京都が好き 写真が大好き by たにんこ

長く写真をやってると 
聞こえないものまで 
聞こえてくるんだな

気の毒すぎる 日本のお馬鹿

2007年09月09日 09時01分45秒 | Weblog
まだまだ暑いぞ日本!


土曜日 ジャスコに買い物に行った。
おんちゃんと二人だ。
時間は午後の19時を回っていた。
帰りは何時もの通り 九条通りを歩いていた時に 気の毒すぎる事件が起きた。
とっぷりと暮れかかった通りを歩いていると 横断歩道の直ぐ脇で ちょっとした事故があったらしく
しかし もう処理は終わっていて 居るのは警察官3~4にんだったんだ。
それを踏まえてだな…

テクテクと 東寺を目指して歩いていると…???…???…
なにやら賑やかな 自転車に乗った奴が 遠くからこっちに向かって来た。
???怒鳴っている。
怒鳴り散らしている。
ゆっくりと自転車を漕ぎながら ふらふらと蛇行しながら 歩いている人達を 怒鳴り散らしている。
歩いている人達は びっくりするやら逃げるやら。
係わり合いになりたくないんだろう。
おれは↓↓↓を書いた後の 何ともやりきれない気持ちだったから 当然 かかわりたくなった。
自転車に乗っている奴は 酔っ払いか?「おらぁ! おらぁ@#$★◎◇∬∽ くぬ野郎!!!!!」
とか言っている。
意味不明のワケワカメだ。
ふらふらしながらも 怒鳴り散らしながら 真っ直ぐ近づいてきた。
おんちゃんを おれの後ろに回し 言い聞かせた。
「馬鹿の最後 見たいかよ?」と言ったら おんちゃんは「うん 見たい」と言う。
自転車に乗った大馬鹿野郎は おれとほんの僅か…20センチ位いのニアミスだった。
すれ違いざま おれは「この野郎!危ねぇ~じゃねぇ~かよ!真っ直ぐ走れ!!!」と怒鳴り返した。
この馬鹿野郎は「なにおぉぉぉ~~~!なんだぁ~?文句あるのかぁ~!!!」と言いつつも…
後ろを向きながら 怒鳴り散らしながら ゆっくりと走り去って行く。

怒鳴り散らすのは良い…良い事は無いけどな…。
↑↑↑を見ろよ。
この大馬鹿野郎は 後ろにも目が付いていると錯覚しちゃっている 超脳天気な大馬鹿野郎なんだ。
その通りだ。
おれを怒鳴りながら おれを見たまま自転車を漕いでいるんだよね。
おれの方を向きながら 怒鳴り散らしながら漕いでいる その馬鹿野郎に
「おいっ 気ぃ~つけろよ!おめぇ~とキスしたがっているのが居るぞ」と言ったんだ。
後ろを向きつつ 怒鳴り散らしているその大馬鹿野郎は さっきの警察官が数人立って居る方向に向かいつつ…
その大馬鹿野郎の直前にそびえ立つ コンクリートの塊の「電柱」と言う物に向かって「猫まっしぐら」だ。
数秒後 巨大なコンクリートの塊に 真正面からぶつかり こけた。
警察官は驚いただろうね。
それよりも驚いたのは おれ達だったよ。
ものの見事にビンゴだからな。
おれとは逆方向に居た おばちゃんは「あんた 面白い事言いはるなぁ~」と 大笑いしてた。

何処まで続く いじめ おれも被害者?!

2007年09月08日 03時38分20秒 | Weblog
裏サイトに いじめを奨励している所が有る。
しかも 連日賑わっている。
このサイトを造った奴を 極刑にすればいいのにな。



この話し…
おれにとっても 世の中にとっても そして その当時
おれの友達にとっても もう時効だろう…

中学一年になった時 不良と言われている先輩達 優秀な先輩達 この人達に
どう言う訳だか おれは可愛がられた。
同級生の友達も これでもかって位い出来た。
それこそ これからの人生は…中学生活…バラ色だった。
うきうきしていて 二年になった。
担任は女だった。
いそやま ようこ と言う担任だ。
顔まではっきりと覚えている。
小太りで目が細くて 何時も目つきが鋭く 怒っているような顔だった。
おれ自身 おれの周りは 相も変わらずバラ色だった。
二年になると 毎日のようにテストが続いた…豆テストなど。
それでも めちゃくちゃ楽しかった。
学年でトップの奴が…男だ… どう言う訳かおれに近づき で友達になった。
と言うか 大親友になったんだ。
おれの成績は 中辺りだ。
二年になって 二ヶ月が過ぎた頃に事件は起きた。
学校中を PTAを 教育委員会を動かすほどの騒動になるなんて 誰も…
おれ自身 想像もしなかった。

