うつだった人間が書く岩波先生のことと克服までの道のり

うつ病を根本解決できた佐藤のブログ。鬱病克服経験談、精神医療や抗うつ薬治療への提言、岩波英知先生の革命的手法の口コミなど

【生きててすみません、生まれてごめんなさい】うつ病克服ブログ 鬱病になる原因考察 テクノ依存症と仕事 Part3

2009-07-29 | 鬱病になった原因考察 僕の生い立ちと大うつ病の理由
鬱病になる原因の考察 Part1鬱病になる原因の考察 Part2


 僕の過去の人生を含め、鬱病・神経症とコンピュータ(テクノストレス・テクノ依存症)との因果関係を調べたくなった。
当時は「なぜ? どうしてこんな苦しいことに?」なんて考えすぎるほど考えてしまったので、必然的に考察してしまったといった方がいいかも。


 でも、それを分析することは、すなわち、僕の人生を分析することだったし、改善するには避けては通れないことだと、岩波英和先生に言われたからだ(落ち込んでしまう人は一人ではやらないこと)。
心理カウンセラーの先生も同意した。

 その鬱病とパソコン・コンピュータ・プログラム系の仕事との考察は以下のことです。

 同じことを言うけれど、ずっとパソコンに向かい合う仕事というのは、すなわち、人と接触をしなくてすむという利点?がある。
黙々と仕事をこなしていればいい(と僕には思えました)。

 他の職場は違います。
「人」というものが何にせよ、第一位にくるもので、人との折衝なくして、仕事は成り立たない。
職場の人間関係を良好に保つことも、仕事の一つかもしれません。

 営業も、営業成績が上がるだけ、会社の売り上げが伸びる。
営業とは人との接し方、話し方、押し、会話術、あらゆる人間関係の技術と自信がフル動員される。
それは僕はもっとも苦手とするものだった(今はちゃうで!) 

 だから、どんなに頭がよくても、人間関係の流れを円滑に出来ない人は、使いものにならないという烙印を押される。
営業の成績は、「おまえは人間関係がなってない駄目人間だ」という証明でもある(と僕は恐れていた。)「人」を避けていたら、できる職業は極端に制限されてしまう
だけど、コンピュータを扱う仕事ならば、技術を持っているわけで、一応格好もつきます。
また世の中が必要としている職業だったし、これから伸びると言われていた。

 結局、人付き合いが苦手な人は、パソコンが得意な人が多い。
テレビゲームとかネットゲームにもはまりこんでしまう人も多い。
鬱病や対人恐怖症系の悩みを持つ人はそれに逃避してしまうというのもあるし。
一人で楽しめる、一人で遊べるものならば、はまりやすいというか。
だから、一番の選択肢が、僕らのやってきたSE,プログラマの仕事になってしまうのです。

 でも、現実はSE、プログラマであろうとも、人間と接していかなければならなかった
頻度が他の業種、職種に比べて少ないだけで、どこにいっても避けられない。
こりゃぁ、生きにくいのもしょうがないですよね。
避けている人間と接するときのストレスは、普段接していないから余計感じてしまうし。
どこに行っても人間がついて回るんだから、その都度疲れるってことですね。

 人付き合いが苦手。少なくとも得意じゃない。
自分を振り返ってみると、すごく合点がいきました。

 自分の意志で選んだ職業だと思っていたのが、実はそういうマイナス要因の消去法だったことを悟ったとき、心(無意識)って怖いなと思いました。
そうならざるをえない生い立ちが僕にはあったにせよ、僕が満足に生きられる範囲がこんなにも狭くなっていたのは恐ろしいもんです。

 人とのつきあいが苦手、どう話していいかわからない、緊張する、あがり症もあるといった悩みの僕が、一日中パソコンと向かい合っていても不都合がない、浮かない仕事を真っ先に選ぶのは当然の帰結と言えると思います。
組織の中で、会社の中で、人とうまくやっていくことが困難だな、と無意識で感じていたら、当然、夜間警備員や家で出来る仕事、黙々とこなしていればいい職業といったものに惹かれます。
パソコンが特技というものがあった人なら、当然、そういった仕事に就くでしょう。

 SEの世界は日進月歩だから、新しい若い人がどんどん入ってくる。
古いのはどんどん追いやられて、派遣などで職を転々としなくてはいけない。
時給換算すると給料は全然割に合わない。
SEを現代の奴隷と揶揄する人もいますし、自嘲的に自分たちをそう呼ぶケースもあります。

 感情のはけ口もないから、ストレスがたまる一方。
そんな環境に、鬱病になる素質がある人が四六時中いたら、どうなるんだろうか?
自律神経失調症になります。 
僕みたいに自律神経のバランスが崩れて、神経伝達物質のバランスも崩れて、しまいに鬱病になっちゃんです!

