晴天の静かな日のU動物園。
園内のゴリラがいる檻の前に、小柄でがっちりし体そして、日焼けした顔、Tシャツにジーパン姿の男がたたずんでいた。。
もうかれこれ2時間ほどになろうか、一頭のゴリラとずーっと向き合っている。
ゴッホ、ホッ、ホッと鳴き始めたゴリラに向かって、男が話しかけた。
「おれのなまえは、かざまゆうきち。おまえのなまえは」
「オレハ、ハオコ」
「めすか」
「オマエ、オレノコトバワカルノカ」
「よくわかる」
「コレヲミロ」
「おすか、しつれいした」
「ダレガコンナナマエヲツケタノカ、モットイイナマエヲツケテホシカッタ」
「このどうぶつえんのうまれか」
「サンジュウネンマエニ、アフリカノガボンデ、ウマレタラシイ」
「がぼんからきたのか」
「イヤ、オランダカラオーストラリア、ソシテ、ニホンニツレテコラレタ。オマエ、ガボン、シッテイルノカ」
「よくしっている。おれは、ないじゅりあに、ながくちゅうざいしていたので、なんかいか、がぼんにいったことがある。がぼんのこくりつこうえんで、にほんじんによるおおがたるいじんえんのけんきゅうぷろじぇくとがすすめられていて、おれもときどきさんかしていたんだ。おてつだいていどだったが、いつのまにかおまえたちごりらのなきごえが、ことばとしてわかるようになっていたんだ。そうか、はおこは、にほんにきてなんねんになるんだ」
「ハチネングライニナル」
「なんさいだ」
「コトシデ、ニジュウニサイダ。オマエ、ナニヤッテルンダ」
「えんじにあーだ」
ハオコを三頭のゴリラが集まってきた。ハオコは風間勇吉に妻のモモコ、上の娘のコモモそして、その妹のモモカを紹介した。
「アンタ、コノヒトトナニイッテンノ」
「ハナシヲシテイルンダ。コノオトコ、オレノコトバガワカルンダ」
「エッ、ニンゲンデワタシタチノコトバガワカルヒトガイルノ」コモモが驚きのあまり、瞬きもせずに風間を見つめた。
「もうこんなじかんか。またくるよ」
風間は、時計を見ていった。ハオコは、待っていると答え、風間が檻から遠ざかるのをいつまでも見送っていた。
陽が落ちかかり、あらゆるものを赤く染めていた。人影は探さなければ見つけることは出来なかった。
長く伸びた影が風間にまとわりついていた。
風間勇吉、今年68歳、生まれは、神奈川で、東京の大学を卒業、中堅のYエンジニアリングに入社、東京本社の海外部門に配属された。29歳で上司の紹介により7歳年下の幸子と結婚した。
幸子は丸顔で初々しく勇吉にはその若さが眩しかった。
結婚2年後、化学プラント建設の業務のため、ナイジェリアへの転勤辞令がでた。
勇吉は妻同伴での赴任を望んだが、アフリカで生活する自信がないと幸子はとうとう首を縦に振らなかった。
それから6年後、赴任を終えて、久しぶりに日本の地を踏んだがそれからというもの、二年を待たずに海外特にアフリカに度々赴任し、家庭をほとんど顧みることが出来ずに仕事に没頭した。
赴任には年一度の帰国が許されていたが、ほとんどそれを使うことはしなかった。
そして、今年の春、勇吉のサラリーマン生活が終わった。
幸子は勇吉の退職をあまり喜んでいないように見えるだけでなく、振る舞いがよそよそしかった。
勇吉は長い間、留守にしたせいだと思った。
勇吉の休日は、三度の食事の用意をして、幸子は行き先も言わずに出かけた。
幸子に男がいるのではないかと疑い始めたが、確証がつかめず、勇吉もよそよそしい態度で毎日幸子と接した。
勇吉たちには、由美という一人娘が近くにある神社の宮司の息子に嫁いだ。
娘たち夫婦には小学三年の一人娘がいた。
千津は二年生の三学期から体の具合が悪いわけでもないのに学校を頻繁に休むようになった。
帰国してから数日後、そのこと知った勇吉が千津にあった時、千津は怖がって自分の部屋に逃げ込んでしまった。
学校を休みがちで由美と幸子は会うたびにそれを心配した。
勇吉には趣味がないが、唯一の楽しみはこの動物園のゴリラと話をすることだった。
今日もゴリラの檻の前にしゃがんだ。
「ゲンキカ」
「はおこも、げんきそうでなによりだ」
「オヤブンガ、オマエニ、キキタイコトガアルソウダ」
「いいよ」
「オヤブンノムサシサマダ」
ハオコより一回り大きいゴリラが勇吉の前に座った。
「ムサシダ」
「コノオトコガ、カザマサンデス」
「むさしさん、なにをききたいんだ」
「オレハ、イギリスノブリストルドウブツエンカラキタンダガ、ウマレガドコカシラナインダ。ヨカッタラ、オレガドコデウマレタカ、シラベテモラエナイカ」
「わかった。らいしゅうまでにしらべてみよう」
「ユウキチ、オマエナンカゲンキナイナ」
「そんなことはない、つかれているんだ」
勇吉は30分ほどハオコと雑談して、動物園を後にした。
1週間後、幸子の不在の時、勇吉は由美を訪ねてて、千津を動物園に誘った。
最初は行くのをいやがっていたが、二人の説得に渋々千津は承知した。
入園した勇吉はすぐにはゴリラの所には向かわずに、いろいろな動物をみてまわった。
そして、勇吉はいつもの折の前に立ち止まって、腰を下ろした。
「おじいちゃん、どうしたの」と今まで一言も発しなかった千津が怪訝そうにいった。
勇吉に気づいたハオコとムサシがゆっくりとやってきた。
「おじいちゃん、こわい」
「怖がることはないよ。このゴリラたちとおじいちゃんは友達なんだ」
「うそ」
「こんにちは、はおこ、むさし。げんきだったかい」
「カザマサン、オマゴサンカ」とハオコが聞いた。
「そうだ、まごのちづだ。よろしく」
「チヅサンカ、ヨロシク」ハオコが頭を下げた。
「おじいちゃん、ゴリラと話が出来るの」
「多少だけど」
「すごい、私にも教えて」
「分かった。おじいちゃん、これからゴリラから頼まれたことを教えるからしばらく聞いていなさい」
「うん」千津に久しぶりの笑顔が戻った。
勇吉は、イギリス大使館への問い合わせし回答を得たものや調べた資料をまとめたメモをポケットから出して、ハオコとムサシに話し始めた。
「おやぶんは、こんごきょうわこくでうまれたらしい。こんごのにしにはおこのせんぞがいたがぼんがあるところだ。おれはいったことがないが、このくにのおいたちは、ふくざつのようだ。むかしは、こんごおうこくにぞくしていたが、そのご、ぽるとがるにせいふくされ、そのご、いちぶがべるぎーりょうになった。そこのいちぶがふらんすりょうになった。そして、げんざい、こんごきょうわこくになったが、そこが、おやぶんのうまれたところだ。このくにぐには、よーろっぱれっきょうのしょくみんちと、どれいぼうえきにさいなまれくなんのれきしをあゆんできたようだ。ざんねんながら、わかったのはここまでだ」
「カザマサン、アリガトウ。ヨクワカッタ」ムサシはさびしそうにいった。
「オレタチゴリラハ、イマデモ、バイバイサレテイルノカ」とハオコが心配そうにささやいた。
「それはよくわからない」
「オレタチハ、モウココカラデレナイノカ」
「おそらく」
「ソウダロウナ」
「おまえたちこきょうのあふりかは、いま、でんせんびょうがまんえんして、にんげんだけでなくどうぶつもたくさんしんでいる。ここにいればそんなしんぱいはない。どうぶつえんもおきゃくもみな、おまえたちをだいじにしてくれている」
「オマエ、ホントウニソウオモウノカ」
千津が心配そうに勇吉とハオコを交互に見ていた。
園内放送が閉園の知らせをアナウンスし始めた。
「はおこ、そろそろかえる。またくるよ」
「サヨウナラ。カザマサン、チヅサン」寂しそうにハオコは折の鉄棒を握って勇吉の顔に近づけた。
「千津、帰るよ」
「おじいちゃん、どうしてハオコは寂しそうにしていたの」
勇吉は歩きながら今日のハオコたちとの話を千津にわかりやすく話した。
「だから、ハオコは別れ際寂しそうにしていたのね」
電車の中では二人は、一言も話をすることはなかった。
勇吉は由美の家に千津を送っていった。
「ただいま」と千津がリビングに入っていった。
「お帰り、どうだった」
千津は勇吉がゴリラと話していたことを楽しそうに一気に話した。
「それは良かったわね。手を洗ってきなさい。食事にしましょう」
由美は久しぶりに生き生きした千津を見た。
勇吉は帰ろうとしたとき、由美が呼び止めた。
「お母さんのこと知っている」
「なんだい」
「お母さんたら、なんにも言っていないんだ」
胸騒ぎがした。
「お母さん、肺癌なの」
「なに」
勇吉は一瞬気が遠くなった。
(気がつかなかった)
あらぬ疑いを持った自分を恥じた。
家に帰ると幸子は夕食の準備をしていた。
恐る恐る幸子に聞いた。
「心配かけたくなかったので、はっきりしたら話そうと思っていたの。今日、病院に行ったら、急に10日後に手術だって。それで明後日、入院することになりました」と涙ぐんでいった。
勇吉はまた急な話で気が動転したが、それを抑えていった。
「そうだったのか」
翌日の午後、由美が千津をつれて、勇吉を訪ねてきた。
「千津が動物園に連れて行っていってるの。お父さんお願いしていい」
「あなた、連れて行ってやりなさいよ」幸子が頷きながらいった。
勇吉は千津と檻の前にたたずんだ。
「とうぶんこれなくなりそうだ」
「ナゼダ」ハオコが、首をかしげた。
「つまがしゅじゅつすることになった」
「ソウカ、ウマクイクトイイナ」
「おちついたらまたくるからな」
勇吉は千津の手を握った時、
「はおこ、むさし。さようなら」と千津が手を振りながらいった。
ハオコとムサシに背を向けた勇吉は、時々振り返って、手を振る千津の手を引きながら檻から遠ざかった。
二ヶ月が過ぎた。
ゴリラの檻の前に勇吉たちがいた。
千津が「はおこ」と叫び手を振った。
ハオコが気づいてやってきた。
モモコ、コモモ、モモカそして、ムサシも来た。
千津がいった。
「わたしのままとおばあちゃん」
笑顔に千津はつつまれた。
完
園内のゴリラがいる檻の前に、小柄でがっちりし体そして、日焼けした顔、Tシャツにジーパン姿の男がたたずんでいた。。
もうかれこれ2時間ほどになろうか、一頭のゴリラとずーっと向き合っている。
ゴッホ、ホッ、ホッと鳴き始めたゴリラに向かって、男が話しかけた。
「おれのなまえは、かざまゆうきち。おまえのなまえは」
「オレハ、ハオコ」
「めすか」
「オマエ、オレノコトバワカルノカ」
「よくわかる」
「コレヲミロ」
「おすか、しつれいした」
「ダレガコンナナマエヲツケタノカ、モットイイナマエヲツケテホシカッタ」
「このどうぶつえんのうまれか」
「サンジュウネンマエニ、アフリカノガボンデ、ウマレタラシイ」
「がぼんからきたのか」
「イヤ、オランダカラオーストラリア、ソシテ、ニホンニツレテコラレタ。オマエ、ガボン、シッテイルノカ」
「よくしっている。おれは、ないじゅりあに、ながくちゅうざいしていたので、なんかいか、がぼんにいったことがある。がぼんのこくりつこうえんで、にほんじんによるおおがたるいじんえんのけんきゅうぷろじぇくとがすすめられていて、おれもときどきさんかしていたんだ。おてつだいていどだったが、いつのまにかおまえたちごりらのなきごえが、ことばとしてわかるようになっていたんだ。そうか、はおこは、にほんにきてなんねんになるんだ」
「ハチネングライニナル」
「なんさいだ」
「コトシデ、ニジュウニサイダ。オマエ、ナニヤッテルンダ」
「えんじにあーだ」
ハオコを三頭のゴリラが集まってきた。ハオコは風間勇吉に妻のモモコ、上の娘のコモモそして、その妹のモモカを紹介した。
「アンタ、コノヒトトナニイッテンノ」
「ハナシヲシテイルンダ。コノオトコ、オレノコトバガワカルンダ」
「エッ、ニンゲンデワタシタチノコトバガワカルヒトガイルノ」コモモが驚きのあまり、瞬きもせずに風間を見つめた。
「もうこんなじかんか。またくるよ」
風間は、時計を見ていった。ハオコは、待っていると答え、風間が檻から遠ざかるのをいつまでも見送っていた。
陽が落ちかかり、あらゆるものを赤く染めていた。人影は探さなければ見つけることは出来なかった。
長く伸びた影が風間にまとわりついていた。
風間勇吉、今年68歳、生まれは、神奈川で、東京の大学を卒業、中堅のYエンジニアリングに入社、東京本社の海外部門に配属された。29歳で上司の紹介により7歳年下の幸子と結婚した。
幸子は丸顔で初々しく勇吉にはその若さが眩しかった。
結婚2年後、化学プラント建設の業務のため、ナイジェリアへの転勤辞令がでた。
勇吉は妻同伴での赴任を望んだが、アフリカで生活する自信がないと幸子はとうとう首を縦に振らなかった。
それから6年後、赴任を終えて、久しぶりに日本の地を踏んだがそれからというもの、二年を待たずに海外特にアフリカに度々赴任し、家庭をほとんど顧みることが出来ずに仕事に没頭した。
赴任には年一度の帰国が許されていたが、ほとんどそれを使うことはしなかった。
そして、今年の春、勇吉のサラリーマン生活が終わった。
幸子は勇吉の退職をあまり喜んでいないように見えるだけでなく、振る舞いがよそよそしかった。
勇吉は長い間、留守にしたせいだと思った。
勇吉の休日は、三度の食事の用意をして、幸子は行き先も言わずに出かけた。
幸子に男がいるのではないかと疑い始めたが、確証がつかめず、勇吉もよそよそしい態度で毎日幸子と接した。
勇吉たちには、由美という一人娘が近くにある神社の宮司の息子に嫁いだ。
娘たち夫婦には小学三年の一人娘がいた。
千津は二年生の三学期から体の具合が悪いわけでもないのに学校を頻繁に休むようになった。
帰国してから数日後、そのこと知った勇吉が千津にあった時、千津は怖がって自分の部屋に逃げ込んでしまった。
学校を休みがちで由美と幸子は会うたびにそれを心配した。
勇吉には趣味がないが、唯一の楽しみはこの動物園のゴリラと話をすることだった。
今日もゴリラの檻の前にしゃがんだ。
「ゲンキカ」
「はおこも、げんきそうでなによりだ」
「オヤブンガ、オマエニ、キキタイコトガアルソウダ」
「いいよ」
「オヤブンノムサシサマダ」
ハオコより一回り大きいゴリラが勇吉の前に座った。
「ムサシダ」
「コノオトコガ、カザマサンデス」
「むさしさん、なにをききたいんだ」
「オレハ、イギリスノブリストルドウブツエンカラキタンダガ、ウマレガドコカシラナインダ。ヨカッタラ、オレガドコデウマレタカ、シラベテモラエナイカ」
「わかった。らいしゅうまでにしらべてみよう」
「ユウキチ、オマエナンカゲンキナイナ」
「そんなことはない、つかれているんだ」
勇吉は30分ほどハオコと雑談して、動物園を後にした。
1週間後、幸子の不在の時、勇吉は由美を訪ねてて、千津を動物園に誘った。
最初は行くのをいやがっていたが、二人の説得に渋々千津は承知した。
入園した勇吉はすぐにはゴリラの所には向かわずに、いろいろな動物をみてまわった。
そして、勇吉はいつもの折の前に立ち止まって、腰を下ろした。
「おじいちゃん、どうしたの」と今まで一言も発しなかった千津が怪訝そうにいった。
勇吉に気づいたハオコとムサシがゆっくりとやってきた。
「おじいちゃん、こわい」
「怖がることはないよ。このゴリラたちとおじいちゃんは友達なんだ」
「うそ」
「こんにちは、はおこ、むさし。げんきだったかい」
「カザマサン、オマゴサンカ」とハオコが聞いた。
「そうだ、まごのちづだ。よろしく」
「チヅサンカ、ヨロシク」ハオコが頭を下げた。
「おじいちゃん、ゴリラと話が出来るの」
「多少だけど」
「すごい、私にも教えて」
「分かった。おじいちゃん、これからゴリラから頼まれたことを教えるからしばらく聞いていなさい」
「うん」千津に久しぶりの笑顔が戻った。