親友になった成績優秀の奴は 親が同業者で おれ達の仲は親も知っていた。
毎日の様に行き来し 勉強も一緒にした。
二年になって二ヶ月位い経ち ある日の給食が終わった直後 その親友はおれの所に来ようとして近づいて来た。
その瞬間 担任が「おい たにんこ!前に来い。」と言われ 担任の前に行った。
給食が終わった直後だから しかも担任が 形相が変わるほど怒っているから
クラスの全員が見ていたんだろう。
すぐさま「お前みたいな馬鹿と付き合っているから ○○○君の成績が落ちたんだよ! 二度と付き合うなよ。
分かったか!!!!!」と言った。
時が止まった。
このブログを読んでいるおめ様達 意味が分かるか?
時が止まったんだ。
おれの中学二年生の 大切な時間が止まった。
近所の幼馴染で 恋愛中だった女の子が「随分酷いんじゃないですか!そんな言い方って無いでしょう!!!」
と怒鳴ってくれた。
他のクラスメートも「酷いなぁ…担任が言う言葉じゃないよ」とか言っている。
途端「黙れ!本当の事を言っているんだよ!!!」と怒鳴り 教室を出て行った。

おれの戦いが始まった。
この担任の女には 一切返事をせず テストは全て白紙で出した。
一回二回ならまだしも 約一年にわたって 全てのテスト用紙は白紙で出した。
三回四回目のテストが終わった時 職員室に呼び出された。
各担当の先生方に囲まれ「どう言う事だ?何を考えてるんだ!」と 口々に怒鳴られた。
おれは黙っていた。
親が…母親…が学校に呼び出され 校長室で話をすると言われた。
担任の女 各教科の先生方 校長先生 親 おれ…
何かを話しているんだ。
思い出せないんだよ。
校長先生が 先生方を退出させたんだろうな おれと親と校長先生だけになった。
校長先生は おれは大好きだった。
その校長が「とにかく何でも話してみなさい」と言うような事を言ったんだ。
言われた途端 涙が出て止まらなくなった。
全てを話した。

お袋に言われた。
「信念を貫けよ。あたしは応援するから」と言う。
この当時お袋は PTAの役員をしていた。
この事件直後 役員を辞めた。
お袋は「言いたい事も言えないから辞めた」と 後々になってから言ったんだよな。
数回に渡り 校長室に呼び出された。
校長室に呼ばれたのは覚えているけど 何を話したのかは覚えていない。
廊下ですれ違う先生の中には すれ違いざま「頑張れよ」と 小さい声で応援してくれる先生が 何人も居た。
だから おれは 今現在も生きていられる。
おれはきっと 必死だったんだろうな。
心が無い太陽のように 無意味に学校に行っていたんだろうな。
二年生の一年間 友達と 親と 何を話をして… 全ての行動が 分からないんだ。
これ以外の事は 覚えていないんだ。
中学二年の記憶は これだけなんだ。

一年生 三年生の記憶や それ以前のガキんちょの頃は 今も付き合っている友達が驚く位い
鮮明に記憶しているのに 中学二年の記憶は たったこれだけなんだよ。
きっと…嫌な事が ずっと続いたんだろうな。
勿論 楽しい事も有ったに違いないだろう。
でも これだけしか記憶が無いんだ。
ショック?…こんな言葉 文字では 到底表す事なんか出来ないよ。
だから おれは 地元には居たくなかったんだ。
中学卒業直後 友達連中に「二年の時に こう言う事が有ったろう?」と言われても 話の中に入っていけないし
思い出せない。
中学を卒業後 直ぐ宮城県の 大好きだった爺ちゃん婆ちゃんの所に行き
高校も宮城県で受験し 高校生活を宮城県で過ごした。
高校生活の中で…あの忌まわしい中学二年の時を 何度も振り返え様としたけど
駄目だった。
思い出せないからだ。

学校の先生って 何だろう?
人間って 何なんだろう?
中学一年までは 親 先生は おれにとっては雲の上の存在…だった。
中学二年以降 親は大親友となり 先生っていうものは 単なる一人間だけになった。
つまり 一般のそこいらの人間と 変わらない目で見るようになっていた。
いじめと言うのは 同級生などにされる物…
違うよ。
おれ達の その当時の考え方 先輩諸氏から教わったのは「やられたら やり返せ」だった。
ただし 限度と言う物も しっかりと教わっていた。
だからこそ いじめ と言う物は 存在しないに等しかった。
「こう言う担任に出会ったのも 偶然じゃなく 必然だったんだよ」
と言う奴も 居るに違いないだろう。
そんなカッコいい 受け売り言葉で 誰が「あぁ そうなんだ」って納得するかよ。
許す 許さない…こう言う言葉があるなら おれは絶対許さない。
中学一年までは 先生と言うのは「何でも相談出来る 偉い人」と思っていたし
「学校生活の中で 正しく道標をつけてくれる人」とも思っていた。
だからそれ以降は 中学三年の担任や 他の教科の先生 高校の先生方…
聞かれても 余計な事は一切話さなかったし おれから…当たり前だけど…進んで話す事なんかはなかった。
こう言った話には 勿論賛否両論有る。
が…遠い遠い遠い話で終わる…
それも良いが ちょっとは考えて欲しいもんだよ。




人生って 面白いよな!

2007年09月07日 01時34分57秒 | Weblog
又一つ 歳をとっちまった。

5日 誕生日だった。
前日は 市からの嬉しい知らせで 市にかかわる仕事の契約が出来た。
本決まりが 5日と言う事だ。
メチャクチャ嬉しかったなぁ~。
あるんだな こう言う事が。
しかも 予期せぬビック・サプライズがあって 天にも昇る気持ちだった。
はぁ??? 昇れば良かったのにってか!?

写真の話だ。
おめ様達は 写真って 一体どげな風に考えてるんだ?
たかが写真 されども糞も無く たかが写真だよ。
なのに なして「レンズは こう言うものが最高!」だの「カメラは…etc」など
馬鹿口開けて騒いでいるんだ???
たかが写真だろう???
その「作品」「写真」について 評論家がましい事は言うな。
プロも同じ 言うな。
料理も同じ 結果が全て。
素材がどうのこうの…機材が…
美味いか 不味いか 良いか 悪いか 二つに一つだ。
「美写楽」の会員の「やまさん」は おれにでさえ 写真を見せた事は無かった。
「美写楽」の掲示板に ある日突然一枚の写真を掲載した。
たった一枚だけど それが「全て」だった。
批評も糞も無い。
良い写真だった。
色々考えての写真だったんだろう。

ふららは現在 あがいている。
ブログ掲載の写真を見ていれば分かる。
あぁ そうだよ。
おれの弟子だよ。
そう言う時こそ 言わない。
おれは 沈黙の艦隊…なんのこっちゃ…を貫いている。
あえて助言などしない。
言った所で 屁のつっぱりにもならない。
そういう状態だからこそ 何も言わない。
助言した所で 結果を出すのは本人だ。
プロと言うのは そう言うものなんだ。

juriと言う子もいる。
タイプが全然違う写真を撮る子だ。
juriが言っていた事が有る。
「あたしは このカメラに慣れているから」と きっぱりと断言した。
一眼レフデジカメを愛用しているが 決して高価なカメラではない。
が…能書き垂れている馬鹿野郎は よ~~~くHPを見てみろ。
センスとアイデアで勝負している。
こいつが もしも おれのライバルとしたら…
いや ライバルとしてみているからこそ 今のおれが居る…と言っても 過言じゃあないんだ。
共通点が有る。
一緒に撮影していると「聞いてくる」と言う事だ。

しかし 何だな…
色々食い物屋があるけど 御飯 味噌汁 生卵 ふりかけ ノリ 御新香が お代わり自由でって…
それだけで 500円???

良いなぁ 日本は自由で。

光が来たぞ やっと来た

2007年09月03日 17時50分26秒 | Weblog
午後に来た。

面白い兄ちゃんと話しながら あっという間に工事が終わっちゃった。
が…何時ものようでは有るが メールが…
できまっしぇん!!!
まぁ良いか。
のんびり設定するべぃ。

世界陸上が 面白かった。
さっきTVで…
「もともと こんなものだと思っていた」と言う奴が居た。
偉そうによぉ~糞馬鹿野郎が!
あのな 良く聞けよ。
世界陸上やオリンピックは…各国の代表 つまりその国では一番の奴が出るんだよ。
技を競い合う。
何でメダル メダルって言うんだ???
TVで言ってた糞馬鹿野郎は おれは元々嫌いな奴だ。
御託ばかり並べやがってよぉ。
お前え出てみれば?
100メートルにでも 出てみれば?
銅メダル一個でも 良いじゃんか。
能書き垂れて金貰ってるお前は 何様だ?
アクシデントや怪我は付き物だろう。
まったく プンプンと。

さてと…買い物行って来てから 又書くかねぇ。