Part1はこちら
この時点で、僕は神経症(メインは鬱病でした)に陥る要素を持っていたし、だからこそ、SE,プログラマの仕事を選んだということ。
見事に鬱病にはまったのは当たり前で時間の問題だったのです。
振り返ってみると、鬱病になるレールだけがずっと僕の半生に続いていたのです。
仕事の選択一つとってもよくわかりました。
こういう分析は岩波先生の神経症克服プログラムのなかでやっていったものです。
分析すると、自分がよくわかり、鬱病への対処法がしやすくなるし、心がホッとするものです。
鬱病が原因不明でなっているなら、半生を分析してみましょう。
自己分析って恥ずかしいものだし億劫なものだけど、それを避けていると、わけのわからぬままずるずる落ち込んでいってしまうと思います。
ただ鬱病が最悪の時はあんまりやらないほうがいいかも。
徐々に徐々にやっていったほうがいいかもしれません。
ただでさえ落ち込んでいるのに、落ち込むようなことをする必要はありませんから。
話は変わりますが、鬱病で自殺した先輩が会社にいました。
勤めていたときに起こった出来事だけど、心の悩みで自殺したと聞かされていたため、鬱病という具体的な症状で死んだとは夢にも思わなかったです。
落ち込んでいて元気がなかったのは知っていたけれど、鬱病という病名だとはのちのちにわかりました。
僕が鬱病に陥って、一時休職すると上司に告げたときに言われたことです。
この上司はいわくつきの最悪な人間でした。
大嫌いな上司だったし、どう接していいかわからない人でした。
そういうことがあったから、お前も気をつけろ、と忠告されたときは、当てつけで言っているのか、皮肉かバカにしているのかと思った。おまえも死ねと言っているのかもと病的に思ってしまった。
これはいくらなんでも鬱病特有の被害妄想だろうけど、100%違うとは言い切れない心苦しさとわだかまりがいつまでも心に残っていました。
鬱病はこうやってなんでもマイナスにとってしまう。
よけい人付き合いも疲れるし、何一ついいことなんてない!
上司は異様に鬱病がこの会社に多いんだよなーといっていた。
その前にお前が鬱病に陥って会社を辞めてくれ、と思ったが、厚顔無恥そうな奴だから、なりたくてもなれないだろう。
これは繊細で頑張りやだけがなるのが鬱病なんだ! とグダグダ考えていたのを思い出します。
でも、上司も心がストレスですさんでいたと思う。
しがない中間管理職なんだし、閉塞感漂う職場で、プログラマあがりなんだから。
いまは余裕を持って、そうとらえることが出来るようになりました。
鬱病って、ものごとのとらえ方一つで楽になったりするから、自分を変えていくことも必要だと思います(薬では変えられないから)
そして、鬱病が全く改善する兆しがないまま、僕は苦しみ続けていました。
ずっとお世話になっていた心理カウンセラーも僕が改善できた心理・脳内プログラム(岩波英和先生の神経症克服プログラム、脳覚醒プログラム)でも、やっぱりSE・コンピュータ・パソコン・プログラムをずっとやっている(そして、人との接触が極端に少ない、苦手な)人が、一番多く来ていると聞いた。
通っている人も僕と似ている人ばっかりだった。
そのことは自分を見つめ直すよいきっかけにもなりました。
自分の見たくない部分を他人を通してよく見えてしまう。
嫌なことだけど、ありのままの自分を受け入れなければ前進はなかったので、いい刺激になりました。
人を見て自分の鏡にする。
客観性を持って、自分がどれだけやばい境遇にいるかを知ること。
鬱病を治すためにも必要なことだと思います。
つらくてもきつくても、それで苦しむだけではなく、第三者の客観的な視点で、その辛さ苦しさを見ることができるようになってくると、だいぶ違ってきましたよ(でも、最悪の鬱状態の時、そんな悠長なことを言ってられないのもよくわかります)
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鬱病になる原因の考察 Part1
鬱病になる原因の考察 Part2
鬱病になる原因の考察 Part3
鬱病になる原因の考察 Part4