 振り返ると、学校生活を通して、なかなか人とうまくやっていくことが出来なかった。
一人でも楽しめる人間だったし、一人で遊ぶことがとても楽しかったし、気楽でよかった。

 だけど、いやそれだからこそ、学校では執拗にからかいの対象や陰湿ないじめもうけたし、仲間はずれにされたこともありました。
人を警戒し、必要以上に人間関係で緊張を起こしていました。
対人恐怖症気味になったけれど、ならない方がおかしいと思います。

大学に進んだけれど、みな仲良く青春を楽しんでいるのに比べて、僕はいつも一人でいることを好みました。
でも孤独でした。
僕の未来は明るいものではないとか、この孤独感をどうやって解消していいか、てんでわからなかったです。

 楽しんでいなかったわけではありません。
ゲームやネットやパソコンをいじっていた時は、すごく楽しんでいました。
でも、それだけで人生が完結できるわけでもなく、いつか社会に出て仕事をして家庭を持っていかないといけない。
その前には恋人を作らないといけない。
すべてが僕に難しく感じられました

 誰ともうち解けることが出来ず、それでも人とうち解けたい
で、人間関係の構築で努力しても、結果はいつも裏目に出てばっかり。
浮いている自分が情けなくて涙が出ました
一人だけ世の中から取り残された感じがしました。

 だから、大学生活は、一人で出来るパソコンと仲良くなったのも無理は無いですね。
地方から出て、一人暮らしをしていたから、それを妨げる人などどこにもいませんでしたし。
インターネットや色々な家庭用ゲームにはまった。
ネットゲームにもはまるようになり、24時間ずっとやっていた時もありました。

 それをやっているときは、むなしさも忘れられたし、現実の生活のフラストレーションから逃避するために、依存していきました。
テクノ依存症というやつですテクノストレスも同時に味わっていたと思います)。

 昼夜逆転してしまい、朝7時に寝て16時に目覚める日が続いた。
目覚めは最悪で頭が重い。すごく憂鬱になった。
ゲームやパソコンで孤独を慰めていた。
ゲームやネットをしているときは熱中できたし、楽しかった!

 でもゲームやネットは麻薬だと思う。
とくにネットゲームはそうだと感じます。

 生きる上で不都合を抱えていた大学時代、どんどん迫る就職というものが怖かったものです。
僕は果たして社会で生き延びられるのだろうか、と不安でしょうがなかった。
社会でやっていけるか? ではなくて、生き残れるかどうかが心配だったんです。

 大学生活は気楽なもので逃げ場がたくさんあったし、実際逃げてばかりいても、食うことも困らないし、思う存分一人の世界にいられました。
でも先行きへの不安はどうしたって消せませんでした。
社会生活を送ったとき、職場での人間関係がうまくいかなくて、疎外され、毎日つらい日々を過ごしてしまうかもと、不安で不安でしょうがありませんでしたし、もし解雇されたら、立ち直ることが出来ないショックを受けるだろうと怯えていました。

 だから、前にも書いたような理由で、人と接触しない職場を選ぼうとしたのは当然の帰結です。
それも自分の特技が一番発揮できるプログラマーに。SEの中でも、仕事も営業をばんばんやらせるところもあり、そこだけはいやだった。

 なるべく自分が傷つかないような職場を探そうと吟味に吟味を重ねた。
人と営業交渉するところは絶対やりたくなかった。
営業なんかできない。すぐ首にされると恐れていました。
まだ首にされてもいないのに、そこまで怯えが強かったと言うことは、ストレス耐性がない証拠でもあります。
このときにもう僕は鬱病になるベースはすっかり出来上がっていたのです。

 つまり社会不安障害にすでになっていたわけです。
鬱病は当然の帰結……ですが、仕事の内容が決定的な要因となりました。
もしかしたら、別ののびのびとできる仕事なら、また違った生き方になっていたかもしれません。


 緊張しまくった面接をなんとか乗り切ることができ、どうにか内定をもらいました。
やればできるじゃないかと正直思いましたし、そこは自信にもなりました。
何とか自分の希望に添った仕事につくことができ、ホッと一安心でした。
お金も順調にもらえるし、自分に不都合なこともないだろうし、いい職業を選んだかなんて思っとりました。
でも、地獄の日々はここからです。
鬱病待ったなしの状態、なるための道を僕は歩き始めたのです。

 そのときまでは、鬱病ではなく、普通に人生を歩むことに不都合を感じるレベルでした。
社会不安障害気味といった感じ。
この程度の人は世の中にたくさんいるレベルです。
僕だけがノイローゼ的に突出していたわけじゃないと思います。

 でも、社会人生活が長くなるにつれて、抑うつ状態がだんだん出てきました
はっきりときついな、苦しいな、何か僕の心の中に不都合なものがあるなと感じ始めた。
鬱病がどんどん進行するようになっていきました。

 気分が優れない、常に不安に怯えるようになり、何をしてもテレビを見ても、おいしかった食べ物を食しても楽しさを感じられなくなりました
目の前の激務をこなすことだけで、気持に余裕がありませんでした。

 職場の人間関係でも嫌な人間がいたり、ひどい上司がいたり、その都度ストレスだし、仕事へのプレッシャーが厳しくなり、24時間そのことばっかり考えていました。
すなわち不安ばっかりの空気をずっと吸い続けて暮らしていました。

 非人道的な仕事内容や不規則な生活を強いられ、その上ノルマや期限が厳しく、こなしても褒めもしない上司でした。
抑圧がどんどん僕の無意識に溜まっていき、ストレスが僕の脳にダメージを与えはじめました。
死にたい、このまま死ねれば本望、寝たまま死んでしまいたい、この観念が僕の最大の夢になっていました。


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