それどころか、信西一家の誰ひとり捕らえていなかった。
 夜明けが迫ってきた。
「信西の館に行って、火を放て」
 やけくそになった信頼は、信西がいないことを知っていたにもかかわらず、家来に命じた。
 
 一方、信西はすでに信頼たちの変を察知して、京の南の綴喜郡(つづきぐん)の山中にある田原まで逃れていた。
 近臣と家族入れて十人満たなかった。
「ここらあたりに、土室を作ってしばらく身を潜めよう」
 信西は近臣に土室を作るよう命じた。
 土室ができると、信西は真っ先に入り込んだ。
「これでしばらくはゆっくり休むことができる」

 近臣が京の待ちに生活に必要なものを買い求めに土室を離れ、町に入ろうとした時。
「ちょっと待て。そこのおまえだ」
 検非違使の源光保が、近臣の歩を止めた。
「何の用だ」
「おまえは信西の家来だな」
「ちがう」
「この者を連行しろ。そこでゆっくり聞いてやる」
 捕まった信西の近臣は休みなく吊し上げられ、鞭打ちの拷問を受けた。
「信西の居場所を言え。言えば楽にしてやる」
「わかった。信西さまは田原に土室を作ってそこに隠れている」
 源光保は、信西の居場所を信頼に伝えた。
「よくやった。光保、人を集めよ。すぐに信西をひっ捕らえに田原に急ぐぞ」
 夜だった。

「使いの者はまだ帰らぬか」
 信西は胸騒ぎを覚えた。
「久しぶりに街に出たので、飲み食いでもしているのでしょう。朝には帰ってくると思います」

 信頼たちが田原に着いたのは、陽が昇り始めた時だった。
「あそこに土室があります。警護がふたりいます」
 多勢に無勢、警護は難なく捕らえられ、光保の家来が、信西やその家族を土室から引きずり出した。
「信西。もう逃げられんぞ」
 信西たち数人をたて並びに座らせた。
 信頼が合図すると、家来が刀を抜いて次々と首を刎ねていった。
 そして、鴨川の河川敷に晒した。
「これで、天下は某のものとなった。誰にも気を遣わずに政ができる」
 京を支配した藤原信頼は、有頂天になっていた。
「まずは除目を行ない、某を近衛大将になり、義朝を播磨守、その息子の頼朝を右兵衛佐(うひょうえのすけ)に任ぜよう」
 源氏一門の郎党、同志の公家たちに官位を与えた。

 変の翌日。
 使者が報告に走ってきた。
「なに、信頼どのが信西を討伐しようと挙兵したと」
 紀伊国切部の宿で、信頼たちの挙兵を知った清盛は、急ぎ京に戻ろうとしたが。
「この状況で、京に入るには心もとない」
 軍備が乏しい清盛は悩んだ。
「誰かおらぬか」
 近臣が清盛の前にひざまずいた。
「在地の湯浅宗重どのと熊野の湛快さまのところに行って、恩賞を出すので、我らが京へ入るのをご助力いただくよう頼んで来い」
 近臣が立ち上がった時。
「ちょっと待て」
 清盛は重盛の方に向き直って、
「おまえも行け」
 重盛は承知しましたと言って、近臣と部屋を小走りで後にした。
 一日も置かずに、湯浅宗重と湛快の兵が加わって、清盛は大軍を率いて六波羅へと進軍した。
 六波羅で清盛を待ち受けていた藤原経宗と藤原惟方は。物見の報告に愕然とした。
「清盛はそのような大軍を率いて、こちらに向かっているのか」
「我らに勝ち目はございません」
「惟方どの、どういたそう」
「某が清盛に会ってまいろう。馬を用意しろ」
 経宗が用意された馬に乗った。
 
 二時間ほどで戻ってきた経宗は、惟方に委細を話した。
「清盛どのは、信頼どのに臣従を誓うと仰せになった。また我らに恩賞まで下さるといわれた。清盛どのを討つことをやめて、清盛どのが六波羅に入るのを見守ることにするので、承知下され」
 藤原経宗と藤原惟方は。清盛に通じてしまった。
 清盛は表向きは信頼に臣従しているふりをしながら、経宗と惟方と連絡を取って天皇二条の救出を画策した。
「内裏は、源義朝が警護している。かなり厳重だ」
 惟方は、清盛に真正面から助け出すのは難しいといった。
「うまく助け出す方法はないだろうか」
 清盛がいった。
「清盛どの。天皇には申し訳ないが、女中に化けてもらったらどうであろう」
 惟方が口を開いた。
「それは妙案じゃ」
「某が天皇に直接策を伝えます」
 惟方が自信ありげにいった。
 十二月二十五日の夜がきた。
 二条は女官の姿に変身して、御車に乗って門を抜けようとした。
「ちょっと待て。その車の中をあらためさせてもらう」
 警護の武士が、御車の扉を開けた。
「女か。通れ」
 御車がしばらく行くと、数人の武士たちが出てきて、御車の周りを固めた。
 そして、御車は六波羅の清盛の屋敷内に入った。
 清盛たちは二条を丁重に迎えた。
「ミカド。ご安心して、ここでごゆっくりしてください。我々は直ぐに、信頼たちを退治して見せます」
 清盛は重盛に向かっていった。
「重盛。これで御旗の下に戦うことができるようになった。戦の準備をせよ」
 翌二十六日。
 清盛の軍勢は、藤原信頼と源義朝の追討の宣旨によって出動した。
「敵は大内裏にあり。急げ」
 清盛が、檄を飛ばした。
「年号は平治、所は平安城、我らは平氏、と三拍子そろっている。勝利はまさしくわれらがものぞ」
 馬上の総大将の重盛が叫ぶと、続いて三千騎が雄たけびを上げ、戦団は内裏の門をめがけて馬に鞭を入れながら走った。

