戊辰戦争拾遺 『香亭遺文』の長鯨丸
中根淑(中根香亭)は、慶応3年12月29日、長鯨丸で兵庫に着き、翌日大坂へ入ったとある。
しかし、『慶応3年、小野友五郎の上坂と薩摩藩邸焼き討ちの報』でも書いたが、小野友五郎は、12月23日長鯨丸で出帆して、26日に兵庫着、翌27日に大坂に入ったことになっている。
中根淑と小野友五郎のどちらかが間違っていることになる。
小野の兵庫着は、日記によるので間違いないと思うが、乗船名は履歴書を根拠とした。小野の履歴書と中根の『香亭遺文』は、後年のものである。
どちらかが、長鯨丸に乗船して、片方が別の船だったのか、あるいは、両人共、長鯨丸に乗り組んだが、中根が日付を間違えたものなのか。
中根淑(中根香亭)は、慶応3年12月29日、長鯨丸で兵庫に着き、翌日大坂へ入ったとある。
しかし、『慶応3年、小野友五郎の上坂と薩摩藩邸焼き討ちの報』でも書いたが、小野友五郎は、12月23日長鯨丸で出帆して、26日に兵庫着、翌27日に大坂に入ったことになっている。
中根淑と小野友五郎のどちらかが間違っていることになる。
小野の兵庫着は、日記によるので間違いないと思うが、乗船名は履歴書を根拠とした。小野の履歴書と中根の『香亭遺文』は、後年のものである。
どちらかが、長鯨丸に乗船して、片方が別の船だったのか、あるいは、両人共、長鯨丸に乗り組んだが、中根が日付を間違えたものなのか。