三河武士がゆく

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戊辰戦争拾遺 幕府軍艦、順動丸の活躍(1)慶応3年10月から12月15日

2023年06月29日 23時40分21秒 | 歴史
幕府軍艦「順動丸」は外輪船で、イギリス商船であったときの名は「ジンギー」である。軍艦と書いたが、当時の蒸気船はこのように呼ばれていたようである。「順動艦」と記している史料もあるが、「順動丸」で統一する。

順動丸は江戸と兵庫を往復する飛脚船であったようだが、実際どのように運用されていたのか。

慶応3年10月の大政奉還にあたり、上京命令を受けた老中・若年寄歩兵・撒兵200名ほどを乗せている。歩兵はフランス伝習兵らしいがよくわからない。このなかに滝川具挙の息子、歩兵差図役勤方・滝川充太郎(滝川具綏)が含まれている。外にも歩兵が乗り組んでいたかは不明。10月24日品川出帆、28日に大坂へ着したらしい。

このあと順動丸は11月24日に、若年寄並兼外国総奉行・平山敬忠を乗せて出帆したという史料もあるようだが、これは「蟠竜丸」の間違いと思われ、11月26日に、外国奉行糟屋筑後守を乗せて出帆、29日に兵庫着している。

その後、江戸へ帰ったかはわからないが、12月15日、大坂湾の開陽艦にあった榎本釜次郎が、勝海舟(勝安房守)に宛てた書簡を順動丸で江戸へ送ったと思われるので(「海舟日記」)、支障がなければ18日には江戸に着いていたであろう。