この時点で、僕は神経症(メインは鬱病でした)に陥る要素を持っていたし、だからこそ、SE,プログラマの仕事を選んだということ。
見事に鬱病にはまったのは当たり前で時間の問題だったのです。
振り返ってみると、鬱病になるレールだけがずっと僕の半生に続いていたのです。
仕事の選択一つとってもよくわかりました。
こういう分析は岩波先生の神経症克服プログラムのなかでやっていったものです。
分析すると、自分がよくわかり、鬱病への対処法がしやすくなるし、心がホッとするものです。
鬱病が原因不明でなっているなら、半生を分析してみましょう。
自己分析って恥ずかしいものだし億劫なものだけど、それを避けていると、わけのわからぬままずるずる落ち込んでいってしまうと思います。
ただ鬱病が最悪の時はあんまりやらないほうがいいかも。
徐々に徐々にやっていったほうがいいかもしれません。
ただでさえ落ち込んでいるのに、落ち込むようなことをする必要はありませんから。
話は変わりますが、鬱病で自殺した先輩が会社にいました。
勤めていたときに起こった出来事だけど、心の悩みで自殺したと聞かされていたため、鬱病という具体的な症状で死んだとは夢にも思わなかったです。
落ち込んでいて元気がなかったのは知っていたけれど、鬱病という病名だとはのちのちにわかりました。
僕が鬱病に陥って、一時休職すると上司に告げたときに言われたことです。
この上司はいわくつきの最悪な人間でした。
大嫌いな上司だったし、どう接していいかわからない人でした。
そういうことがあったから、お前も気をつけろ、と忠告されたときは、当てつけで言っているのか、皮肉かバカにしているのかと思った。おまえも死ねと言っているのかもと病的に思ってしまった。
これはいくらなんでも鬱病特有の被害妄想だろうけど、100%違うとは言い切れない心苦しさとわだかまりがいつまでも心に残っていました。
鬱病はこうやってなんでもマイナスにとってしまう。
よけい人付き合いも疲れるし、何一ついいことなんてない!
上司は異様に鬱病がこの会社に多いんだよなーといっていた。
その前にお前が鬱病に陥って会社を辞めてくれ、と思ったが、厚顔無恥そうな奴だから、なりたくてもなれないだろう。
これは繊細で頑張りやだけがなるのが鬱病なんだ! とグダグダ考えていたのを思い出します。
でも、上司も心がストレスですさんでいたと思う。
しがない中間管理職なんだし、閉塞感漂う職場で、プログラマあがりなんだから。
いまは余裕を持って、そうとらえることが出来るようになりました。
鬱病って、ものごとのとらえ方一つで楽になったりするから、自分を変えていくことも必要だと思います(薬では変えられないから)
そして、鬱病が全く改善する兆しがないまま、僕は苦しみ続けていました。
ずっとお世話になっていた心理カウンセラーも僕が改善できた心理・脳内プログラム(岩波英和先生の神経症克服プログラム、脳覚醒プログラム)でも、やっぱりSE・コンピュータ・パソコン・プログラムをずっとやっている(そして、人との接触が極端に少ない、苦手な)人が、一番多く来ていると聞いた。
通っている人も僕と似ている人ばっかりだった。
そのことは自分を見つめ直すよいきっかけにもなりました。
自分の見たくない部分を他人を通してよく見えてしまう。
嫌なことだけど、ありのままの自分を受け入れなければ前進はなかったので、いい刺激になりました。
人を見て自分の鏡にする。
客観性を持って、自分がどれだけやばい境遇にいるかを知ること。
鬱病を治すためにも必要なことだと思います。
つらくてもきつくても、それで苦しむだけではなく、第三者の客観的な視点で、その辛さ苦しさを見ることができるようになってくると、だいぶ違ってきましたよ(でも、最悪の鬱状態の時、そんな悠長なことを言ってられないのもよくわかります)
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鬱病になる原因の考察 Part1
鬱病になる原因の考察 Part2
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