「信頼さまと義朝さまの追悼の宣旨を受けて、清盛が戦の準備にかかったそうです」
 物見が信頼と義朝に報告した。
「義朝どの。どういたそうか」
「受けて立つしかありません」
「僧ならば、早く策をたてねばならぬ」
「その前に、総大将を決めなければなりません」
「義朝どのにお願いできないか」
「いや。総大将は信頼さまでなければなりません」
 信頼方は、紫宸殿の前後の庭に二千騎を配置して、陽明門、待賢門、郁芳門を開け放って、清盛軍が来るのを待ち受けるという策に出た。
 兵が庭に集まった。
 近臣が、信頼の馬を引いてきた。
 信頼が馬に乗りかけた時。
「あぶない」
 あちらこちらから、叫び声が発せられた。
 総大将の経験のない信頼は、戦の前という極度の緊張から、乗りかけた馬から落ちた。
 集まった兵士たちは、戦意を失った。
「わあー」
 土埃を上げながら、重盛先頭に五百騎が、待賢門めがけて突進してきた。
 待賢門の守りに着いた信頼は何を思ったのか、戦わずして「退却」と叫んだ。
 重盛の軍勢は、難なく門内に入った。

 物見が義朝に知らせた。
「なに。待賢門から敵が入ったと。信頼どのはどうされた」
「戦わずに、退却されたそうです」
「なんだって、信頼の腰抜けめが」
「どうされますか」
 近臣が不安げに聞いた。
「義平をよんでこい」
 義平がやってきた。
「義平。信頼どのが退却してしまったため、待賢門から重盛が入ってきた。直ぐに重盛を追い散らせ」
 承知したといって、源義平は十七騎を率いて、五百騎の平重盛に向かって行った。
 二軍は対峙した。
「この手の大将は何者ぞ。かく申すは清和天皇の後胤、佐馬頭源義朝の嫡男、鎌倉の悪源太義平というものだ。十五の歳、武蔵大蔵のいくさ大将として、叔父帯刀先生義賢を討って以来、一度も不覚を取らずに、歳重ねて十九歳、いざ見参せん」
 義平は名のり上げるや否や、十七騎ともに重盛の大軍の真っ只中に突入した。
 義平が狙うのは、重盛ただ一人。
 重盛を追って、「組もう、組もう」と叫び続けたが、重盛は逃げまわりとうとう待賢門の外へ退却した。
 重盛は清盛に戦況を報告した。
「重盛。相手は猪突猛進の坂東武者だ。源氏の軍をせめては退き、退いては攻めながら、内裏からおびき出し、敵が出たとたん、もう一軍が横合いから内裏に飛び込んで、門扉を閉じて身動きできぬようにするのだ。きっと罠に引っかかるはずだ」
 重盛はこの策を実行に移した。
「まんまと我らの策にはまったわい。突撃、突撃」
 源氏の軍は、平氏の本拠である六波羅を攻めんと、義平を先手として進撃した。
「六波羅を火の海にしてやる。皆の者、続け」
 六波羅の守りは堅かった。
 義平は善戦していた。
「源頼政どのはまだ来ないのか。何をやっているんだ」
 義平は怒鳴り散らした。
 頼政は三百騎を従えたまま、どちらが勝つか形勢を見極めていた。
 次第に義平勢が敗色濃厚になると、最後まで一兵も動かすことはなかった。
 頼政の援軍がなかったことによって、源氏の軍は総崩れになった。
 乱の首謀者の藤原信頼は、あろうことかこの戦いの途中に姿をくらましていた。
 源氏一門の源義朝は、義平、朝長そして頼朝たち子どもを引き連れて、わずか八騎で東国を目指した。
 途中の東山道の宿駅の青墓の宿で、義平は北陸に下って兵を募るため義朝に別れを告げた。
「義平。元気でな」
「父上。お達者で」
 朝長は深手を負って、とうとう歩けなくなった。
「父上。もう私はだめです。足手まといになりますので、自害します。介錯をお願いします」
 朝長は脇差の刀を抜いて、腹にあてた。
「すまん朝長」
 義朝は涙ながら長刀を振り落とした。
「ぎゃ」
 朝長は地に伏せた。
 義朝は泣きながら朝長の首を落として、近くの林に埋めて、石を積んで手を合わせた。
 すすり泣きが静かな林の中に響いた。
 再び一行は歩き出したが、幼い頼朝は後れを取った。
「そこの小僧。義朝の子の頼朝ではないか」
 頼朝は慌てて逃げたが、容易に、平氏の兵に捕らえられてしまった。
 頼朝が付いてこないことを心配しながら、義朝は尾張国に入った。
 そして、以前、源氏に従っていた長田忠致(おさだただむね)を頼った。
「よく私を頼ってくれました。まず、風呂に入って旅の垢を落として下され」
 忠致は義朝を快く迎えた。 
「かたじけない」
 義朝が、風呂に入ってほっとした時、扉があいた。
 忠致が槍を義朝に向けた。
「義朝どの。おぬしの首を頂戴いたす」
「裏切り者」
 義朝が最期の言葉を発した。
 
 義朝の妻の常盤御前は、今若、乙若、牛若の三人の息子を連れて逃げたが、逃げきれないと知って、清盛のもとに自首した。

 平清盛はこの一戦によって、源氏を凋落させたばかりか、その武力を背景に政界を牛耳ることになった。
 二十数年後、常盤御前の子供たちを生かしたことによって、平氏は源氏に滅ぼされることになる。

                                      了
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする