スパイを探せ2
十二月五日月曜日。
朝九時から三回目の捜査会議が開かれた。
署長の寺内が、立ち上がった。
「皆さんの今までの努力で、解決までもう一歩の所まで来ましたが、残念ながらこの事件に関する捜査には、余り時間を費やすことができなくなりました。それを念頭において、この数日間で何とか結果を公表できるまでにして欲しい」
寺内は頭を下げた。
ほとんどの刑事たちは、寺内が頭を下げる理由を理解した。
山際が、立った。
「深山平一郎氏を幽閉した男二人は、群馬県警によって、こちらに護送される途中に殺害されました。この護送をした村谷、助川両刑事は道をふさいでいたトラックの爆発により重体で、未だ意識を取り戻していません。この護送のワゴン車のドライブレコーダーから三機の飛行物体が護送中の男二人を殺害している様子をとらえていました」
飛行物体とトラックがスクリーン上に映し出された。
「ドローンとは違うようだな」
「これは、人工知能を持ったロボットとのことで、科捜研によるとNS国のドリームアドバンス社で製造されているものに間違いないそうです」
「所有者は分かったのか」
「調査中です」
「ところで深山さんはどうした?」
「深山さんは、健康に問題なく昨日、自宅に帰りました。彼の身の安全を守るため、一日中刑事二人を周辺に見張らせています」
「山際係長と木田係長、裁判所から捜索差押許可状がおりた。至急、木田係長は、クリーニングハウス社の本社、山際係長は、議員会館の操作室をサイバー犯罪対策課の連中と家宅捜査を行ってくれ」
黒川が、挙手した。
「黒川警部補」
宮原が指名した。
「昨日の日曜日、千葉のYGカントリークラブで、クリーニングハウス社の社長の田所恵、専務の山中稔そして、衆議院事務局の管理部長の飯山直樹と課長の山村聡の四人が組で、一ラウンドまわっていました。それと、山中商事の社長山中忠と経済産業大臣の小早川実氏たちが、同時刻にまわっています。過去のプレイ受付簿から、昨年から二か月に一度の割合で、このメンバーが主でプレイしていました。時々ドリームアドバンス社の社長山中宏が参加してました」
会場にどよめきが起こった。
「なんだって、政治家それも現役の大臣が絡んでいるとは、大変だぞ」
宮原が、皆を制して、言った。
「黒川警部補、東京国税局と山中商事の税務申告書類を精査してくれ」
「承知しました」
黒川は、返事をした。
「桑原刑事たちは、クリーニングハウスの田所社長と副社長の山中稔を深山誘拐の件で事情聴取してくれ」
桑原と山上は、署を出た。
十二月に入ったばかりなのに、町には、クリスマスソングが引きりなしに響き渡っていた。
立ち食い蕎麦屋で昼食を取り、桑原たちは、田所社長を訪ねるため月島のクリーニングハウス本社に向かった。
歩いても十分とかからない所にクリーニングハウス社の本社はあった。
「桑原さん、もうすぐクリスマスですね」
「もうそんなになるか。クリスマスは何か予定でもあるのか」
「今年もぼっちクリスマスです」
「そうか」
クリーニングハウス本社の受付で、山上は警察手帳を見せた。
「田所社長にお会いしたいんですが」
受付嬢は、電話を取った。
「受付ですが、警察の方が社長にお会いしたいそうです」
電話に出た秘書から、社長はまだ会社に来ていないとの返事が返ってきた。
「出張か何かですか?」
桑原が聞いた。
「いえ、今日は外出の予定はないそうです。秘書にも何も連絡がないそうです」
「じゃあ、山中稔副社長にお会い出来ませんか」
受付の返事は、山中も予定がないのに、来社していないとのことだった。
「桑原さん、どうしますか」
「田所社長の自宅に行こう」
桑原は、何とか秘書の佐田真奈美から田所の電話番号と住所を聞き出した。
田所恵の自宅は、メトロ豊洲駅から歩いて十分ほどにある高層マンションだった。
エントランスで、管理人に連絡を取り、ドアーを開けてもらい、エレベーターに乗った。
「ここの二十五階だな」
「はい」
桑原が、二十五階のボタンを押した。
「ここだな」
山上が、呼び鈴を何度も押したが、仲からは何の応答もなかった。
「出かけているのかな。山上、電話をかけてみろ」
山上は、手帳を見ながら電話をかけた。
「おかしいな。桑原さん、どうしましょう?」
「また来るか。副社長の山中稔の所に行くか。その前に、電話してみてくれ」
再び山上が、手帳を見ながら電話をかけた。
一分ほど過ぎた。
「桑原さん、山中もでません」
「そうか。しょうがない、署に戻るか」
とっくに陽が落ちて、街路灯に明かりがともっていた。
翌日、桑原と山上は、再びクリーニングハウスの本社を訪ねたが、やはり田所恵も山中稔も会社に来ていないとのことで、社内では業務が滞り始めていると秘書の佐田真奈美が心配そうに桑原たちに言った。
「会社からお二人に連絡しましたか?」
「昨日の夕方と先ほど電話をしたのですが、応答はありませんでした」
「そうですか。お二人ともこのようなことは、以前ありましたか?」
「とんでもありません。二人とも連絡なしで会社を休まれたことは、一度もありません」
「もし連絡が取れましたら、私のほうへ連絡お願いします」
桑原が、佐田真奈美に名刺を渡した。
桑原たちは、再び田所恵の住むマンションを訪れた。
何度も呼び鈴を押すも応答はなかった。
「山上、管理人に頼んで、ドアーを開けてもらおう」
「まずくはないですか」
「俺が責任を取る」
しばらくして、山上が連れてきた管理人が、扉を開けた。
桑原が先頭で部屋に入って行った。
「山上、見ろ」
桑原が、大声を上げた。
「なんで」
田所恵と山中稔が、絶命していた。
「青酸カリのようなにおいがする。山上、本部へ連絡しろ」
十分ほどで、課長の宮原や鑑識課の連中が到着した。
しばらくして、
「死亡推定時刻は一昨日の八時から十一時頃で、死因は、青酸化合物による中毒死と思われます」と鑑識が報告してきた。
「なぜ、二人が死ななければならないんだ」
桑原が言った。
「心中でしょうか」
山上が言った。
「司法解剖に回してくれ」
宮原が鑑識課員に言った。
「課長、他殺の線で聞き込みをしてきます」
「よかろう」
桑原と山上は、一昨日の十八時から二十四時の間に不審な人物が、このマンションに出入りがなかったか、管理人にあたった。
「エントランスには防犯カメラがあります」
「見せてくれませんか」
桑原たちは、管理人室に入って防犯カメラの映像を見た。
「このマンションの住人です」
「この人も」
「三原さんです。住人です」
「この人は誰だ」
管理人が言った。
「戻してくれませんか」
桑原が言った。
「マスクしてサングラスをかけていますね」
山上が言った。
「身長は百七十センチぐらいかな」
「そうですね、桑原さんぐらいですね」
「十九時三十分と二十時三十分に管理人さんはこの人を受付で見なかったのですか」
桑原が、不審そうに聞いた。
「ええ、ちょっと買い物に出かけていたものですから」
「時々出かけるのですか」
「この時間にスーパーに行くんです。弁当の割引がちょうど始まる時間なもんで、大体毎日です」
「そうですか」
「桑原さん、この男、袋を持っていますよ」
「管理人さん、このディスクお借りしていいですか」
「どうぞ」
「山上、このディスクを鑑識に回してくれ」
「承知しました」
桑原と山上は、周辺の防犯カメラからマスクサングラスの男がどの方向へ戻って行ったかを追っていた。
桑原と山上は、AIチェッカーで防犯カメラに映っているかどうかを調べるには、大した時間を要せずに、その男の住まいを突き止めた。
山際と和泉そして応援の刑事課課員、サイバー犯罪対策課の川上茂グループ、井上進グループたちは、衆議院議員会館の六階のクリーニングハウス社の集中オペレーションルームにいた。
深山平一郎も立ち会っていた。
「皆さん、捜索差押許可状が出ています。すぐに席を離れて窓側に行ってください。そこの人、キィーボードから手を触れないでください」
山際が、捜索差押許可状を掲げながら、大声で言った。
深山がAIロボットを操作していたコンピュータの前には、新山という男が座っていた。
井上グループが、窓際の新山にパスワードを聞いて、コンピュータを操作すると、クリーニングハウスの清掃用ロボットが動き始めた。
川上のグループはというと、八階で、球が付いた数本の棒のよなものをつけた通信制御ロボット三台とハンマーのような腕を持った二足歩行打撃ロボット三台の調整を終えていた。
この数年、犯罪がIT関係によるものが増えるだけでなく、警察官の人員も減少傾向にあり、警察といえどもIT化に迫られ、このようなITロボットが開発されていた。
川上の携帯が鳴った。
「井上です。今清掃用ロボットすべてを動かしました」
川上は、了解の返事をして、部下たちに連れてきたロボットをスタンバイさせるよう指示した。
「井上さん、このロボットたちすごい進歩ですね」
「山際さん、掃除ロボットのルンバをご存知ですか」
「数年前、売り出された家庭用の掃除ロボットですね」
「そうです。あれは今までの技術とは違いサブサンプション・アーキテクチャーという技術によって、ルンバが開発されました。このサブサンプション・アーキテクチャーとは、簡単に言えば、自分の認識と判断に基づいて勝手に動こうとする独立かつ多数の要素行動間の競合、協調の結果としてロボット全体の動作を実現しようとする コンピューターのハードウェアやソフトウェアの基本構造や設計思想によるものです」
「私にはついていけません」
「今、NS国では、人間の脳と人工知能をつなぐ能とAI結合の研究が行われています」
「それが実現して悪用されたら大変なことになりますね」
「そうです。犯罪や戦争などに使われたら大変です」
「クリーニングハウスのロボットが、大橋防衛大臣の事務室の清掃を始めました。うちロボットに見張らせましょう」
八階から戻ってきた川上が、手に持っていたタブレットの盤面を動かし始めた。
クリーニングハウスのロボットは、ごみ処理ロボットが、ゴミ箱のごみを回収すると次に床掃除ロボットが、小さな障害物は退けながら誇りを吸引してワックスがけを行った。
この一連の清掃状況を二足歩行のチェックロボットが、撮影していた。
そのチェックロボットに不審な動きを監視するかのように通信制御ロボットと二足歩行打撃ロボットが、ピタリとついている。
チェックロボットが、秘書たちの机上の書類をめくり始めた。
通信制御ロボットの頭の棒が激しく動き始めた。
タブレットの画面にチェックロボットの送信先が、NS国と表示された。
チェックロボットが、通信制御ロボットの棒の部分を掴み引きちぎろうという行動に出た。
「深山さん、チェックロボットの動きを止めるにはどうしたらいいですか?」
井上は慌てていた。
「一連の作業に入ってしまうと、その作業を終えるまで動き続けます。そのために邪魔者は排除するよう行動します。地震のような非常事態ともなれば、何とか止められるのですが」
すると、二足歩行打撃ロボットが、チェックロボットに接近してきて、そのアームを叩き落とした。
チェックロボットが、反撃に出た。
「負けるな」
つい和泉は大声を上げてしまった。
「敵のロボットとはいえ、よくできてます」
川上が唸った。
いつの間にか、他の階からクリーニングハウスの二足歩行のチェックロボットが集まって、打撃ロボットを取り囲んだ。
「まずい」
川上と井上が口を合わせるかのように言った。
「八階に行ってきましょうか」
和泉が、腰を上げようとした。
「和泉さん、それは危険です。あのロボットたちは、我々を敵と判断して攻撃してくるでしょう」
「川上さん、スタンバイしている打撃ロボットが応援するよう指示してください」
「了解」
残りの二台の打撃ロボットが応援にやって来た。
そして、取り囲んでいるチェックロボットの後頭部を上から横からと叩き始め、倒し終わると次のロボットに移って行った。
チェックロボとたちもそれに気づき、応援に来た打撃ロボットに反撃したが、攻撃力に勝る打撃ロボットに次々と倒されていった。
「さすがですね」
山際が喜んだ。
「これで清掃用ロボットが、国会議員の資料をNS国へ送っていたことが明白になりました」
コンピュータから爆発音が聞こえた。
すべてのチェックロボットが、爆発とともに破片として飛び散っていた。
「なんてこった」
井上が頭を抱えた。
「井上さん、この部屋から事件に関係するものを押収しましょう」
山際が、落胆している井上に声をかけた。
「関係しそうなものすべてを押収する」
山際が、大声で伝えると、課員たちは、一斉に段ボールに書類やコンピュータを詰め始めた。
係長の木田は、部下を引き連れてクリーニングハウス社本社の家宅捜索に入った。
「捜索差押許可状が出ています」
木田は、受付嬢に入り口を開けるように言った。
びっくりした受付嬢は、いわれるがままに対応した。
木田たちが入っていた後を見送った受付嬢は、専務の倉持に電話をし。
「警察の方がたくさんやってきました。強制調査のようです」
「なんだって」
倉持は、震える手で受話器を置いた。
扉がノックもなしに開いた。
木田を先頭に部下たちが入ってきた。
木田が、倉持に向かって、捜索差押許可状を見せた。
「これから、国家情報漏洩の疑いで強制調査を行ないます。机から離れて、窓際にいってください」
一方、木田の部下の刑事たちは、事務室に入った。
「これから、国家情報漏洩の疑いで強制調査を行ないます。皆さん、机から離れて、窓際に行ってください」
「何事だ」
社員たちは、唖然とした。
「お静かに。何も触れずに速やかに移動してください」
刑事たちは、社員の机の引き出しや資料だなから関係書類を黙々と段ボールに詰めた。
また、パソコン類も丁重に箱に詰めた。
十七日後に迫ったクリスマスイブ、今年も残すところわずかになったが、気が急いている捜査本部の連中には、クリスマスソングは騒音に聞こえていた。
コンビニで防犯カメラの映像のチェックを終えた桑原は、宮原に電話を入れた。
「クリーニングハウスの社長の田所恵と副社長の山中稔の死亡についてですが、彼らの死亡推定時刻あたりに、不審な人物がマンションに出入りしていました。その人物は、防犯カメラを追って調べたところ、山中商事の社長の山中忠と判明しました。クリーニングハウスの社長と副社長の死との関連性があるのか、早速、山中忠に当たってみます」
「なに、山中商事の社長だと。十分注意してかかるんだ」
桑原と山上は、地下鉄に乗って、神谷町で下車して、五分ほど歩くと三十階の建物が、威圧感を持って二人を迎えた。
「大きなビルですね。自社ビルでしょうか」
山上が、上を見ながら言った。
「たぶん自社のはずだが」
桑原と山上は、神谷町にある山中商事の本社ビルに入った。
エントランスホールは、天井が高く、ゆったりとして、待ち合わせ用の応接セットがいくつか置かれていた。
受付で山中忠に面会を求めた。
受付嬢が、電話を終えて山中の了解を得たといって、五階の応接室に案内した。
しばらくして、山中忠が現れた。
「お待たせしました。私が社長の山中忠です」
桑原が、警察手帳を見せて名のり、山上が続いて名のった。
「お忙しいところ突然お伺いして申し訳ありません。話というのは、先日お亡くなりになった田代恵さんと山中稔さんの件についてです」
「ふたりは、心中だったのではありませんか?」
「どうして二人が心中だったと思われるんですか?」
桑原が、山中の顔を見つめた。
「いや・・・。実は息子の稔から社長の田所恵さんとの関係を相談されていたものですから」
「どのようなご相談を」
「息子には本国に許嫁がおりました。魔が差したのでしょう、田所社長と男と女の関係になってしまったのです。息子は遊びのつもりだったのですが、田所社長は、結婚願望があったのです。まさか、田所社長と息子が心中するなんて。いやきっと無理心中に違いありません」
山中忠は、ズボンのポケットからハンカチを出して、目を拭った。
「ところで、十二月五日の十八時から二十四時の間、あなたはどちらで何をしていましたか?」
「アリバイですか、私は疑われているのですか?」
「いや、皆さんに一応お聞きしていますので」
「二日前の夜ですか・・。そうそう田所社長のマンションに呼ばれて行きました。まさかあの後、二人が心中を図るなんて、今でも信じられません」
「どのような格好で行かれましたか」
「確か、サングラスをかけて、マスクをして行きました」
「なんでそんな恰好で行かれたのですか。夜なのに、サングラスをかけるなんて」
「目立ちたくないので」
「なぜ目立ちたくないのですか」
「刑事さん、いい年をした男が、女性のマンションを訪れるんですよ」
「何時ごろいらっして、何時に帰られましたか?」
「七時半ぐらいでしょうか、一時間ほどいましたから、帰りは、八時半ぐらいかと思います」
山上は、桑原の顔を見た。
桑原は動揺を押さえているように見えた。
「どのような話をされたのですか?」
「息子が私ともめているので、仲裁に入ってくれないかと田所社長からの電話だったので、持って行ったワインでも飲んでゆっくり話し合ったらいいとまず言いました。そして、ふたりの話を聞いたうえで、今後どうするか二人で決めなさいと言って、私は、マンションを後にしました」
「持っていかれたのは、ワインですか?」
「そうです、ワイン二本です」
「あなたは、ワインを飲まれなかったのですか」
「ええ、飲みませんでした」
「なぜですか」
「ふたりでゆっくり話し合うために、私は早く帰ったほうが良いと思っていましたから」
「ワインに青酸化合物が入っていたようです。一体誰が入れたのでしょう」
「持って行ったワインに青酸化合物なんか入れてませんよ。田所社長か息子が入れたんでしょう」
「それが、青酸化合物らしきものを持っていた形跡が二人とも無いのです。ワイングラスにも青酸化合物の痕跡は見当たりませんでした。おふたりを司法解剖に出していますので、近々、原因がわかると思います」
山中は、黙っていた。
桑原は、今日はここまでで引き下がろうと決めた。
「刑事さん、これから会議がありますので、もういいですか」
「ありがとうございました。また何かありましたらその時はよろしくお願いします」
桑原と山上が、山中商事のビルを出ると、寒風がビルとビルの間を通り過ぎていた。
「山中社長はなかなか手強いですね」
山上は、コートの襟を立てながら言った。
桑原は、それに答えず次の手を考えていた。
その頃、黒川たちは、東京国税局に向かっていた。
「黒川警部補、地下鉄で行きますか?」
東京国税局は、月島警察署の最寄りの駅勝どき駅の次の築地市場駅と一駅先にあった。
「高山さん、気分転換するために歩いて行きましょうか」
「そうですね。二十分ぐらいですから、天気もいいので歩きましょう」
「黒川警部補、この捜査に圧力をかけてきた人は一体誰なんでしょうか」
「おそらく、山中商事グループと関係の深い政治家でしょうね」
「やはり小早川経産大臣ですか」
「まだ何とも言えないけど、その可能性はあるわね。どちらにしても、山中商事の贈賄の証拠を探し出さなければね」
黒川と高山は、以前何度か国税局を訪れたことがあるので、受付嬢もふたりを知っていた。
会議室に通された黒川と高山誠は、担当の松永武を待った。
数分後、松永が入ってきた。
「お待たせしてすみませんでした」
「松永さん、お忙しいところ、申し訳ありません」
「黒川さん、今回は、山中商事の件だそうですね」
黒川は、今まで調べた一連の事実を話した。
「黒川さん、それだけでは、山中商事への査察調査は現段階では難しいですね」
松永が、残念そうに言った。
「では、衆議院事務局の飯山直樹と管理部のほうはどうですか?」
「飯山直樹とクリーニングハウス社との関係ですね。ただ、クリーニングハウス社の社長の田所恵と副社長の山中稔はすでに亡くなっているので、どうしたものでしょうか」
松永が、黙考し始めた。
「黒川警部補、確か山際刑事たちが、今日クリーニングハウス社の本社と議員会館の操作室をサイバー犯罪対策課の連中と家宅捜査を行っています。彼らが押収した資料をまずチェックしたらどうでしょうか」
高山が言った。
「それがいいわね。松永さん、その押収した資料の中で関係あるものを今度持ってきますので、それから作戦を立てたらと思うのですが、いかがでしょうか」
「了解しました。資料、お待ちしています」
残すこと二十日余りになった。
その二十日間で事件を解決しなければ、捜査本部を閉めなければならないため、刑事たちは、焦っていた。
桑原刑事もその一人だった。
五回目の捜査会議が九時から開かれた。
署長の寺内が挨拶に立った。
「皆さん、あと二十日で今年も終わりです。それと同時にこの捜査本部も閉めることになります。事件半ばで捜査本部を閉めたくはありません。なんとか、皆さんでこの事件を解決に導いて、新しい年を迎えようではありませんか。悔いを残さないよう皆さん頑張りましょう」
本部長を務める署長の寺内が部屋に入ってくると、一斉に刑事たちは私語をやめ規律した。
宮原の隣の席に座ると、宮原が、いつものように進行役を務めた。
「では、各担当から進捗状況の説明をお願いします。まず、桑原刑事」
「はい。現在クリーニングハウス社の田所社長と副社長の山中稔の死亡についてですが、社長の田所恵と副社長の山中稔の司法解剖の結果、胃からピザを食べていた痕跡が見つかりました。医師の所見からおそらくそのピザに青酸カリのようなものが混入していたとのことです。このピザがどのように入手されたのかを調べた結果、死亡二日前に近くのスーパーマーケットで田所恵が購入したことが分かりました。冷蔵庫には、その時買った冷凍食品が入っていましたので、そのピザも冷蔵庫に保管されていたものと思われます」
桑原が、一息ついた。
「そうすると、そのピザは、スーパーマーケットですでに青酸カリが混入していたか、または、田所恵のマンションの冷蔵庫の中のピザに田所が混入させたかどちらかと考えられるが」
宮原が、聞いた。
「もう一つ、第三者が混入させた可能性も考えられます。スーパーマーケットの店員に確認したところ、同様のピザで客から苦情等ないとまた、食品メーカーに聞いてもそのようなことは絶対にありえないとのことでした」
「そうすると、やはり無理心中の可能性が濃くなったな」
「ただ、田所のマンションには、山中稔は今回以外に一度も来ていませんし、会社でもふたりが恋仲だった浮いた噂は、全く聞かれませんでした」
「では、第三者か。一体だれがどのようにして混入させることができたのだ」
「それができるのは、田所恵の住居に入ることができる管理人か二日に一度来る家政婦のどちらかだと考え、双方を調べてみました。家政婦は、矢田由美子三十五歳でクリーニングハウス社から派遣されていましたが、現在行方不明です」
矢田由美子の顔写真が、スクリーンに大きく映し出された。
「管理人の方はどうだ」
「いろいろ聞き取りしましたが、彼らを殺害する動機が見当たりません」
「では、一介の家政婦の矢田由美子に動機はあるのだろうか」
「彼女は、元NS国大使館に勤務していたのですが、何かの理由で大使館をやめて、二年前から、田所恵の家政婦になっています。恵は、断り切れない相手からの依頼で、しぶしぶ受け入れたようです」
「一体誰が何の目的で、恵に家政婦を押し付けたのか」
「私の推測ですが、NS国の関係者が、田所恵の見張り役のためかと」
「公安部の考えはどうだ」
外事二課の里見が立った。
「NS国は、山中商事、クリーニングハウス社そして、ドリームアドバンス社の組織を利用して、あらゆる手段を用いて我が国の機密情報を盗み取っていることに間違いありません。ただ、彼らはそれがばれることを恐れており、我々警察が目を付けた人間は口封じのため殺害されています。山田涼介、田所恵そして山中稔もその犠牲者です。おそらく、矢田由美子は、NS国へ逃亡したか、もうこの世にはいないかのどちらかでしょう」
「一刻も早く、矢田由美子の行方を捜すんだ。空港にも手配しろ」
桑原、山上、里見そして、立花が部屋を小走りで出て行った。
「次は、黒川警部補」
黒川ひとみが、指名を受けて立った。
「国税からは、山中商事への査察調査は現段階では難しいとの見解を得たので、山際刑事たちがクリーニングハウス社から押収したものを精査することにしました。この件は、山際刑事と国税局の松永氏から了承を得ています。その結果、クリーニングハウス社はこの二年の間で、支出先氏名や住所不明の使途秘諾金が一億円ほどあることが分かりました。国税の査察部の査察官が、クリーニングハウス社の財務関係者を任意で取り調べています」
「取り調べは進んでいますか?」
「衆議院事務局の管理部長飯山直樹に五百万円を渡したことを認めました。また、山中商事の社長の山中忠へ九千五百万円ほど渡したと言ってます。これらのことは、副社長の山中稔の指示だったそうです」
「山中忠が受け取った九千五百万円の行方は、分かりましたか」
「それはまだ分かっていませんが、国税は、近々山中忠宅と山中商事を任意で査察調査に入ることを決めたそうです」
「そうですか、黒川警部補も今まで通りに国税に協力して下さい」
「承知しました」
「次に山際係長」
「はい。現在、クリーニングハウス社本社と衆議院議員会館の六階のクリーニングハウス社の集中オペレーションルームから押収品の中身をサイバー犯罪対策課の人たちと証拠になるものがないか調べています。ロボット関係につきましては、サイバー犯罪対策課の川上刑事、説明お願いしたいのですが」
「分かった。では川上刑事、よろしくお願いします」
川上が説明に入った。
「クリーニングハウス社が、議員会館で使用している清掃用ロボットは、床掃除用ロボットとチェック用の二足歩行用ロボットの二種類です。その二足歩行用ロボットが我が国が機密事項としている書類や会話などを録画、録音して、NS国が打ち上げた宇宙衛星に送信していたことが判明しました。我が国としては、このシステムを利用してフェイクニュースを流すことを検討しています。どちらにしてもクリーニングハウス社が、ロボットを使って、スパイ活動をしていただけでなく、このロボットの製造元であるドリームアドバンス社も関与していたことに間違いありません」
川上が言葉を切ったのを見計らって、宮原が質問した。
「ドリームアドバンス社の社長は、山中商事社長山中忠の次男だと聞いているが」
「はい、ドリームアドバンス社の社長は山中宏で、山中忠の長男に当たります。クリーニングハウス社の副社長だった次男の山中稔とは腹違いの兄弟になります。私としては、早急にドリームアドバンス社を任意捜査すべきと考えていますが、いかがですか?」
「署長、いかがいたしましょうか?」
宮原が、寺内のほうに顔を向けて判断を仰いだ。
「いいだろう」
「承知しました」
山際は、和泉そして、サイバー犯罪対策課の川上と井上を伴って、颯爽と部屋を出て行った。
「木田係長、クリーニングハウス社本社の立ち入りの結果はどうだ?」
木田が立ち上がって、開いた手帳に目を通しながら報告した。
「クリーニングハウス社は、清掃用ロボットを購入する際、競争入札ではなくドリームアドバンス社特命で、仕様については、ドリームアドバンス社にすべてを任せています。また、新衆議院第一議員会館の清掃業務を請け負った経緯が、メールで残っていました」
「どういった内容かね」
「はい、山中商事社長が衆議院事務局の管理部長と課長に根回しをしているが、さらに食い込むために接待等を怠りなく行うようにとのことが田所恵子へメールされていました。また、入札に際しての金額は、直接管理部長から聞き出してほしいと追伸されていました。このメールを、田所恵はすぐに副社長の山中稔に転送して削除していました」
「副社長の山中稔のパソコンはどうだった?」
「山中稔のパソコンにも受信した形跡が残っていました」
「入札参加資格は、今まで実績がなかったクリーニングハウス社だが」
「そこなんですが、衆議院事務局の局長から管理部長に紹介があったようですが、今のところ、確信持てる情報ではありません」
「入札に関しては何か分かったことは?」
「今のところありません」
「分かった」
と言い終わった宮原に寺内が、声をかけた。
「宮原課長、任意でいいから衆議院事務局の飯山を任意で取り調べたらどうかね」
宮原は頷いた。
「木田係長、これから任意で衆議院事務局の飯山管理部長を任意で取り調べてもらえないか」
「はい、業務課長の山村聡も調べましょうか」
宮原と寺内は頷いた。
昼近くになり、会議は終わり刑事たちが部屋を出て行った。
「宮原課長、飯山とクリーニングハウス社との受発注の不正を何とか立証して、全体の事件像を明らかにするようこの短い間で何とかしてほしい」
寺内が、隣に座っている宮原に声をかけた。
「そうですね。かなり真相に近づいてきたように思いますが、決定的なものが今一つありません。なんとか飯山管理部長とクリーニングハウス社の不正を暴きましょう」
寺内は、しばらく目を閉じてから言った。
「それが立証出来たら、公表しよう」
「なるほど、そうなれば天からの声ももうこちらには届かなくなりますね」
「宮原課長、食事に行こうか」
「署長、申し訳ありません。私、弁当なものですから」
「そうか、課長は、愛妻弁当だったね」
年甲斐もなく宮原は返事に窮した。
本会議の翌日、十二月十二日。
黒川ひとみ警部補は、国税局と共に山中商事本社に、また山中商事社長の山中忠宅へは高山刑事が国税局局員と同時間の午前九時に査察に入り、併せて、段ボール二百個以上分を押収し、その日から担当官たちは、血眼になって押収品をチェックし始めた。
十五時を過ぎた時、
「黒川警部補、昨年ですが、五千万円の使途不明金がありました」
松永が黒川を呼んだ。
「この五千万円がなんなのか、山中商事の財務部に確認します」
松永が部下に山中商事の財務担当者を任意で連れてくるよう指示した。
部下に伴われて、山中商事の財務課長が取調室に通された。
「山城さん、昨年度の会計報告で合計五千万円ほどの使途不明金がありましたが、これは一体何に使われましたか」
「政治献金です」
山城と呼ばれた山中商事の財務課長は、臆せずに答えた。
「どちらへの献金ですか?」
「民自党です」
「いくらですか」
「五千万円です」
「おかしいですね。民自党の会計報告書には、御社からは五千万円ではなく二千万円と記載されています。残りの三千万はどうしたんですか」
「私は知りません。上司から言われたとおりにしたまでです」
「上司というとどなたですか」
「部長の斎藤です」
「斎藤さんの名前は」
「満です」
松永は、部下に山城の取り調べをまかせて、黒川を誘って、山中商事の本社に行った。
「黒川警部補、財務部長はおそらく上から指示されて、それを山城にやらせたのでしょう。上は、社長の山中忠です。直接山中忠から話を聞きましょう」
「私もそれがいいと思います」
木田係長たち四人は、やはり午前九時に衆議院事務局を訪れていた。
「警察の者ですが、飯山部長と山村課長にお会いしたいのですが」
受付の女子に警察手帳を提示して、飯山と山村への面会を求めた。
「少々お待ちください」と言ってから電話をした。
「どうぞ」
女子は、木田と若い刑事を飯山の部屋に案内した。
部屋に入ると飯山が不審そうに木田を睨みつけた。
「警視庁の木田といいます」
「私にこんなに朝早く何か用ですか」
「実は、新衆議院第一議員会館のクリーニングハウス社との清掃業務を請け負いの経緯をいろいろ教えていただきたいので、署へご同行お願いできませんか」
「それは任意ですか」
「はい、任意ですので拒否はできますが」
飯山は、観念した面持ちで秘書に電話を入れた。
「ちょっと、出かけてくる」
「お帰りは」
との問いには答えず、飯山は、電話を切って、木田の後に続いた。
一方、久米刑事の待っている応接室に入ってきた業務課長の山村は、おびえた様子で久米に訊ねた。
「私に何か用ですか」
「クリーニングハウス社との関係についていろいろお伺いしたいことがありますので、署までご同行お願いできませんか。これはあくまで任意ですので、拒否できますが」
「分かりました。準備してきますので、しばらくお待ちください」
飯山と山村は、月島警察署の取調室に別々に案内され、取り調べが始まった。
飯山の取り調べは、木田が行い、久米は山村を取り調べることになった。
午後一時、飯山を前にして、木田が言った。
「飯山さん、私の質問に答えたくなかったら黙秘されても結構です。黙秘権は法律上保障されています」
飯山が頷いた。
「今日は、お忙しいところ、ご同行いただきありがとうございます。では、飯山さん、氏名、年齢、住所そして職業をお願いします」
「飯山直樹五十歳、東京都練馬区〇〇の一五七番地です。勤務先は、衆議院事務局管理部です」
「衆議院事務局には何年前からお勤めですか」
「二十五年ほど前からです」
「その前はどんなお仕事をされていたんですか」
「政治家の秘書をしていました」
「どなたの秘書ですか」
「現在経済産業大臣の小早川実先生です」
「何年間秘書をやられていましたか」
「大学を卒業してからすぐに秘書になりました」
「大学三年の時、彼の選挙活動のアルバイトをしたんですが、その時に卒業したら秘書にならないかと誘われました。私に秘書が務まるなんて、その時は本気にしませんでしたが。私が四年生の時、景気が悪くて就職先がなかなか決まらずにいたので、ふと小早川先生の事を思い出して、事務所を訪ねました。先生は私のことを覚えていて下さり、就職先も決まらないので、秘書になることにしたんです。私設秘書でしたので、給料も安く結婚して生活が楽ではないのでと先生に相談したところ衆議院事務局を紹介され、総合職試験を受験し合格して、衆議院事務局職員になりました。それが二十五年前です」
「そうでしたか。試験は難しかったでしょう?」
「ええ、上位ではありませんでしたが、なんとか合格しました」
「今も小早川さんとお付き合いがあるのですか」
「直接はありません」
「直接はないと言いますと、間接にはあるんですか」
「いや、直接の意味は別にありません。先生は今や大臣ですよ、付き合いなどあろうはずありません」
「いつも、飯山さんはどのような仕事をされているんですか」
「私は管理部長ですので、衆議院事務局事務分掌規程第八条により管理部にある管理課、第一議員会館課、第二議員会館課、自動車課、印刷課、厚生課そして業務課の七課を管理しています」
「衆議院事務局に入られて、どのような部署に勤務されたのですか」
「管理部業務課、庶務部営繕課、国際部総務課そして、管理部第一議員会館課、厚生課と配属され、二年前に管理部長を命じられました」
「清掃業務を担当するのは、どこの課ですか」
「院内の清掃に関しては、業務課の所掌になります」
「清掃業者の選定方法はどう定められていますか」
「競争入札が原則です」
「原則というと、そうでないこともあるのですか」
「今まで一度も一社指名はありません。よくあることで、規則上そう書かれているだけです」
「話は変わりますが、業務課長の山村さんは、どういう方ですか」
「どういうと言いますと」
「仕事態度とか部内の噂などです」
「彼は大卒の一般職試験を合格して採用されました。仕事もできますし、人当たりも良い人間です」
「あなたはゴルフをやりますか」
「ええ、うまくはないのですが、たまにやります」
「どのくらいでまわるんですか」
「百をやっときるぐらいです」
「どちらのコースでやられるんですか」
飯山は警戒し始めた。
「会員になっているゴルフ場はないので、特定の所はありません」
「あなたは、十二月二日の日曜日にプレイしていませんか」
「確かYGカントリークラブでやったと思います」
「どなたとやりましたか」
「黙秘します」
「ではこちらからいいましょう。あなたと山村さん、そして、クリーニングハウス社の田所恵社長、副社長の山中稔氏、山中商事社長の山中忠氏それからあなたが昔秘書としてつかえていた現経済産業大臣の小早川実氏です。YGカントリークラブは、よく行かれるんですか」
「何度か行ったことがあります」
「飯山さん、正直に答えてくださいよ。あなたは、YGカントリークラブには昨年二か月に一度のペースで行かれてます。それも先ほどのメンバーとほぼ同じメンバーでプレイしていることは調べがついているんです」
飯山がずっと下を向いていた
「十分ほど休憩しましょう。一服どうですか」
木田は、ポケットから煙草を出して、飯山に勧めた。
「十年前に辞めましたので、結構です」
木田は、煙草を吸いに部屋を出た。
きっちりと十分ほどで、木田が席に着いた。
「木田さん、私は、いつまでここにいなければならないんでしょうか」
「そうですね。飯山さん次第ですよ」
飯山はまた下を向いた。
「飯山さん、新衆議院第一議員会館のクリーニングハウス社との清掃業務を請け負いについて、お聞きしたいのですが、クリーニングハウス社からゴルフ以外でも料亭で接待を受けているそうですね。また、現金等を受け取ったことはありませんか」
「黙秘します」
「あなたのMS銀行虎ノ門支店口座に昨年の入札前にクリーニングハウス社から五百万円振り込まれています。これは何ですか。正直にお答えいただかないと後々後悔することになりますよ」
飯山は、顔を上げて木田を見つめた。
「クリーニングハウス社が、勝手にしたことです」
「あなたの口座を知らなければ振り込むことなどできるわけがない。あなたは、クリーニングハウス社に口座番号を教えたのは、見返りを期待しての事なんだ。そうだろう」
木田はそれから十分ほど飯山を攻め続けた。
「申し訳ありません。クリーニングハウス社の山中副社長が挨拶代わりにと執拗にいわれたので、つい教えてしまいました」
飯山は、クリーニングハウス社から五百万円を受け取ったことを認めた。
「ところで、あなたにクリーニングハウス社を紹介したのは誰ですか」
飯山は黙秘を使おうか悩んだ。
「小早川さんじゃないのですか」
飯山は黙り続けた。
「小早川さんに義理を立てる必要はないんじゃないですか。あなたは、利用されただけなんですよ」
「その通り、小早川先生からクリーニングハウス社を紹介されました。私は、クリーニングハウス社については全く知りませんでした。紹介された後に、クリーニングハウス社の社長と副社長そして、親会社の山中商事の社長が挨拶に見えました」
「小早川さんから紹介があったのはいつですか」
「確か入札の公告した翌日だったかと思います」
「どのように紹介されましたか」
「電話です。小早川先生が世話になっている山中商事の関係会社に清掃業務をやっているクリーニングハウス社という会社があるので、今度の入札に参加させてほしい。そして、すぐにあいさつに行かせるからよろしく頼むという電話でした」
「クリーニングハウス社が挨拶に来たのはいつですか」
「小早川先生の電話の後に、クリーニングハウス社の山中稔副社長から都合を聞く電話があったので、確か、翌日の午後二時がいいと言って決まったと思います」
「副社長からクリーニングハウス社の業務の概要説明を受けました」
「説明を受けたのは、あなただけですか」
「いや、山村業務課長も同席していました」
「クリーニングハウス社の概要説明のほかにどのようなことが話されたんですか」
「山中商事の社長は、小早川先生とは近しい関係のようで、小早川先生はいつか総理大臣になるはずだと期待していたようです。後は、ゴルフの話をしたかと思います」
「ところで、入札結果ですが、クリーニングハウス社は、予算にほぼ等しい98.5%で落札しています。どう説明されますか?」
「業務課長から山中副社長に伝えたと思います」
「どうして山村さんが、相手方に予算を教えたのですか?」
「私にはわかりません。山村に聞いてください。木田さん、私はいつ帰れるんですか」
木田が時計を見た。
「今日は、これで終わりにしますが、また明日お願いできませんか」
「もうこれ以上お話することはありません」
「飯山さん、公務員という立場でありながら、あなたは、クリーニングハウス社から少なくとも五百万円を受け取ったんですよ。収賄の嫌疑がかかっているんです」
飯山は、俯いてしまった。
「明日朝九時にお迎えに参りますので、ご協力お願いします」
飯山は、肩を落として部屋を出て行った。
木田は、山村を取り調べた久米とお互いに情報を連絡しあった。
「これで飯山と山村の収賄は確定だな」
木田は、ほっとした様子を見せた。
「木田係長、これから何とか山中商事と小早川大臣との贈収賄を明らかにしたいですね」
「久米、その確固たる証拠をつかむには、まだ時間がかかりそうなので、時間切れになるかもしれん」
「そうですね」
久米が残念そうに答えた。
翌日も木田は飯山を、久米は山村を取り調べたが、目新しいことを引き出すことはできなかった。
山際たちは、高田馬場にあるドリームアドバンス社の本社を訪れた。
山際と川上は、応接室に通された。
数分ほどで、社長の山中宏がいかにも迷惑だというような顔で部屋に入ってきた。
「忙しいので、用件は手短にお願いします」
山際が警察手帳を持って名のろうとする前に、山中宏が言った。
「御社はクリーニングハウス社に清掃用ロボットを売られていますね」
「ええ、クリーニングハウス社はお得意様です」
「そのクリーニングハウス社のロボットなんですが、ただの清掃用ロボットではなく、録音や撮影機能を持っていて、それで得た情報を宇宙衛星に飛ばしてある国へ送信している疑いがあるのです。その機能を持たせた理由を教えてくれませんか?」
「そんなことですか。我々は、客先からの要望でスペックを決めます。だから、二足歩行用ロボットに録音や撮影機能を持たせたのは、客先からの要望によるものです。理由は、客先のクリーニングハウス社に聞かれたらいかがですか」
「クリーニングハウス社に聞いても、副社長がひとり御社に関わっていたので、分からないというのです。山中稔さんは亡くなられてしまったので、あなたに聞く以外に分からないんです」
「そう言われても」
「ドリームアドバンス社の本社からの指示であなたの会社は、クリーニングハウス社と組んで、我が国の機密情報を盗んでいる証拠があります。それについていろいろお聞きしたいので、署までご同伴いただけませんか」
「それ、任意ですよね」
「はい、任意です」
「分かりました。支度してきますから待っててください」
三十分が過ぎた。
「遅いな」
山際は、川上に向かって言った。
「刑事さん、社長が大変です」
山中宏の秘書が、血相を変えて部屋に入ってきた。
「どうしましたか」
「社長が、倒れています」
「なんだって。案内してください」
秘書の後から山際たちが社長室に入った。
「山中さん」
椅子に座っていた山中宏は、ぐったりとしていた。
山際は、山中の手首に指をあててから、ワイシャツのボタンをはずし胸に耳をあててから、川上たちに向かって首を横に振った。
「自殺ですか」
和泉が言った。
「おそらく、このコーヒーに青酸化合物を入れて飲んだんだろう。和泉、宮原課長へ連絡してくれ」
「川上さん、残念です」
「山中宏は、すでに覚悟をしていたんですよ。普通では、この程度の事では、自害などしませんよ。やはり、NS国の諜報員なのでしょう」
矢田由美子が死体で発見されたのを桑原が知ったのは、十二月十五日の午前だった。
「なんだって、矢田由美子に間違いないのか」
桑原は、外事の里見に連絡した。
「死体は、青梅街道沿いの林の中です」
「今から本部へ行きますので、死体が発見された場所へ同伴させてください」
一時間ほどで、桑原たちは現場に着いた。
「ご苦労様です」
青梅警察署の刑事たちが、桑原たちを迎えた。
矢田由美子の死体に近寄って、桑原たちは手を合わせた。
「桑原係長、死因は、絞殺によるものと思われます。状況から見ますと、かなり腕力の強い者の仕業です。推定時刻は昨晩の十時から十二時と推定されます」
「なにか盗られたようなものはありませんか?」
「携帯電話と財布が見当たりません」
「タイヤ痕などは?」
「見当たりません」
「桑原係長、証拠になるようなものはありませんね」
里見が、がっかりした様子を見せた。
「この辺りじゃ、防犯カメラもほとんどありませんし、目撃者もいるかどうか」
青梅警察署の刑事が、元気なく言った。
山中商事社長の山中忠が、東京国税局の建物の一室で、松永局員による任意の取り調べが行われた。
黒川ひとみは、別室から取り調べの様子を見ていた。
「山中さん、本日はお忙しい中、取り調べにご協力いただき、ありがとうございます。これからいろいろお聞きしますが、答えたくなかったら答えずに黙秘してもらっても結構です」
「御社は、十年前に設立されて、山中さんあなたが、いままでずっと社長を務められていますね」
「はい、私が起業してやっとここまで来ました」
「あなたは、T大学生の時にNS国に一年ほど留学していますが、どのようなことを勉強されたのですか」
「NS国の歴史についての勉強です」
「素晴らしいですね。ところで御社の財務課長の山崎正一さんが、使途不明金の五千万円のうち二千万円については民自党への政治献金だと言っているのですが、残りの三千万円の使途については、彼は知らないと言っています。三千万円、どうされましたか」
山中忠は、黙秘した。
「では、この二年の間、クリーニングハウス社の副社長からあなたへ渡された九千五百万円は、一体どうされたのですか」
黙秘は続いた。
「あなたは、ゴルフをよくやられますか?」
「ええ、私の唯一の趣味です」
「社長のお立場から、接待ゴルフが多いのでしょうね」
「そうですね。昔は銀座のクラブか赤阪の料亭と決まってましたが、健康に気を使う人が増えてきましたので、ゴルフが多くなってきました」
「どのような方とやられるんですか」
「取引先ですよ」
「政治家や役人たちとはどうなんですか」
「彼らは誘っても相手にしてはくれません」
「あなたは、十二月二日の日曜日にYGカントリークラブで経済産業大臣の小早川実氏とプレイをしていますね。その日だけでなく月一度の割合でプレイされている。間違いありませんね」
山中忠は、正直に頷いた。
「赤阪の料亭でもよく会っているようですね」
山中忠は、否定もせずにただ俯いていた。
「三千万円は、誰に渡したんですか?」
「黙秘します」
顔を上げて、山中忠は答えた。
「そうですか。誰に渡したかお答えいただけるまでお付き合いいただきますので、よろしくお願いいたします。今日はもう結構ですのでお引き取り下さい。また明日九時にお迎えに上がります」
後十日を残すだけになった。
捜査会議が十時から開かれたが、どれも決定的な証拠は報告されなかった。
クリーニングハウス社社員の山田涼介殺害については、犯人は未だ目星すらついていない。深山平一郎の証言では、クリーニングハウス社のロボットによる国会議員の事務所から機密情報を盗み取っていることを知ったためとのことだが、その容疑者と思われたクリーニングハウス社社長田所恵及び副社長山中稔は、殺害された。殺害に関する重要参考人であった家政婦の矢田由美子も何者かに殺されてしまった。そして、ドリームアドバンス社の社長の山中宏の自害。これらの事件の解明とNS国への機密情報漏洩の主犯そして経済産業大臣の小早川実氏への贈収賄等及びその関連についての捜査は暗礁に乗り上げてしまった。
「本部長とも相談したんだが、今日の午後に衆議院事務局の管理部長とクリーニングハウス社との贈収賄について記者たちにリークすることにした。理由は、捜査期間を引き延ばすためだ。それほど長くは引き延ばせないと思うが、その時はその時だ。諸君も今まで通り捜査に励んでほしい。よろしく頼む」
どよめきがどこからともなく起こった。
黒川ひとみが、大声で宮原課長と言って手を上げた。
「黒川警部補、なにか」
「山田涼介さんの殺害から深山平一郎さんの監禁、クリーニングハウス社の社長と副社長の死、家政婦の矢田由美子の殺害そして、ドリームアドバンス社の山中宏の自害と機密情報漏洩との関連性はかなり強いと思われます。また、我々の捜査の進行を恐れて、殺害等が行われたのではないでしょうか。だとすると、次は、山中商事の社長山中忠氏が危ないと思います。徹底的に山中忠氏をマークするよう進言します」
ざわめいた。
「桑原課長、どう思いますか」
山上が、桑原に聞いた。
「俺もそう思うよ。もっと早く気付くべきだった」
「今の黒川警部補の意見に関して、他に何か?」
桑原が手を上げた。
「桑原刑事」
「山中忠氏の身柄の保全ですが、ドリームアドバンス社の山中宏の自害もありましたので、令状を取って身柄を拘束したらどうでしょうか?」
「決め手となる理由が、見つからない」
黒川が手を上げた。
「脱税の証拠隠滅の恐れのためという理由で逮捕状を請求したらどうでしょうか。それが認められれば、二十日間の勾留が可能です。その間に事件を解決するんです」
宮原は、寺内の指示を仰いだ。
「黒川警部補、その案を国税に持ち掛けて、国税から逮捕状を請求するよう説得してくれ」「諸君は、クリーニングハウス社、ドリームアドバンス社そして、山中商事を再度、徹底的に調べるんだ」
話し終わった宮原に促されて、寺内が立ち上がった。
「この事件を解決しないと我が国を震撼させる事件に発展するかもしれない。この国を守るために、我々の力で解決するのだ。よろしく頼む」
翌日、黒川ひとみの努力で、東京国税局の松永たちは山中忠の逮捕に山中忠の自宅に行った。
さすがに商社の社長宅、フェンス越しに敷地内を覗くと庭の植え込みは綺麗に整えられており、池もあるようだ。
松永の部下が呼び鈴を押した。
女の声が、応答に出た。
「どちら様ですか?」
「東京国税局の者ですが、山中忠さんはいらっしゃいますか」
「またですか。今度は何の御用ですか」
松永が代わって応えた。
「山中忠さんに脱税の疑いで逮捕状が出ています」
「なんですって。昨日から主人は戻ってきていません」
「まさか。お話をうかがわせてもらえませんか」
「どうぞ、中に入ってください」
玄関のロックが解錠された。
松永と黒川ひとみたちは、応接室に案内された。
鼻筋が通って、髪を肩ぐらいまで伸ばし、品のよさそうな山中の妻は、心配と不安で松永の言葉を待っていた。
「実は、ご主人の命に危険が迫っています。我々は、ご主人の生命をお守りするためにやってきました。奥さん、ご主人の行き先をご存じありませんか?」
「主人は外泊することはありますが、その時は連絡してきます。昨日から、連絡がありません」
山中の妻は、気が動転しているのか、松永の質問には答えていなかった。
ただ、山中の妻の言葉に嘘はないと、松永と黒川は、山中忠がこの家に居ないと確信した。
松永が、再び山中忠の行き先に心当たりはないかと聞いた。
「社長という立場上、接待や付き合いで飲みに行くことは多いようでしたが」
「奥様、飲みに行く場所で、何処かご存じありませんか?」
黒川ひとみが、すかさず聞いた。
山中の妻は、しばらく考えていた。
「そういえば、銀座のクラブで純という名のお店に行っていたと聞いたことがありますわ。実は私の名前が、純子なのでよく覚えているんです」
「奥様、ありがとうございます」
これ以上居ても役に立つような情報は得られないと松永たちは、山中忠の自宅を後にした。
プラットホームで上りの電車が来るのを松永たちは待っていた。
「松永さん、私はこれから銀座に行きますけれど、どうされますか?」
黒川ひとみは、銀座のクラブの聞き込みは刑事の仕事だと言わんばかりに松永に向かって言った。
「私は、局へ戻ります。山中忠が、見つかったら連絡ください」
「もちろんです。真っ先に連絡します」
黒川ひとみと高山は、地下鉄銀座線の銀座四丁目の駅で下車した。
隣の席の山上が、桑原に声をかけてきた。
「これからどうしましょうか」
「そうだな」
桑原が目をつぶった。
「もう一度、深山平一郎さんに話を聞きに行こう。何か新しいことが分かるかもしれない」
桑原と山上は、永田町で半蔵門線に乗り換え、二子新地で下車して、深山の自宅までの道のりを十五分ほど歩いた。
家から少し離れたところに、見張りの覆面パトカーが路駐しているのを桑原たちは軽く会釈して、通り過ぎた。
妻のさゆりが、ふたりを居間に案内した。
すぐに二階から平一郎が降りてきた。
「どうもご苦労様です」
「何か変わったことはありませんか」
桑原が早々に訊ねた。
「別に変ったことはありません。事件の方はどうですか?」
さゆりが茶を運んできて、二人の前に置いた。
「ご存じかと思いますが、クリーニングハウス社の社長と副社長が殺害されました。犯人と思われた社長の家政婦も殺されました。それから、ドリームアドバンス社の社長は自害されました。一連の事件の関係者は、ほとんどいなくなり捜査も行き詰ってしまいました」
「そうですか。そうするとまだ私も危ないかもしれませんね」
「気を付けたほうがいいです」
それから三十分ほど桑原たちは、平一郎から以前の話を再度聞いて、深山の家を後にした。
「新しい収穫はなかったですね」
山上は、桑原に話しかけた。
「山中商事は、黒川警部補たちがあたっているから、我々は小早川実にあったてみるか」
「桑原さん、そりゃまずいですよ。相手は、大臣ですよ」
「当たり前だ。小早川実の秘書にあたるんだよ」
「YGカントリークラブに小早川さんと一緒に来ていたあの秘書ですね。議員会館に行きますか」
「いや、署に戻ろう」
署に戻った桑原は、宮原に小早川の秘書に聞き取りすることを相談した。
「桑原刑事、秘書に何を聞くんだ」
「小早川氏の収賄についてです」
「証拠がないのにそんな大それたことを聞くなんて馬鹿げている」
桑原は、黙った。
「桑原刑事、これから勾留される山中忠に、小早川氏の秘書の件について、まず取り調べてみたらどうだ。それから秘書か小早川氏本人にあたるかを決めよう。その線から黒川警部補に取り調べてもらうよう連絡しておく」
「分かりました、課長」
その時、宮原の携帯が振動した。
「黒川ひとみからだ」
「はい、宮原」
「宮原課長、山中忠が昨日から行方不明です。昨日家に帰っていないと奥さんが心配しています」
「奥さんに心当たりはないのか?」
「一か所だけですが、銀座の純というクラブによく行っていたそうで、これから私と高山が行ってきます」
「分かった」
「桑原刑事、聞いての通りだ」
「課長、山中忠が姿を消したのは、偶然でしょうか?」
「桑原刑事、どういうことかね」
「まさかとは思いますが、我々の内部に敵方に通じている人間がいるのではないかと」
「目星がついているのか」
「いいえ、そこまでは」
この事件を解く手掛かりになる人間がいなくなっただけでなく、警察組織の中にNS国のスパイがいる疑いがあることに、これからどのように捜査本部を取り仕切ったらよいか、宮原は途方に暮れた。
「桑原刑事と山上刑事、小早川の秘書に聞き取りの件、これから署長に了解を取り付けよう」
三人は、署長室に入った。
署長の寺内は、三人に席を勧めた。
宮原は、山中忠が昨日から行方不明により、今までの事件の解決の糸口が閉ざされてしまったこと、これを打破するには小早川経産大臣かその秘書あたりを調べて、何かしらの手掛かりを掴むことしか残されていないと寺内に訴えた。
「小早川さんがそのことを知ったら、どう出てくるか、君たちは分かってて言っているんだろうな」
「当然承知しています」
宮原はきっぱりと言った。
「私に最悪の時の覚悟をしておけということだな」
宮原たち三人は、うつむいた。
「分かった、覚悟をしておくよ」
「もう一つよろしいでしょうか」
「いいよ」
「桑原刑事、先ほどのスパイの件を説明してもらえないか」
桑原は、宮原に促されて、本部の情報が敵方に漏れていて、我々の行動の前に敵は対処しているように思えて仕方がないと訴えた。
「もし、桑原刑事が危惧していることが事実だとしたら、今までの事件を解決することは不可能だ。どうしたらいいんだ?」
「しばらくは、捜査会議は開かないで捜査を勧めたらどうでしょうか。ただし、捜査状況は、すべて宮原課長が把握して、指示を出すようにしたらいかがでしょうか」
桑原は、寺内と宮原を交互に見ながら言った。
寺内は、宮原が口を開くまで黙り続けた。
「署長、桑原刑事の案はいかがでしょうか」
「分かった。宮原課長もそれでいいんだな」
「はい」
宮原は、確信に満ちた返事をした。
経産大臣の小早川実は、今年七十六歳。生まれは九州の鹿児島県で、祖父、父親も国会議員で地盤を引き継いだ三世。外務副大臣を経て、二年前に経済産業大臣という初の大臣ポスト射止めた。外務副大臣の時は、当時の大貫外務大臣と何度もNS国を訪れていた。今では、我が国のNS国への窓口となっており重宝されている。三十五歳の時に、大手アパレル会社の社長の次女時恵と結婚しており、長男の昭雄と次女の知美、三女の恵子をもうけて居る。
彼には、公設秘書三人と事務員二人を雇っていた。
政策担当秘書の三留保、公設第一秘書は小早川実の長男小早川昭雄が、公設第二秘書は小早川実の妻の叔父の息子の藤村恒夫そして、事務員は、小早川実の次女の知美と三女の恵子である。
政策担当秘書の三留保は、わが国でも難関のS大学を卒業して、国会議員政策担当秘書の資格試験をトップ合格した男で、現在三十歳、近いうちに議員になり将来は総理を目指すとの野心を抱いている。容姿は、身長は百七十五センチで、高校時代剣道をやっていたため体つきはスマートだが、骨格はしっかりしているようだ。目鼻立ちは、やはり勉学には秀でていそうな賢さが、目つきの鋭さと鼻の高さそして、冷徹な唇の薄さから受け取られる。
第一秘書の小早川昭雄は、親の七光りでこの年三十二歳まで生きてきて、将来は父親の地盤を受け継いで国会議員になると確信している。身長は百七十センチほどで、太り気味で見た目は優しそうな顔立ちである。
第二秘書の藤村恒夫は、四十歳で今まで何度も転職をを続けており、二年以上長く定職に就いたことはなく、この年になっては、職を探してもなかなか良い職が見つからず、時恵が実に泣きついて秘書として雇ってもらったという経緯がある。
次女の知美は、二十九歳でY大学を卒業して、山中商事に入社したが、数年で退職して父親の事務所に勤めている。知美は、母親の時恵に似て美貌の持ち主で、大学ではミスYに選ばれた。三女の恵子は、二十七歳、顔立ちは、父の実に似ている。
以上の小早川実に関連した人物の情報は、衆議院事務局の管理部長飯山直樹から宮原たちが、聞き出したものだ。
「まずは、顔と名前を一致させなければならないな」
宮原は、桑原と山上の顔を交互にのぞいた。
桑原と山上は、小早川実の自宅を見張った。
二日で、目的を果たした。
「課長、ゴルフ場についてきた秘書は、間違いなく第一秘書の小早川昭雄です」
桑原が、宮原に携帯で撮った写真を見せながら言った。
「これからどうするかだが」
宮原は、考え込んだ。
「第二秘書の藤村恒夫は、時々銀座の純というクラブに行っているようです」
桑原が言った。
「山中忠も行っていたと黒川警部からの電話のあのクラブか?」
宮原は驚いた。
「はい、黒川警部補から場所を聞いて行ってきました。黒川警部が純に聞き込みに行ったのですが、純のママは口が堅く何も情報を得られなかったといってましたので、私は、客として行ってきました。店員の話によると、藤村は、そこのママにぞっこんとのことで、ちょくちょく店に来るそうです」
山上が口をはさんだ。
「おまえ、もうあの店に行ったのか」
「桑原さん、すみません。昨日下見のつもりで行ってきました」
山上が頭を掻きながら答えた。
「よくそんな高い店に行けたな」
「そうなんですよ。二時間ほどいて三万円とられました」
宮原も桑原もどうしてよいものかしばらく黙った。
「山上刑事、それは散財かけたな。他に何か分かったことはないのか?」
宮原が、財布から二枚を出して山上に渡した。
「ありがとうございます。彼は一時期、小早川実の紹介で山中商事にいたそうですが、山中忠に煙たがれ、クリーニングハウス社へ出向になったそうです。そこでも、副社長の山中稔と喧嘩してとうとう首になり、そして、今のところに落ち着いたと店員が本人から聞いたといってました」
「そんな高いところに、公設秘書の給料で何回もいけるとは思えないが」
桑原が首を傾げた。
「山中忠に煙たがれた理由は、なにかね」
「課長、申し訳ありません。煙たがれた理由や喧嘩した理由は、聞き出せませんでした」
「そうか」
「課長、山上刑事に当分の間そのクラブのなじみ客になってもらったらどうでしょうか」
桑原が、進言した。
「桑原刑事、ちょっと待ってくれ。経費が認められるか署長に相談してからだ」
しばらくして、笑顔で宮原が戻ってきた。
「桑原刑事、二回分は経費を使っていいと署長の了解を得たぞ」
「山上、後二回行けるぞ」
「ありがとうございました」
山上は、酔っ払っていた藤村恒夫が、タクシーを降りて、純に入るのを見届けてから、十五分後に店に入った。
すでに、十時を過ぎていた。
「山上様、いらっしゃいませ」
「メリークリスマス」
山上は、後ろに隠しておいた花束をママに手渡した。
「わあ、綺麗。山上様、ありがとうございます」
ママは、山上を藤村の隣のボックス席に案内した。
「みどりさんを呼んできますからちょっと待っててくださいね」
しばらくして、みどりという女の子が山上の隣に座った。
「また来てくれたんですか。クリスマスイブなのに、ありがとうございます」
「みどりさんの顔を見たくなってね」
「まあ、うれしい」
みどりは、グラスにアイスを入れて、ボトルのウイスキーをそれに注ぎ撹拌した。
「さあ、どうぞ」
「みどりさんも一杯飲んだらどう」
みどりは、手際よく薄めの水割りを作った。
「じゃあ、メリークリスマス」
山上は、グラスを差し上げて口に運んだ。
そして、隣のボックスの藤村に目を向けた。
藤村は山上に気づいて、こちらの席に来るよう山上を手招きした。
「みどりさん、藤村さんが呼んでるからあっちの席に移っていいかな」
藤村恒夫は、かなり飲んでいるようで多弁だった。
たわいもない話で二人は盛り上がった。
翌朝、二日酔いの山上は、宮原と桑原を前にして昨日藤村から得た情報を報告した。
「藤村は、小早川実の弱みを握っています。それに付け込んで、クラブ純も小早川のツケで通っているようです。その弱みなんですが、十年ほど前、小早川がNS国に渡航した時にハニートラップに引っかかってしまい、それからというもの小早川は、NS国のスパイに成り下がってしまったようです」
「そんな話、クラブの女の子の前で話しているのか」
宮原が心配そうに言った。
「いいえ、そのような話をするのは、帰りのタクシーの中です。純の店員にもスパイがいるんじゃないかと彼は疑っています。彼は、かなり用心深いです」
「なぜ用心深い藤村が、山上にそんな危ない話をするんだ」
桑原が、不思議そうに言った。
「もしかしたら、彼に何かあった時に俺を利用しようと考えているのかもしれません」
「なるほど。藤村は思っていた以上に賢いな。小早川は、NS国の諜報機関に脅されているんだな」
宮原が言った。
「NS国は、それだけでなく山中一家にも食い込んでいると、クラブ純で山中忠の言動から藤村は、そう思っているようです」
「我が国は、スパイ天国と今でも言われても致し方ありません。早くスパイ防止法を成立させないとこの国の将来は危ないかもしれない」
「桑原刑事、スパイ防止法の成立に反対しているのは、議員でも結構いる。小早川大臣もその一人だ」
「宮原課長、これからどうしましょうか」
桑原が、聞いた。
「藤村恒夫だが、いろいろ知りすぎているようだな。今度は、彼が狙われる可能性がある。桑原刑事と山上刑事、当分、藤村から目を離さないでくれ。交代は、久米と和泉に頼んでおく」
十二月二十六日、今年もいつかを残すだけになった。
町には、クリスマスツリーに代わって、門松があちらこちらに見られるようになった。
「なんとか、今月中に解決の糸口を見出さなければならない。我々の仲間にNS国のスパイがいるなんて、一体誰だ」
宮原は、事件の解決と警察内のスパイの特定の両方ともまだ確固たる証拠が、見つからないことに焦っていた。
父親の小早川実が、引退を迫られその後継に指名するよう、第二秘書の藤村恒夫に脅されていることを、息子である第一秘書の小早川昭雄が、政策担当秘書の三留保から聞いて激怒した。
「おやじは、俺を後継にすると言っている。藤村には絶対に親父の地盤を継がさせはしない。なんとかしなければならない」
昭雄は、小早川実に会って、事実を確認した。
「恒夫は、いろいろ知りすぎた。おまえは心配するな。俺がなんとかする」
小早川実は、息子に向かって言って聞かせた。
三日後の十二月二十九日の夜十一時頃。
タクシーが止まった。
二十メートルほどはなれたところで、山上は車を止めた。
藤村恒夫が、タクシーを降りてマンションのエントランスに入ろうとした時、横から黒い影が飛び出てきて恒夫に向かって体当たりをした。
「危ない」
藤村が倒れた。
車の中にいた桑原と山上が同時に声を上げるや、車から飛び出た。
「待て」
桑原と山上は、黒い影を追ったが逃げられてしまった。
桑原は我に返って、エントランスに走った。
山上も続いた。
「しまった」
桑原が、声を上げた。
コンクリートの表面には血液の跡が残っているだけで、倒れていた藤村の身体はそこから消え失せていた。
自動車の発車音が響いた。
「しまった」
桑原は、道路に出て去っていく自動車に向けてシャッターを切った。
そして、その写真を宮原に送信した後に電話を入れた。
「はい、宮原。どうした」
「課長、今藤村恒夫のマンションの前で、藤村が刺されました。しかし、刺された藤村が何者かによって、連れ去られました。先ほど送信した写真の車が、おそらく藤村を乗せているものと思われますので、至急手配をお願いします」
「分かった。今からそちらに鑑識たちを行かせるから待っていろ」
桑原が撮影した車の分析を終えて、藤村恒夫のあるマンションの都内に緊急配備を行うよう指令が発せられた。
その結果一時間後に藤村を乗せた車が、青梅街道の側道に乗り捨てられていたのが発見された。
その車は、盗難車だった。
車内には、藤村の血痕が残されていたが、他にめぼしい手掛かりとなるものは残されていなかった。
犯人たちのそれからの逃走経路は、未だ分からなかった。
そして、大晦日を迎えた。
藤村恒夫本人と恒夫を襲った犯人を探し出すことが出来ずに、最後の捜査会議が開催された。
刑事たちからは、事件解決につながるような報告は皆無に等しかった。
宮原が、横に座っていた寺内に顔を向けた。
寺内は、立ち上がった。
「諸君、残念ながら本日をもってこの対策本部は解散する。一連の事件を解決できずに解散することは、私にとっても悔しいし、諸君に対しては、誠に申し訳なく思っている」
皆、下を向いて悔しがった。
「はい」
黒川ひとみが手を挙げた。
「黒川警部補」
「本部長、この一連の事件は、NS国による諜報活動の隠ぺい工作によることは明白です。もうしばらく時間があれば、解決できるはずです。なんとか、上層部を説得して本部を解散しないでいただきたい」
「私の力不足で、上を説得できなかった」
寺内は、下を向いてしまった。
黒川は、無念さを露にして座った。
「桑原さん、これでいいのですか」
山上が隣の桑原に声をかけた。
「いいわけないが、天の声だ。我々だけでなく、署長も宮仕え、辛いはずだ」
「黒川警部補のような人がどんどん偉くなって、このようなことの無いようにして欲しいものですね」
「人間、名誉とか権力には弱いもんだよ。署長だって、若い時は、正義感に燃えていたはずだ。いい悪いは別として、組織にどっぷりつかってしまうと上には反論できなくなるんだ。警察組織では、特にそうだ」
「しかし、そんなことでこの国の将来は大丈夫でしょうか」
「何とも言えんな。ところで、山上。今晩はあいているか」
「ええ、特に用事はないですが」
「年越し酒でもやろうか」
「いいですね」
「黒川警部補も誘ったらどうかな」
山上の頬が赤く染まった。
年が明けての四日。
渋谷のビルのニューステロップに、小早川実が議員を辞職したという文字が流れた。
了