NEW 水交会

水交会の皆様、そしてホス研の先輩後輩の方々、情報交換のツールとしてぜひご利用ください。

親の面倒をみる

2008年06月16日 21時22分40秒 | Weblog
日本では親の面倒を見る、ということについて、割りと肯定的にいまでも考えられているのではないでしょうか。それはもちろん、社会保障制度があんまり完備していないせいもあるのでしょうが、最近読んだ本で次のようなことが書かれていました。
アメリカでは大学に進学するときにほとんどが自分の責任で学費を負担する、つまり金がなければ奨学金に頼る、親はそこまで面倒を見ない。それに似たことを以前読んだことがあります。つまりアメリカでは子供が成人したとき(18歳?かな)親はほっとする、つまりそれまでは親権のもとにある子供が事件を起こしたりすると親の責任で賠償もしなければならないが、成人に達すれば自分の責任ですべてを行う。つまり親の責任はそれ以降何もない、ということ。
翻って日本を見てみれば、秋葉原のあの殺人犯の親がテレビの前で謝罪している。もう子供ではないのだから親は関係ない、と思うがマスコミはそれでは許さない。親としてそのような犯罪を犯した子供を育てた責任をどのように思うか、追及されている。
どちらの世の中が正常なのか、なんともいいようがない。
とは言っても、心情的にはやはり子供の成育についての責任は、やはり親にあるのかな。愛情を十分そそいで育てれば、簡単に人を殺したりする人間にはならないと思うけど。
あまりにも狭い世界でしか、ものごとを考えられないのは生まれ育った環境によるとしかいいようがないのか。

女性専用車両について

2008年06月13日 21時01分15秒 | Weblog
今回、関西に行って、あれっと思ったことがありました。
それは近鉄に朝、乗って移動しようとしたら、車掌のアナウンスで
「一番後ろの車両は女性専用車になっておりますので皆様のご協力を・・・」
と言っていました。
東京では一応、一番前がjrのきまりです。それ以外の私鉄はあんまり知りませんが何せ、一番前と後という違いはちょっとびっくりしました。
これをどう解釈するのかはちょっと難しいところではあります。簡単に女性を大事にしている、いやいやそうではない、と言ったって、一番後ろの方が安全性が高いといえば結論は逆になってしまうし。
jrでも東日本と東海や関西では違うのかしら。これはちょっと知りたいところです。皆様が乗っている電車はどんな具合でしょうか。

また日常が戻ってきました

2008年06月12日 21時42分35秒 | Weblog
二日間、職場を空けていましたのでどうなっているかと思えば、別にこれといって変化もなく肩の力が抜けました。
二日続けて休暇とったなんて何年ぶりかな。だいたいインフルエンザか腰痛くらい。
インフルエンザのときはもう絶対に無理しません。職場に蔓延させてはいけないのが一番の理由、そして本人のため。インフルエンザは風邪とはまったく別の病気、それもかなり重い病気と考えた方が無難です。人に移せば治る、なんて言語道断。
腰痛はもう、そうとう普段、気を使っていてそうならないようにしているけれど、それでもなったときはもう、これまた無理しません。これ以上、状態を悪くしないためにはとにかく痛いときは静養、痛くなくなったら体操、という具合です。
まぁ最近は子供も成人してしまったし、そんなに休暇を取る必要性もなくなってしまい、有給も一年に10日もとれば多い方で、だいたい6~7日くらいのもんです。
考えてみればよく働いていますよね。皆さんもさぞかし、おんなじような状況なんでしょうね。

その他周辺情報

2008年06月11日 22時38分53秒 | Weblog
9日の通夜であと、矢田・小島・桜田の3人でお清めをしました。
奈良の海鮮のお店で鍋物がメイン。小島氏の希望でカレー鍋。ところがこれが意外とうまい。喉が渇いていたせいもあり、運転手の矢田会長には悪いと思いつつ二人でガンガン飲みました。そうこうしているうちに携帯で平沢氏と連絡がとれ、お互いに酔っ払いつつ実に久々の元気そうな声を聞くことができました。未だに千葉の職場にウィークデーの単身赴任中とか。
翌10日、仲村氏が到着。告別式では河西・鈴木・元永各氏から弔電が届きました。また11期を代表して林さんからもご弔意の連絡をいただきました。
仲村氏と私は実に久し振りの再開ではありましたが、何の違和感もなく画材やさんの話を聞くことができました。3人でお茶したあと田原本の駅まで歩いて行く途中、適当に歩いていてとりあえず通りすがりのおばさんにわざわざ道を尋ねたのに、二人ともいい加減に聞いていて、そのとおりに歩かず、えらく遠回りをしてしまう珍道中ではありました。なんだが学生のころに戻ったような旅気分を味わうことができました。
田嶋君とお別れしなくてはならなかったことは、本当に残念でつらいことではありました。
啓子夫人も言っていましたが、くれぐれも健康に留意されて早期発見早期治療に励むように皆様、心がけましょう。

みなさん、ありがとう

2008年06月10日 20時15分42秒 | Weblog
故田嶋實君の葬儀に際しまして、皆様から多くの弔意を寄せていただきました。場所が遠いということもありましたので、あまりこまめに連絡をとらず、気付かなかった方もいらしたとは思いますが、ご容赦ください。
昨日、9日の通夜には矢田会長と小島君、それと私が参列いたしました。啓子夫人、そして3人の子供とそれぞれの連れ合い、そして孫。それと父上と妹さん、親戚御一同が集まるなかでのしめやかな葬儀が執り行われました。
3月に水交会で集まった後、本人はそのことを随分と喜んでくれていたようです。その後4月以降体調がすぐれず、5月にはいって入院。6月には母上の7回忌だったようで、本人もそれを執り行うことを気にしていたようです。6月7日に夫人や子供たちでそれを済ませ、子供たちもそれぞれの居住地に帰ろうとしていた矢先に体力の限界が来たごとく8日午後1時29分に急逝されました。
今日10日は岸和田から仲村君も馳せ参じてくれまして、矢田会長ともども3人で告別式に参列いたしました。

通夜・告別式の日程

2008年06月08日 20時45分54秒 | Weblog
田嶋君の通夜・告別式は、下記のとおり執り行われます。

1.日程

  通 夜  平成20年6月 9日(月)  19:00~
 告別式  平成20年6月10日(火)  10:00~

2.会場
 
  ベルコシティ田原本
   
  住所 奈良県磯城郡田原本町大字千代585-1
  電話 0744-34-7979

3.喪主

  田嶋文乙 (たじまふ みたか)  長男

4.地図

  グーグルマップに上記住所を入力すると出力されます
  最寄駅は近鉄橿原線「田原本」あるいは「笠縫」のようです。

  水交会より花環にて弔意を表す予定ですのでご了承ください。

訃報 ! 田嶋君、逝去

2008年06月08日 18時56分04秒 | Weblog
30分ほど前に矢田会長から連絡がありました。
本日、午後1時過ぎに我が水交会会員の田嶋君が逝去いたしました。ここに謹んで哀悼の意を捧げます。
まさかとは思いました。3か月前に京都で会った時の姿がよぎります。あの時、確かにやせ衰え、疲れているようではありましたが、まだまだこれから治療に励めば病気に打ち勝てる可能性が十分にあるように感じました。
なにができるのかと自問はしましたが、本人に直接のメッセージを送ることはできませんでした。しかし、このブログを作り、水交会のホームページを再開した一番の理由はそのことにあったのです。
内海氏とともに一番早い時期に結婚し、3人の子供と平和な家庭を作り精進してきた彼でした。本当に残念でなりません。
ご冥福をお祈り申し上げます。

  合掌

  追伸
   通 夜  平成20年6月 9日(月)
   告別式        10日(火)
    詳細は分かり次第別途連絡いたします。

朝ご飯はパン

2008年06月08日 11時47分25秒 | Weblog
特に日曜日などゆっくりと起きた時はパンを食べることが多いです。もともとパンは嫌いじゃない、どちらかというと好きな方かもしれません。これも一重に学校給食で毎日、パンを小さい時から食べ続けた結果かと思うと、アメリカの深慮遠謀にまで言及したくなってしまいます。
アメリカという国は石油にしろ穀物にしろ、その巨大さで世界を支配しているということなのでしょう。
毎日、テレビでは石油と穀物の高騰について報道していますが、食糧の自給率が低下し続けている日本としては、農業政策などを見直すいいきっかけになれば、と思います。米の生産力をフル稼働すれば米の値段が急落して農家がやっていけない、ということもあるのでしょうが、いまや日本のコメはそのブランド力で中国ではえらく高い値段で売り買いされているというし、高品質のコメを作って世界に売りまくってはどうでしょう。それこそアメリカの小学校に米飯給食を売り込めないものでしょうかね。

携帯電話のつづき

2008年06月07日 07時51分48秒 | Weblog
職場に携帯を導入したのは、たしか平成6年か7年でした。そのころ事務所に車があり運転手さんがいたので普段、連絡を取れるようにとノキアの携帯をレンタルで契約しました。充電池があんまりもたなかったし、そもそもアンテナが多摩地区ではあんまり立っていないので、しょっちゅう圏外でしたので、あまり役に立ったという記憶はありません。
そうこうしているうちに値段も下がってきたので、平成10年に個人でも購入しました。このころになると充電すれは2~3日は大丈夫になりましたし、普通に使える範囲がずいぶん広がりました。最初のころはもっぱら電話として使用していましたが、そのうちに気がついた時には、ほとんどメールでのやり取りに変わっていきました。
いまでは電話で話をするのは、出張したあとに会社に報告を入れるときくらいで、日常的には話をする道具ではなくなっています。暇つぶしにワンセグでテレビをみたり、あとはもっぱらメール。ネットにつなぐのは以前よりはダントツに早くなっているようですが、まだ使い勝手がいまいちなのであんまり使いません。このブログも携帯から投稿できるのでしょうが、最近電車に乗っている時間というものがほとんどないのでそれも出来ず。
これでアップルの携帯が日本に上陸して以降、各メーカーが独自に中身を作るようになれば、もう少し変化に富んだものが出現するような気がするのですが。