勇吉は、イギリス大使館への問い合わせし回答を得たものや調べた資料をまとめたメモをポケットから出して、ハオコとムサシに話し始めた。
「おやぶんは、こんごきょうわこくでうまれたらしい。こんごのにしにはおこのせんぞがいたがぼんがあるところだ。おれはいったことがないが、このくにのおいたちは、ふくざつのようだ。むかしは、こんごおうこくにぞくしていたが、そのご、ぽるとがるにせいふくされ、そのご、いちぶがべるぎーりょうになった。そこのいちぶがふらんすりょうになった。そして、げんざい、こんごきょうわこくになったが、そこが、おやぶんのうまれたところだ。このくにぐには、よーろっぱれっきょうのしょくみんちと、どれいぼうえきにさいなまれくなんのれきしをあゆんできたようだ。ざんねんながら、わかったのはここまでだ」
「カザマサン、アリガトウ。ヨクワカッタ」ムサシはさびしそうにいった。
「オレタチゴリラハ、イマデモ、バイバイサレテイルノカ」とハオコが心配そうにささやいた。
「それはよくわからない」
「オレタチハ、モウココカラデレナイノカ」
「おそらく」
「ソウダロウナ」
「おまえたちこきょうのあふりかは、いま、でんせんびょうがまんえんして、にんげんだけでなくどうぶつもたくさんしんでいる。ここにいればそんなしんぱいはない。どうぶつえんもおきゃくもみな、おまえたちをだいじにしてくれている」
「オマエ、ホントウニソウオモウノカ」
千津が心配そうに勇吉とハオコを交互に見ていた。
園内放送が閉園の知らせをアナウンスし始めた。
「はおこ、そろそろかえる。またくるよ」
「サヨウナラ。カザマサン、チヅサン」寂しそうにハオコは折の鉄棒を握って勇吉の顔に近づけた。
「千津、帰るよ」
「おじいちゃん、どうしてハオコは寂しそうにしていたの」
勇吉は歩きながら今日のハオコたちとの話を千津にわかりやすく話した。
「だから、ハオコは別れ際寂しそうにしていたのね」
電車の中では二人は、一言も話をすることはなかった。
勇吉は由美の家に千津を送っていった。
「ただいま」と千津がリビングに入っていった。
「お帰り、どうだった」
千津は勇吉がゴリラと話していたことを楽しそうに一気に話した。
「それは良かったわね。手を洗ってきなさい。食事にしましょう」
由美は久しぶりに生き生きした千津を見た。
勇吉は帰ろうとしたとき、由美が呼び止めた。
「お母さんのこと知っている」
「なんだい」
「お母さんたら、なんにも言っていないんだ」
胸騒ぎがした。
「お母さん、肺癌なの」
「なに」
勇吉は一瞬気が遠くなった。
(気がつかなかった)
あらぬ疑いを持った自分を恥じた。
家に帰ると幸子は夕食の準備をしていた。
恐る恐る幸子に聞いた。
「心配かけたくなかったので、はっきりしたら話そうと思っていたの。今日、病院に行ったら、急に10日後に手術だって。それで明後日、入院することになりました」と涙ぐんでいった。
勇吉はまた急な話で気が動転したが、それを抑えていった。
「そうだったのか」
翌日の午後、由美が千津をつれて、勇吉を訪ねてきた。
「千津が動物園に連れて行っていってるの。お父さんお願いしていい」
「あなた、連れて行ってやりなさいよ」幸子が頷きながらいった。
勇吉は千津と檻の前にたたずんだ。
「とうぶんこれなくなりそうだ」
「ナゼダ」ハオコが、首をかしげた。
「つまがしゅじゅつすることになった」
「ソウカ、ウマクイクトイイナ」
「おちついたらまたくるからな」
勇吉は千津の手を握った時、
「はおこ、むさし。さようなら」と千津が手を振りながらいった。
ハオコとムサシに背を向けた勇吉は、時々振り返って、手を振る千津の手を引きながら檻から遠ざかった。
二ヶ月が過ぎた。
ゴリラの檻の前に勇吉たちがいた。
千津が「はおこ」と叫び手を振った。
ハオコが気づいてやってきた。
モモコ、コモモ、モモカそして、ムサシも来た。
千津がいった。
「わたしのままとおばあちゃん」
笑顔に千津はつつまれた。
完